伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

8×8=64の原則

 文筆を業とする者でも、その表現力には限界があり、自分の真意を表現できるのはせいぜい80%くらいでしょう。
 それを受け取る方の理解力にも限界があり、更にその80%を理解できれば上出来でしょう。
 即ち、発信側の真意が受信側に伝わるのは、64%が限界ということになります。残りの36%は殆ど誤解に過ぎません。


 それでは、64%の理解に入る文章が良いのかというと必ずしもそうではありません、1点の疑義もない文章というものは、学術論文や公文書のようなものであり、はなはだ味気ないものになってしまいます。


 本当に面白い文章というものは、実は、36%の誤解の中にあります。小説、詩歌、俳句と文章が短くなればなるほど、その傾向は強くなります。例えば、次の俳句を見比べてご覧ください。
 「鎌倉にツルがたくさんおりました」
 「閑さや岩にしみ入る蝉の声
 どちらが64%の理解で、どちらが36%の誤解かは一目瞭然でしょう。
 誤解が有るが故に、意味が深まり受信者の想像力を掻き立てるのです。歌の文句などは敢えて曖昧な誤解を招く領域で作成することにより、聞き手の更なる誤解を醸し出し、人それぞれの人生観に基づく解釈を引き出して共感を得られるのです。


 ここで注意を要するのは、誤解の領域である以上、同じ歌詞であっても、善意の聞き手であれば好感を持つとしても悪意の聞き手であれば嫌悪感を抱くことになる点です。


 受信者がどう感じるかは、発信側の意図とは関係なく、受信側の心理状態によります。感じ方は人それぞれですが、その結果は実は受信者の心理状態を現していることが多々あるのです。
 心理テストの一つにロールシャッハというものがありますが、インクの染みなどでクライアントの感想を聞いてその深層心理を探るものです。このインクの染みは、特に作為したものではありませんが、クライアントの心を映す鏡となります。全く同じ染みが、人により、天使に見えることもあれば悪魔に見えることもあります。悪魔に見えていたものが時間の経過とともに天使に変わることもあります。


 36%の誤解領域は、面白いものである半面、受信側の反発を買う危うさもあります。このことが、ブログ炎上の要因の一つともなるのでしょう。
 次の会話を読んで、洒落として笑える人は、他人の記事を理屈抜きで楽しむことができるでしょう。怪しからんと憤る人は、残念ながら36%の誤解を楽しむことは難しいでしょう。


「婆あ~さんや~ あそこを通るのは山田さんではないか~?」
「いいえ、お爺いさん あれは山田さんですよ~」
「あ~ そ~か~、わしはまた 山田さんかと思ったよ~」