伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居する隠者の戯言です。

望春風



 「望春風」は、1933年(昭和8年)に発表された台彎創作歌謡の一つで、現在は台彎民謡の代表曲となっています。
 片思いの乙女の心情を臨場感たっぷりに切々と歌い上げた歌詞と、その親しみやすいメロディは、84年を経た今でも全世界に在住する台湾人の琴線に触れる名曲です。


 詩題は、「春風を待ち望む」という意味ですが、ここで「春風」というのは春風そのものを意味するとともに、自分の家の戸を叩く風になぞらえて片思いの青年のことをも意味しています。


 この歌詞を現代人の感覚で読むと、単なる恥ずかしがり屋の少女の歌と解されてしまいますが、より理解を深めるためには当時の時代背景を知っておくことも有用です。


 日本統治下の1930年代においては、日本でも台湾でも女性の地位はかなり低く殆ど男性の従属物と見做されていた時代です。
 当時、乙女が恋愛のことを口にするのも憚られる時代であり、ましてや「好きです」「愛してます」などと言うのは、一部の芸者や娼婦の物言いであり、良家の子女が自分の方から男子に告白することなど決して叶わぬ夢物語の時代でした。


 このような乙女の心情は、我が国に於いても1906年1月に発表された伊藤左千夫の小説『野菊の墓』の主人公の「民子」が「政夫」に終生本心を明かせなかったことと軌を一にするものです。


 この詩を書いた李臨秋は、当時まだ23歳の青年でしたが、古典文学などに造詣が深く、『西廂記』の中の一節「隔牆花影動、疑是玉人來(垣根の向こうの花影が動いただけで、思いを寄せる素敵な人が来たようだ)」と思い込んでしまう主人公の期待に胸を膨らませる心情からヒントを得て、乙女の心のときめきを表す詩を書いたと言われています。


 詩形は、7言句5言句が連続する七五調の雑言定型詩になっていますが、平仄押韻は古来の漢詩のものではなく、あくまでも新体詩に分類されるものです。
 言語は、現在台湾国語とされている北京語ではなく、当時の台彎語で現在も本省人が使用する言語である台彎語で書かれています。
 この台彎語や閩南語のような支那南方の言語は、古代の支那語の発音を色濃く残しているので、日本の音読みの漢音に似通ったところがあります。
 なお、台彎語の発音では、各句の末が韻を踏んでいます。


  一方、作曲者の鄧雨賢は日本に留学した経験もある客家人(客家語を母語とする漢人、多くは古代支那の王族の末裔)で、多くの人々に愛される作品を残し「東洋のフォスター」とも呼ばれています。


 以下、この詩の原文と伊賀流の和訳文とを掲載し、最後に「小鄧麗君(小テレサ・テン)」とも「東方雲雀(東洋のヒバリ)」とも称される台彎の国民的歌手蔡幸娟(さい・こうけん )小姐の動画を添付して読者各位のご高覧に呈します。


望春風(春風を待ち望む)  (1933年)
李臨秋 詞 鄧雨賢 曲 (台湾語)

一節、
獨夜無伴守燈下(一人ぼっちの夜 灯りの下に近寄ると)
清風對面吹  (爽やかな風が 顔に吹き寄せてくる)


十七八歳未出嫁(十七・八の嫁入り前の私は)
遇著少年家  (若い男の人に思いがけず巡り合ったの)


果然標緻面肉白(本当に端正な色白の顔立ち)
誰家人子弟  (どちらの家の人かしら)


想要問伊驚歹勢(声をかけてみたいけれど 恥かしくて口には出せない)
心内彈琵琶  (胸の鼓動は まるで琵琶を弾く音色のよう)



二節、
想要郎君做尪婿(貴方と結ばれたいとは願うけれども)
意愛在心内  (慕う気持ちはそっと胸に秘めるだけ)


等待何時君來採(待ち望んでいるのに貴方はいつ摘みに来てくれるのでしょうか)
青春花當開  (青春の花を今まさに咲かせて待っているこの私を)


聽見外面有人來(外に誰かが来たような音が聞こえて)
開門甲看覓  (すぐに扉を開けてみた)


月娘笑阮憨大呆( お月様が私のことを笑っていたわ「お馬鹿さんね」)
被風騙不知  (「風に騙されたとも知らないで」と)


注:

 「月娘」の「娘」とは、日本語の「娘」とは逆で、「お母さん」の意です。

 「月娘」とは、直訳すれば「月母さん」ということになりますが、月のことを親しみを込めて呼んだものと見做して、「お月様」と訳してみました。




蔡幸娟-望春風HD




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