ジョヨボヨ王の予言(インドネシア)
【インドネシアのジャワ島中部ボロブドゥールの円形壇上にある仏塔と仏像】
インドネシアには『ジョヨボヨ王の予言』という伝承があります。
この伝承は、12世紀中頃東ジャワのクディリ王国第2代君主のジョヨボヨ王(又ジャヤバヤ王:在位1135年 - 1157年)が宮廷詩人に命じて書き残したもので、インドネシアを苦しめる“白い人びと”を、北からやってきた“黄色い人びと”が追い出してくれるという次のような「予言」です。
【ジョヨボヨ王の予言】
我が王国は、どこからか現れる白い人びとに何百年も支配されるだろう。彼らは魔法の杖を持ち、離れた距離から人を殺すことができる。
しかしやがて、北の方から白い衣を身に着けた黄色い人びとが攻めてきて、白い人びとを追い出してくれる。
黄色い人びとは我が王国を支配するが、それは短い期間で、トウモロコシの花の咲く前に去っていく…
この「予言」は、過酷極まるオランダ植民地時代にインドネシアの民衆の間に広まり、深く信じられるようになっていました。予言から500年後の17世紀初頭から300年の長きに亘って続く“白い人びと”、すなわちオランダの支配に苦しめられていた民衆は、予言に示された解放者の出現を待ち望んでいたのであります。一部で独立を求める運動も起きましたがオランダはこれを厳しく弾圧しました。そのため、インドネシア人の集会を禁止し道ばたで3人以上が話しただけで処罰するほどでありました。
残虐非道なオランダの支配を打ち破ったのが、北からやってきた“黄色い人びと”、すなわち日本軍だったのです。
1942年2月14日、スマトラ島のパレンバンに日本陸軍第1挺進団挺進第2連隊の落下傘降下兵が次々と空から舞い降りる姿は、あたかも黄色い人びとが白い衣(落下傘)を纏って攻め寄せてくる様に見えて、インドネシアの人々は予言のとおり神の兵隊が降りてきたと言って驚喜したと伝えられています。
次いで、1942年3月1日、ジャワ島に上陸した今村均中将率いる第16軍は、僅か9日間でオランダ軍を制圧、“白い人びと”を追い出してくれたのであります。
インドネシア民衆は「ジョヨボヨ王の予言が実現した!」と歓喜し、各地でメラプティ(後にインドネシア国旗となる紅白旗)を振って日本軍を迎え入れました。
その後、仁将として名高い今村中将による軍政統治が行われますが、それは、“白い人びと”の支配とは明らかに異なっていました。
日本軍はまず、流刑されていたスカルノやハッタら独立運動の指導者を解放し、迫害されていたイスラム教の存在を認めて宗教活動を自由としました。
また、オランダによる愚民政策を廃して民衆の教育制度を充実すると共に、インドネシア人が自らの国を治めるために必要な農業指導や軍事指導にも努めました。
それまで公用語として強制されていたオランダ語と英語を廃し、多くの言語に分かれていたインドネシアに共通語を定めて民衆の意思統一を図ることにも力を入れました。
そして1945年8月15日、三年半にわたる“黄色い人びと”の支配は終わりました。
800年前にジョヨボヨ王が予言した通り、日本軍が耕しインドネシア人が種を蒔いた畑に、トウモロコシが育つまでの短い期間でありました。
【『神兵パレンバンに降下す』1942年鶴田吾郎(1890.7.8 - 1969.1.6)画】
インドネシアのスマトラ島パレンバンに降下する『空の神兵』と謳われた落下傘部隊。
【パレンバンに降下する帝国陸軍第1挺進団の報道写真】
空挺部隊は、航空機動により迅速に敵地の奥深く侵攻して軍事的政治的足掛かりを付けることを任務としている。パレンバン空挺作戦が大戦果を収めたことから空挺部隊は『空の神兵』と呼ばれるようになった。
軍歌『空の神兵』▽
空の神兵
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