伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

仏説『父母恩重経』

 【薬師寺別当探題大僧正 高田好胤大和上遺影】


 昔、京都に住んでいた時、奈良薬師寺管長の高田好胤禅師が講ずる仏説「父母(ぶも)恩重経」の法話を聴講したことがあります。
 仏説『父母恩重経』は、『佛說父母恩重難報經』或いは『父母恩重大乗摩訶般若波羅蜜經』ともいわれる仏教典で、その内容は、父母が子を慈しみ育てる経緯を述べて、子を思う親の心と恩徳について述べたものです。
 この経は、吉川英治作「宮本武蔵」の中で、お杉婆が写経して無頼の徒に読み聞かせると、親不孝者ぞろいの荒くれどもが皆、涙にくれることでも知られています。


 「母の日」にあたり、ここにその全文の訓読文と白文とを掲載します。
 父母恩重経は、経典としては短いものですが、それでも全文となると、かなり長くなります。
 お急ぎの方は、青字で表記した「父母の十種の恩」だけご覧ください。


 なお、この経は、仏教と道教とでほぼ同じような内容のものがそれぞれ数種類づつ伝えられています。
 日本では従来から、読経は白文ではなく訓読文で行うのが常態となっていますが、それにぴったり対応する白文は見当たりません。


 訓読文は高田大僧正の著書「母(はは)父母恩重経を語る」を底本として他のテキストの内容を踏まえて微修正したものとし、白文は唐代に編纂された姚秦三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯と伝えられている「佛說父母恩重難報經」を修正なしでそのまま掲載しておきます。
 したがって、以下の訓読文と白文とは、主旨は同じですが文言が一対一で対応していないことをご了解ください。
  
【訓読文】
 かくの如く われ聞けり。
  あるとき、仏、王舎城の耆闍崛(ぎしゃくつ)山中に、菩薩・声聞(しょうもん)の衆と ともに ましましき。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・一切諸天の人民・および竜鬼神等、法を聞き奉らんとて、来たり集まり、一心に宝座を囲んで、瞬きもせず、尊顔を仰ぎみ奉りき。


  このとき、仏、すなわち法を説いて曰(のたま)わく。
  一切の善男子(ぜんなんし)・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらされば生まれず、母にあらざれば育たず。これをもって、気を父の胤(たね)に受け、形を母の胎(たい)に託す。


  この因縁(いんねん)をもってのゆえに、悲母の子を思うこと、世間に比(たぐ)いあることなく、その恩、未形(みぎょう)におよべり。はじめ胎(たい)に受けしより、十月(とつき)を経るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)、ともにもろもろの苦悩を受く。苦悩休(や)むときなきがゆえに、常に好める飲食(おんじき)・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。


  月満ち、日足りて、生産(しょうさん)のときいたれば、業風(ごうふう)吹きて、これを促(うなが)し、骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も身心戦(おのの)き恐れて、母と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属(しょしんけんぞく)みな悉(ことごと)く苦悩す。すでに生まれて、草上(そうじょう)に墜(お)つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。その子、声を発すれば母も初めて、この世に生まれいでたるが如し。


  それよりこのかた、母の懐(ふところ)を寝床(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳(ちち)を食物となし、母の情(なさけ)を性名(いのち)となす。飢えたるとき、食を需(もと)むるに、母にあらざれば喰らわず。渇(かわ)けるとき、飲(のみもの)を索(もと)むるに、母にあらざれば咽(の)まず、寒き時 服を加うるに、母にあらざれば著(き)ず。暑きとき、衣(きもの)を撤(と)るに、母にあらざれば脱(ぬ)がず。母、飢えに中(あた)るときも、哺(ふく)めるを吐(は)きて、子に啗(く)らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて、子に被(かぶ)らす。


  父にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その揺籃(ゆりかご)を離れるにおよべば、十指(じゅつし)の爪の中に、子の不浄を食らう。計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十解(こく)となす。父母の恩重きこと、天のきわまりなき如し。


  母、東西の隣里(りんり)に傭(やと)われて、あるいは水汲み、あるいは火焚(ひた)き、あるいは臼つき、あるいは臼挽(ひ)き、種々のことに服従して、家に帰るのとき、未だ至らざるに、今やわが児(こ)、わが家(いえ)に泣き叫びて、われを恋い慕(した)わんと思い起こせば、胸さわぎ、心驚き、ふたつの乳流れいでて、忍びたうることあたわず。すなわち、去りて家に帰る。


