伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

漢詩を読む

        (王子江作 杜甫「月夜」詩意圖:NHKラジオテキストから引用)


 今は昔、私が高等学校の生徒であった頃、「漢文の田口」との異名をとるかなり喧しい先生から古文・漢文の講義を受けました。
 先生曰く、「古文・漢文は知識人必須の教養である。」と。その頃、理工系の大学を目指していた私としては、入学試験科目にもない漢文など何の役にも立たないだろうと反発はしていましたが、偶々この先生が私の学級担任教師であったこともあり、卒業するまでは、他の生徒よりも比較的真面目に取り組みましした。


 それから50年、漢文のことなどすっかり忘れておりましたが、台湾の某麗人のご教示により、改めて漢詩を読み始めました。
 浅学非才の身ながら、以下、私の個人的理解による漢詩の読み方についてご紹介します。


 上記イラストの左端に書かれているのは、杜甫の代表作「月夜」の一部です。


 漢詩を読む場合には、その時代背景や作者の置かれた境遇を知ることにより、より詩想の理解を深めることができます。


 「月夜」、作者は杜甫、今から1300年ほど前の盛唐の詩人です。生来の世渡り下手から40歳を過ぎるまで定職を得ることができず、窮乏の余り家族の食にも窮し、妻子を首都長安の東北120キロの所にある奉先県の親戚に預けておりました。漸く就職活動の成果があり、薄給ながらも長安で官職を得ることができました。
 喜び勇んで杜甫は妻子を迎えに行きますが、奉先県に着くころ、安禄山が乱を起こして長安を占領してしまいます。
 家族の身の危険を感じた杜甫は、妻子を疎開させるため、奉先県の更に北100キロのところにある鄜州(ふしゅう)に送り届けた後、自分は皇帝が行在所を置いている霊武に向かいます。
 ところが、道中、安禄山軍に捕まってしまい、長安に転送されて幽閉の身となってしまいました。


 この詩は、囚われの身である杜甫が長安で月を看ながら鄜州(ふしゅう)にいる妻子を思って作られたものです。殆ど全ての場面が妻の境遇を想像して作られているところに特色があります。


 なお、読者各位も子供の頃、月夜の道を歩いていて、不思議に思ったことがあるかもしれませんが、歩くにつれて周りの景色は次々と変化しますが、頭上の月は自分についてきます。このことから、古来、月は遠く離れた地点を結びつけると考えられておりました。
 杜甫も、自分が月を看ていれば、必ずや妻も同じ月を看ているものと思って別離の哀しみを癒していたのでしょう。


 以下にこの詩の原文を掲載します。


  月夜 杜甫
 今夜鄜州月 閨中只獨看
 遙憐小兒女 未解憶長安
 香霧雲鬟濕 淸輝玉臂寒
 何時倚虚幌 雙照涙痕乾


 このままでは、日本語としては読めませんので、漢文を単語あるいは2~3文字の熟語に区切って、日本語の文法に従って並び替えるための返り点と助詞や助動詞などを付け加えます。
 文体はそのままで、返り点や助詞などを付記したものを漢文訓読語といいますが、この記事欄では返り点などは書ききれませんので割愛します。
 漢文訓読語を日本語の順に書き直したものを漢文訓読体といい、次のようになります。


  月夜 杜甫
今夜 鄜州の月      
閨中 只だ獨り看るらん
遙かに憐れむ 小兒女の  

未だ 長安を 憶ふを 解せざるを
香霧 雲鬟濕ひ      

淸輝 玉臂寒からん
何れの時にか 虚幌に倚り 

雙び 照らされて 涙痕乾かさん


  月夜(げつや) 杜甫(とほ)


 今夜 鄜州(ふしう)の月
 閨中(けいちゅう)只(た)だ獨(ひと)り看(み)るらん
 遙(はる)かに憐(あは)れむ 小兒女(せうじぢょ)の
 未(いま)だ 長安を 憶(おも)ふを 解せざるを
 香霧(かうむ)雲鬟(うんくゎん)濕(うるほ)ひ
 淸輝(せいき)玉臂(ぎょくひ)寒からん
 何(いづ)れの時にか虚幌(きょくゎう)に倚(よ)り
 雙(なら)び 照らされて涙痕(るゐこん)乾(かわ)かさん


 この漢文訓読体こそが、前述の老師がその読み書きを口角泡を飛ばして教授したものであり、戦前であれば公文書や新聞の全てがこの文体で書かれていたものです。
 民法や商法など古くからある法律は、今でもこの文体のまま残っています。これが読みこなせないようでは法律家にはなれません。恥ずかしながら、私もそのことに気付いたのは法律の勉強を始めてからのことでした。その時になって初めて、我が老師の恩に思いを致し、そっと手を合わせたものでした。


 蛇足ながら、以下私の解釈による口語訳を掲載します。


  月夜  杜甫


 今夜も鄜州の月を、妻は自分の寝室から独りきりで見ていることだろう。
 遥か彼方の地にいて可愛そうに思うのは、母親がなぜ一人で月を看て長安のことを思っているのかが、幼い子供たちにはまだわかりはしないことだ。
 秋の夜霧は、妻の結い上げた美しく豊かな髪を濡らし、月の清らかな光は、妻の玉のように麗しい腕を冷たく照らしているだろう。
 いったい何時になったら今は主人のいないこの寝室のカーテンに二人で寄り添って 、月の光に照らされて、涙の痕を乾かすことができるのだろうか。


 この詩は紛れもなく夫婦の情を主題とするものですが、愛とか情とかの直接的表現は一切ありません。洗練された詩語を用いて情景を描写しているだけですが、杜甫の心優しさや愛情、別離の愁いなど万感の思いが感じられる名作です。
 古今東西、別離の哀しみに差異はありません。因みに、「鄜州」を「臺灣」に、「長安」を「東京」に置き換えてみると、台湾に家族を置いて東京で働く夫の思いに一致するでしょう。


 漢詩の解釈は人それぞれです。上記は、あくまでも私の個人的見解に過ぎません。私とて、未だ勉強中の身です。もう少し読みこなせるようになったなら、また新たに別の意味を発見するかもしれません。


 若し、泉下の恩師がこの駄文をご覧になったとしたなら、「君ぃ~ 時に及んで当に勉励すべし(*) 歳月は人を待ちませんよ~」と言ってお笑いになることでしょう。


   仰げば 尊し 我が師の恩~  合掌


(*)筆者注: この句は陶淵明の雑誌其一からの引用で「楽しめる時には、せいぜい楽しみなさい。」の意です。巷間流布している「少年に学を勧める教訓」として利用することは、作者の意図に反します。