伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

木を見て森を見ず~大東亜戦争は侵略戦争ではない~


 このところ、東南アジア各国の対日感情をシリーズで書いており、インドネシアは大東亜戦争以降、総じて親日の国であると論じているところでありますが、大東亜戦争を侵略戦争と位置付ける方の立場では証拠の有無はさて置き、次のような反論もあるでしょう。


「インドネシアをオランダの植民地支配から解放したのは結果論にすぎない。日本兵が侵攻してたくさんの村人を殺した事実がある。」


 確かに、それほど多数ではありませんが、何人かのインドネシア人と日本軍とが交戦したことがあるのは事実です。


 日本軍の進駐時にも、オランダ軍の手先となって反撃してきた現地人や、ある種の宗教指導者に扇動されて暴動を起こした集団もいました。


 これらは、「ハーグ陸戦条約」に基づく戦闘員と見做されます。当然、日本軍の反撃にあって、戦場に斃れた者もいるでしょう。


 また、暴動を起こした者の中には、非合法武装集団のテロリストのように武器を隠し持ち民間人に紛れ込んで日本兵に近寄り、至近距離から攻撃してきた者もあります。
 このような輩は、戦時国際法上の正規の交戦者ではなく、殺人を目論む犯罪者として扱われます。
 このような輩を逮捕・制圧するのは、軍でも警察でも合法とされます。場合によっては、現行犯として、民間人が反撃することも可能です。
 また、犯人の逮捕・制圧の際、周囲にいたインドネシアの非戦闘員が巻き込まれたこともないとはいえません。


 このような戦闘員あるいは犯罪者、更には巻き添えで命を落とした人々の家族や知人が、反日感情を持つのもやむを得ないことでしょう。


 それらを、ごく一部のこととして無視するわけではありませんが、筆者の立場は、先の大戦を総括し、アジア各国の国民感情の全体像を証拠に基づき大局的に把握することにあります。


 このため、筆者の記事は、国民感情の大勢、すなわち多数意見を把握することを重点にしています。


 何千万人あるいは何億人の国民がいれば、全員一致の見解などありえません。
 木を見て森を見ないような個別の反対意見については、遺憾ながら、必ずしも賛同するものではありません。



 なお、筆者は、大東亜戦争が侵略戦争であるとの立場は取りません。


 この戦争の目的は、御前会議で決定されたとおり、「自存自衛」と「東亜の解放」にあります。


 元々、日本に他国を侵略する意図などはなく、我が国の独立を守り、アジア各国を植民地支配から解放して欧米の搾取を排除し、アジア圏内で全ての独立国が対等な立場で貿易を振興して、東亜の共栄を図ることが戦争目的であったのです。
 日本軍が攻撃したのは、東南アジアの国や国民ではありません。それらの国を不法・不当に占拠していた、欧米の軍隊です。


 日本陸軍の『軍政要領』には、「占領と軍政は暫定的である」と書かれています。
 また、1941年11月20日大本営政府連絡会議決定の『南方占領地行政実施要領』には「占領地ニ対シテハ差シ当タリ軍政ヲ実施シ…」と書かれています。


 日本国及び日本軍は、占領地の行政にあたっては、国際法に基づく手続きを踏んでおり、現地国民の自治能力が十分になれば、独立させることを念頭に置いていたのであります。


 ところが戦後は、戦勝国たるアメリカによる日本の弱体化を主眼とする占領政策により植え付けられた自虐史観により、ひたすら日本は領土欲に燃えて侵略のための戦争をしたことになっています。
 これに輪をかけたのが、共産党や社会党を支持し、北朝鮮を礼賛して金日成から勲章をもらって驚喜する槙枝元文(まきえだ もとふみ、1921.3.24 - 2010.12..4)のような輩が委員長を務めていた日本教職員組合です。
 日教組の指導方針により、日本全国全ての学徒は一人残らず自虐史観やソ連や中共更には朝鮮の捏造した出鱈目な歴史観を教育されて育っているので、いい大人になってもその多くが敵国の人間が吹聴するような侵略戦争歴史観を持っているのです。


 アメリカの歴史学者でありGHQの職員でもあったヘレン・ミアーズは、その著書「アメリカの鏡・日本」の中で、次のように述べています。

「日本が東南アジアの占領地域を帝国の一部であると主張したことなどは、ただの一度もない。すなわち、日本の占領は、戦争中の一定期間の「防衛」手段、予防占領であったにすぎない」  


 また、連合軍最高司令官として、GHQの最高責任者でもあった元帥ダグラス・マッカーサーは、帰国後、米連邦議会での証言で次のように述べています。

「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障(security)の必要に迫られてのことだった」

 マッカーサーは自ら朝鮮戦争を戦って、ロシア(ソ連)や中共など共産主義の脅威(明治維新以来ずっと日本が恐れていたもの)をやっと悟り、日本が戦争をせざるを得なかった理由を理解できたのであります。


 大東亜戦争開戦時の首相東條英機は東京裁判の宣誓供述書で「断じて日本は侵略戦争をしたのではない。自衛戦争をしたのである」「国家自衛のために起つという事がただ一つ残された途であった」と語りましたが、それはこのマッカーサーの米議会証言録と重なるもので、最終的に東條とマッカーサーは同じ見解を披露したことになるのであります。

 しかし、呆れたことにマッカーサーのこれほど重大な証言を報じた日本の大新聞は当時も今も皆無なのです。


 1946年には、ハーバート・フーバー元米大統領(第31代、1874~1964年)が、彼の後任者であった開戦時の米大統領フランクリン・ルーズベルト(第32代、1882~1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが、米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、2011年にそれまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにしています。

 この著書の中では、終戦の翌年1946年にフーバー元大統領が訪日して東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談したときには、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘し、在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ。」と語っています。

 これにマッカーサーも同意し、「ルーズベルトは41年夏に日本側が模索した近衛文麿首相との日米首脳会談を行い、戦争回避の努力をすべきだった。」と述べてフーバーと同様にルーズベルトを批判しています。

 これらの事実を報道したのは産経新聞だけでした。


 また、1948年4月には、米政治学会会長や歴史協会会長などを務めた国際政治の第一人者、チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授(1874~1948年)が著した「ルーズベルトの責任-日米戦争はなぜ始まったか」と題する書籍の中で、ルーズベルト米大統領が、巧妙な策略によって日本を対米戦争へと追い込んでいった過程を米側の外交公文書や連邦議会議事録など膨大な資料を詳細に調査・分析して浮き彫りにしています。

 この本は、2011年12月25日に藤原書店から和訳本が発刊されましたが、これらのことを記事にしたのはやはり産経新聞だけでした。


 これら逐次公開されてゆく公文書などの資料を分析すれば、大東亜戦争は米英の策略によって追い込まれた末、大日本帝国が自存自衛の為、更には東亜の解放の為、万止むを得ず起たざるを得なかった自衛戦争であったことは明白なのであります。
 このことは、タイ王国で後に首相を務めることになるククリット・プラモートが、終戦から10年を経た1955年6月に、戦時中の泰国(タイ)駐屯軍司令官であった中村明人元陸軍中将に語った次の談話でも明らかなことであります。 

 「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのはいったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの二つの日を忘れてはならない。」(ククリット・プラモート談)


 木を見て森を見ることができない原因は、これらの事実を報道せず敵性国家の多分に捏造した言い分のみを報ずるマスコミの姿勢と根拠のない自虐史観に凝り固まって正しい歴史を教えようとしない学校教育に依るところが大なのでしょう。


追記: 論拠を示さぬ無責任な反論は見聞に値しません。

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