  児 遙(はる)かに母の来たるを見て、揺籃(ゆりかご)の中にあれば、すなわち、頭を揺(ゆ)るがし、脳(なづき)をろうし、外(ほか)にあれば、すなわち腹這(はらば)いして出できたり。空泣(そらな)きして、母に向かう。母は子のために足を早め、身(からだ)を曲げ、長く両手をのべて、塵土(ちりつち)を払い、わが口を子の口に接(つ)けつつ、乳を出してこれを飲ましむ。このとき、母は児を見て歓び、児は母を見て喜ぶ。両情(りょうじょう)一致、恩愛のあまねきこと、またこれに過ぎるものなし。


  二歳。懐(ふところ)を離れて、初めて歩く。父にあらざれば、火の身(からだ)を焼くことを知らず。母にあらざれば、刀(はもの)の指を落とすことを知らず。


  三歳。乳を離れて、初めて食らう。父にあらざれば、毒の命を落とすことを知らず。母にあらざれば、薬の病(やまい)を救うことを知らず。父・母、外に出でて、他の座席に行き、美味珍食(びみちんしょく)を得ることあれば、自(みずか)らこれを喰らうに忍びず、懐に収めて持ち帰り、呼び来たりて、子に与(あた)う。十度(とたび)帰れば、九度(ここのたび)まで、子に与う。これを得れば、すなわち歓喜して、かつ笑い、かつ喰らう。もし過(あやま)りて、一度も得ざれば、すなわちいつわり泣き、いつわり叫びて、父を責め母に迫る。


  やや成長して。朋友(ほうゆう)と相交わるに至れば、父は着物を求め、帯を求め、母は髪を梳(くしけず)り、髻(もとどり)を摩(な)で、己が好みの衣服は、みな子に与えて着せしめ、己(おのれ)は、すなわち古き着物、弊(やぶ)れたる着物をまとう。すでに妻を求めて、他の女子を娶(めと)れば、父母をば、うたた疎遠にして、夫婦はとくに親しみ近づき、私房(へや)の内において、妻とともに語らい楽しむ。


  父母、年たけて気老(きお)い、力衰えぬれば、頼るところのものは、ただ子のみ。頼むところの者は、ただ嫁のみ。しかるに夫婦ともに、朝(あした)より暮れに至るまで、未だ敢えて一度(ひとたび)も来たり問わず。あるいは父は母を先立て、母は父を先立てて、独り空房(くうぼう)を守りおるは、あたかも旅人の、ひとり宿に泊まるがごとく、つねに恩愛の情なく、また談笑の楽しみなし。


  夜半、寝床冷ややかにして、五体安んぜず。いわんや、被(ふすま)に蚤(のみ)・虱(しらみ)多くして、暁にいたるまで眠られざるをや。幾度(いくたび)か転々反則して、独りつぶやく。噫(ああ)、吾(わ)れ何の宿罪(しゅくざい)ありてか、かかる不幸の子をもてるかと。事ありて、子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒り罵(ののし)る。嫁も児も、これを見て、ともに罵り、ともに辱(はずか)しめば、頭(こうべ)をたれて笑いを含む。嫁もまた不幸、児もまた不順、夫婦和合して、五逆罪を造る。


  あるいはまた急用おこりて、急ぎ呼びて命ぜんとすれば、十度(とたび)呼びて、九度(ここのたび)違い、ついにきたりて給仕せず。かえって怒り罵りていわく、老い耄(ぼ)れて世に残るよりは、早く死して、この世を去られたしと。父母これを聞きて、怨念胸に塞(ふさ)がり、涕涙(ているい)瞼(まぶた)をつきて、目瞑(くら)み、心惑い、悲しみ叫びて曰く、噫(ああ)、汝(なんじ)幼少のとき、われにあらざれば養われざりき、われにあらざれば育てられざりき。しかして今に至れば、すなわちかえって、かくのごとし。噫(ああ)、われ汝を生みしも、もとより望みは外れたりと。


