伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居する隠者の戯言です。

紀元節を考える


 『紀元節』とは、「 日本書紀」に記載されている『神武天皇即位の日』のことです。


 8世紀初頭に編纂された日本書紀によれば、日本の国を初めて統一した神武天皇が、奈良の樫原宮で即位した日が「辛酉年春正月、庚辰朔」であり、日付は正月朔日、すなわち旧暦の1月1日とされています。


 この即位の日を、日本書紀の記述を暦法などにより逆算して新暦に換算すると、紀元前
660年の2月11日になることから、明治6年に、この日が日本建国の紀元節と定められました。


 大東亜戦争後の昭和23年、占領軍(GHQ)の意向により紀元節は廃止されましたが、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、昭和41年「建国記念の日」と名前を変えてして復活しました。


 なお、「建国記念日」ではなく「建国記念日」と「……」の一字を入れたのは、神武天皇は、古事記では137歳、日本書紀では127歳まで生存したとされており、神武天皇が実在した人物かどうかも含めて即位年に関する考古学上の確証が提示されていないこともあり、即位日を特定できないとする反対意見に配慮したためと、昭和41年当時聞いたことがあります。


 古事記・日本書紀など日本最古の歴史書は、その全てが「事実」とは言えないでしょう。
 しかしながら、それらは現に存在する「現実」なのであります。


 建国年が紀元前の何年であるかは、歴史学や考古学の専門家の研究を待つこととして、伊賀山人としては、我が国の歴史は然程に古いものであると認識しておけば事足りると考えています。


 ところが、国会議員の中には余程暇な人もいるようで、国会で紀元について追及した人がいます。
 因みにこの議員は、近畿比例ブロック選出の共産党議員吉井英勝でしたが、この質問をした年の12月には引退しています。


 質問の主旨は、「神武天皇は実在したか?」「即位日は西暦何年か?」の2点です。
 これに対する総理大臣野田佳彦(民主党)の答弁は、「諸説あるものと承知している」「暦学上、紀元前六百六十年二月十一日に当たると解されている」というものでした。


 即ち、本日皇紀2677年2月11日が紀元節であることが、日本国政府の統一見解なのであります。


 以下、質問本文と答弁本文とを引用して読者のご高覧に呈します。


平成二十四年一月二十四日提出

 質問第一号

陵墓の治定変更と公開に関する質問主意書

提出者  吉井英勝


【 陵墓の治定変更と公開に関する質問主意書

(四十五) 二〇一〇年十一月三十日提出の質問主意書で、宮内庁書陵部発行の「陵墓要覧」によると二〇一六年四月三日に神武天皇没後二千六百年の「式年祭」が執行されることをあげ、二〇一六年が神武天皇没後二千六百年の年に当たると理解しているかどうか質した。これに対する答弁書(内閣衆質一七六第二一七号)で、「宮内庁としては、「日本書紀」の記述に基づけば、二千十六年は、神武天皇が崩御してから二千六百年に当たることになると承知」とある。二〇一六年から二千六百年前とは紀元前六世紀であるが、神武天皇が没したのは日本の縄文時代という理解でよいか。また、歴史学において神武天皇は実在しなかった架空の人物とされているが、神武天皇は実在した人物という認識か否か。


 (四十六) 同じ質問主意書で、神武天皇が没したという日本書紀の記述「日本書紀の神武天皇七十六年」の西暦年と時代名、また、神武天皇の即位時の年齢とその西暦年、時代名を問うた。答弁書では五十二歳で即位したことが示された。日本書紀によれば神武天皇は二月十一日に即位したといわれるが、その年は日本書紀によれば何年で、それは西暦何年に相当するのか。


答弁書

(四十五)について

 宮内庁としては、「日本書紀」の記述に基づけば、平成二十八年(二千十六年)は、神武天皇が崩御してから二千六百年に当たることになると承知しているが、お尋ねについては、諸説あるものと承知している。


(四十六)について

 「日本書紀」は神武天皇の即位について、「辛酉年春正月庚辰朔天皇即帝位於橿原宮是歳為天皇元年」と記述しており、この「辛酉年春正月庚辰朔」は、暦学上、紀元前六百六十年二月十一日に当たると解されている。


答弁本文情報

平成二十四年二月三日受領

 答弁第一号


   内閣衆質一八〇第一号

   平成二十四年二月三日


内閣総理大臣 野田佳彦


        衆議院議長 横路孝弘 殿


衆議院議員吉井英勝君提出陵墓の治定変更と公開に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。


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