伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

ビルマ国(親日の国)

 【ビルマのパゴダ】


 大東亜戦争開戦後の1941年12月16日に、後に「ビルマ建国の父」と称えられることになるアウン・サン(アウンサン・スーチーの父親)と同志たちは日本軍の支援を得てタイのバンコクにビルマ独立義勇軍を創設しました。その後、日本軍と共にイギリス軍と戦い、1942年3月にラングーンを陥落、刑務所に収監されていた独立運動家バー・モウが解放されました。同年5月にはビルマからイギリス軍を駆逐することに成功しました。
 翌1943年8月1日にバー・モウを首相とするビルマ国が誕生し、首相となったバー・モウは、次のような演説を行いました。
 なお、この時アウン・サンは28歳で国防相に就任しています。
 ところが、1945年日本の敗戦に伴い、ビルマは再びイギリスの占領するところとなり、その支配から完全に脱してビルマ連邦として独立するのは、1948年のことになりました。


ビルマ初代首相バー・モウ氏の演説


◇1943年8月1日独立式典に内外の記者団に対して…

「ビルマ国民は生涯今日の日には遭遇し得ぬものと諦めていたから、われわれは歓喜の涙にくれている」


◇翌日のラジオ…

「ビルマはイギリスの統治時代に根本的に去勢されてしまった。…実にイギリスのビルマに対して行った侵略ほど、残虐で積悪暴戻極まるものはないのである。イギリスはわが国民、わが町、わが家庭、わが繁栄を破壊するためになさざるところはなかったのである」


◇独立宣言書…

「英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。…ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従いて総ての国民的実質、莫大なる物的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い…ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。…ビルマはこのビルマに対する最大の貢献に対する日本人への感謝を永久に記憶せんことを希望するものなり…」

   《日下公人「一問に百答」から引用》


 戦時中に、日本軍の支援の下での独立ですので、少し割り引いて読む必要はありますが、ビルマ(現ミャンマー)連邦政府は戦後30数年にもなる1981年1月4日、旧大日本帝国軍人鈴木敬司大佐ら7人に、独立に貢献した功績により、国家最高の栄誉「アウンサン・タゴン(=アウン・サンの旗)勲章」を授与していますので、バー・モウ氏の演説も、満更、日本軍の圧力を受けての外交辞令ではなかったようです。