  もし子あり、父母をして、かくのごとき言(ことば)を発せしむれば、子はすなわち、その言とともに墜ちて、地獄・餓鬼・畜生の中にあり。一切の如来・金剛天・五通仙も、これを救い護ることあたわず。父母の恩重きこと、天の極まりなきがごとし。善男子・善女人よ、わけてこれを説けば、
  父母に十種の恩徳あり、何をか十種となす


   一には、懐胎守護(かいたいしゅご)の恩
   二には、臨産受苦(りんさんじゅく)の恩
   三には、生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩
   四には、乳哺養育(にゅうほよういく)の恩
   五には、廻乾就湿(かいかんじゅしつ)の恩
   六には、洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩
   七には、嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩
   八には、為造悪業(いぞうあくごう)の恩
   九には、遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
   十には、究竟憐愍(くつきょうれんみん)の恩


  父母の恩、重きこと天の窮まりなきがごとし。善男子・善女人よ、かくのごときの恩徳、いかにしてか報ずべき。仏、讃して宣わく


【懐胎守護の恩】
  悲母(ひぼ)、子を胎(はら)めば、十月の間に、血を分け、肉を頒(わか)ちて、身、重病を感ず。子の身体(しんたい)、これによりて成就す。


【臨産受苦の恩】
  月満ち、とき到(いた)れば、業風催促して、徧身疼痛(へんしんとうつう)し、骨節解体して、神心悩乱し、忽然(こつねん)として、身を亡ぼす。


【生子忘憂の恩】
  もしそれ平安なれば、なお蘇生(そせい)し、来たるがごとく、子の声を発するを聞けば、己(おの)も生まれ出でたるが如し。


【乳哺養育の恩】
  その初めて生みしときには、母の顔(かんばせ)、花のごとくなりしに、子を養うこと数年なれば、容貌(かたち)すなわち憔悴(しょうすい)す。


【廻乾就湿の恩】
  水のごとき霜(しも)の夜(よ)にも、氷のごとき雪の暁(あした)にも、乾ける処(ところ)に子を廻(まわ)し、湿(しめ)れる処に己(おの)れ臥(ふ)す。


【洗灌不浄の恩】
  子、己(おの)が、懐(ふところ)に不浄を漏(も)らし、あるいは、その着物に尿(いばり)するも、手づから自(みずか)ら洗いい灌(そそ)ぎて、臭穢(しゅうえ)を厭(いと)うことなし。


【嚥苦吐甘の恩】
  食味を口に含みて、これを子に哺(ふく)むるにあたりては、苦き物は自(みずか)ら飲み、甘き物は吐きて与う。


【為造悪業の恩】
  もしそれ子のために、止むをえざることあれば、躬(み)づから悪業を造りて、悪道に墜つることを甘んず。


【遠行憶念の恩】
  もし子、遠く行けば、帰りてその面(おもて)を見るまで、出でても入りてもこれを憶(おも)い、寝ても覚めても、これを憂う。


【究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩】
  おのれ生きている間は、子の身に代わらんことを思い、己(おの)れ死にさりて後は、子の身を護(まも)らんことを願う。


  かくの如き恩徳、如何にして報ずべき。しかるに長じて人となれば、声を荒らげ、気を怒らして、父の言(ことば)に順(したが)わず、母の言に瞋(いかり)を含む。すでにして妻を娶(めと)れば、父母に背き違うこと、恩なき人のごとく、兄弟を憎み嫌うこと、怨(うら)みある者のごとし。妻の親族来たりぬれば、奥の間に迎え入れて、饗応(きょうおう)し、己(おの)れが室に入れて歓談す。嗚呼(ああ)、噫嵯(ああ)、衆生(しゅじょう)顛倒(てんどう)して、親しき者は、かえって粗末に扱い、疎き者は、かえって親しむ。父母の恩重きこと、天の極まり無きがごとし。


  このとき、阿難、座より起(た)ちて、偏(ひとえ)に右の肩を袒(はだぬ)ぎ、長跪(ちょうき)合掌して、すすみて仏に告げていわく。世尊よ、かくのごとき父母の重恩を、われら出家の子は、いかにしてか報ずべき、つぶさに、そのことを説き示し給え。と


 仏、宣(のたま)わく。汝(なんじ)ら大衆、よく聴けよ。孝養の一事は、在家出家の別あることなし。出でしとき、新しき甘果(かんか)を得れば、持ち去りて、父母に供養せよ。父母これを得て歓喜し、自(みずか)ら食らうに忍びず。先ずこれを三宝(=仏・法・僧)に廻(めぐ)らし施さば、すなわち菩提心を啓発せん。父母病あらば、牀(とこ)の傍(そば)を離れず、親しく自ら看護せよ。一切のこと、これを他人に委ぬることなかれ。ときを計り、便宜を伺い、懇(ねんご)ろに粥飯(しゅくはん)を勧めよ。


  親は子の勧むるをみて、強いて粥飯を喫(きっ)し、子は親の喫するをみて、まげて己(おの)が意(こころ)を強くす。親しばらく睡眠すれば、気を静めて息を聞(か)ぎ、眠り覚むれば医者に問いて、薬を勧めよ。日夜に三宝を恭敬(くぎょう)して、親の病の癒(い)えんことを願い、つねに報恩の心を懐(いだ)きて、片時(かたとき)も亡失することなかれ。


  このとき、阿難また問いていわく。世尊よ、出家の子、よくかくの如くせば、もって父母の恩に報ずとなすや。


  仏宣わく、否、未だもって父母の恩に報ずるとはなさざるなり。親(おや)頑闇(かたくな)にして、三宝を奉ぜず。不仁にして物をそこない、不義にして物を盗み、無礼にして色に荒(すさ)み、不信にして人を欺き、不智にして酒に耽(ふけ)らば、子はまさに極諌(ごくかん)して、これを敬悟(けいご)せしむべし。もしなお闇(くら)くして、いまだ悟ること能わざれば、すなわち、ために譬えとり、類(たぐい)をひき、因果の道理を述べ説きて、未来の苦患(くげん)を救うべし。


  もしなお頑(かたく)なにして、未だ改むること能わざれば、啼泣(ていきゅう)歔欷(きょき)して、己(おの)が飲食(おんじき)を絶(た)つべし。親頑闇(かたくな)なりと雖(いえど)も、子の死なんことを懼(おそ)るるが故に、恩愛の情に牽かれて、強いて忍びて道に向かわん。


  もし親、志を遷(うつ)して、仏の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて*(いん、「徭」の「おんなへん」)せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、すなわち家門(かもん)の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞に、親族和睦(わぼく)し、婢僕(ひぼく)忠順(ちゅうじゅん)に、六畜虫魚まで、あまねく恩沢(おんたく)を被(こうむり)りて、十方の諸仏、天竜鬼神、有道(ゆうどう)の君、忠良の臣より、庶民万姓にいたるまで、敬愛せざるはなく、暴悪の主も、佞嬖(ねいへい)の輩(やから)も、兇児(きょうじ)妖婦(ようふ)も千邪(せんじゃ)万怪(ばんかい)も、これをいかんともすることなけん。ここにおいて父母、現世には安穏に住し、後世(ごせ)には善処(ぜんしょ)に生じ、仏を見、法を聞きて、長く苦輪(くりん)を脱せん。かくのごとくして、始めて父母の恩に報ずる者となすなり。


  仏さらに説(せつ)を重ねて宣わく。汝ら大衆、よく聴けよ。父母のために、心力を尽くして、あらゆる加味(かみ)・美音(びおん)・妙衣(みょうえ)・車駕(しゃか)・宮室(きゅうしつ)等を供養し、父母をして、一生遊楽に飽かしむるとも、もし未だ三宝を信ぜざらしめば、なおもって不幸となす。いかんとなれば、仁心ありて施しを行い、礼式ありて身を正し、柔和にして、辱(はずかし)めを忍び、勉強して徳に進み、意(こころ)を寂静(じゃくじょう)に潜(ひそ)め、志(こころざし)を学問に励ます者と雖(いえど)も、一度(ひとたび)酒色(しゅしょく)に溺(おぼ)るれば、悪魔たちまち隙(すき)を伺い、妖魅(ようみ)すなわち便りを得て、財を惜しまず、情を蕩(とろ)かし、忿(いかり)を発(おこ)し、怠りを増し、心を乱し、智を晦(くら)まして、行いを禽獣に等しくするにいたればなり。


  大衆よ。古(いにしえ)より今におよんで、これによりて身を亡ぼし、家を亡ぼし、君を危うくし、親を辱(はずか)しめざるはなし。この故に、沙門は独身にして、偶(つれあい)なく、その志を清潔にし、ただ道をこれ務む。子たる者は、深く思い、遠く慮(おもんばか)りて、もって孝養の軽重緩急をしらざるべからざるなり。およそこれらを父母の恩に報ずるのこととなす。


  このとき、阿難、涙を払いつつ、座より起(た)ち、長跪(ちょうき)合掌して、すすみて仏に申して申(もう)さく。世尊よ。この経は、まさになにと名付くべき、またいかにして奉持(ぶじ)すべきや。


  仏、阿難につげ給わく。阿難よ、この経は、父母恩重経と名付くべし。もし一切衆生(しゅじょう)ありて、一度(ひとたび)この経を読誦(どくじゅ)せば、すなわちもって乳哺(にゅうほ)の恩に報ずるに足らん。もし一心に、この経を持念(じねん)し、また人をして持念せしむれば、まさにしるべし、この人はよく父母の恩に報ずることを。一生にあらゆる十悪・五逆・無間(むけん)の重罪も、みな消滅して、無常道を得ん。


  このとき、梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)・諸天の人民・一切の集会(しゅうえ)、この説法を聞きて、ことごとく菩提心をおこし、五体地に投じて、涕涙(ているい)雨のごとく、進みて仏の み足を頂礼(ちょうらい)し、退きて、おのおの歓喜奉行(かんき ぶぎょう)したりき。



【白文】


 佛說父母恩重難報經 
            姚秦三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


如是我聞,一時佛在舍衛國衹樹給孤獨園,與大比丘二千五百人,菩薩摩訶薩三萬八千人俱。


爾時,世尊引領大眾,直往南行,忽見路邊聚骨一堆。爾時,如來向彼枯骨,五體投地,恭敬禮拜。


阿難合掌白言:『世尊!如來是三界大師,四生慈父,眾人歸敬,以何因緣,禮拜枯骨?』


佛告阿難:『汝等雖是吾上首弟子,出家日久,知事未廣。此一堆枯骨,或是我前世祖先,多生父母。以是因緣,我今禮拜。』


佛告阿難:『汝今將此一堆枯骨分做二分,若是男骨,色白且重;若是女骨,色黑且輕。』


阿難白言:『世尊,男人在世,衫帶鞋帽,裝束嚴好,一望知為男子之身。女人在世,多塗脂粉,或薰蘭麝,如是裝飾,即得知是女流之身。而今死後,白骨一般,教弟子等,如何認得。』


佛告阿難:『若是男子,在世之時,入於伽藍,聽講經律,禮拜三寶,念佛名號;所以其骨,色白且重。世間女人,短於智力,易溺於情,生男育女,認為天職;每生一孩,賴乳養命,乳由血變,每孩飲母八斛四斗甚多白乳,所以憔悴,骨現黑色,其量亦輕。』


阿難聞語,痛割於心,垂淚悲泣,白言:『世尊!母之恩德,云何報答?』


佛告阿難:『汝今諦聽,我當為汝,分別解說:母胎懷子,凡經十月,甚為辛苦。在母胎時,第一月中,如草上珠,朝不保暮,晨聚將來,午消散去。母懷胎時,第二月中,恰如凝酥。母懷胎時,第三月中,猶如凝血。母懷胎時,第四月中,稍作人形。母懷胎時,第五月中,兒在母腹,生有五胞。何者為五?頭為一胞,兩肘兩膝,各為一胞,共成五胞。母懷胎時,第六月中,兒在母腹,六精齊開,何者為六?眼為一精,耳為二精,鼻為三精,口為四精,舌為五精,意為六精。母懷胎時,第七月中,兒在母腹,生成骨節,三百六十,及生毛乳,八萬四千。母懷胎時,第八月中,生出意智,以及九竅。母懷胎時,第九月中,兒在母腹,吸收食物,所出各質,桃梨蒜果,五穀精華。其母身中,生臟向下,熟臟向上,喻如地面,有山聳出,山有三名,一號須彌,二號業山,三號血山。此設喻山,一度崩來,化為一條,母血凝成胎兒食料。母懷胎時,第十月中,孩兒全體一一完成,方乃降生。若是決為孝順之子,擎拳合掌,安詳出生,不損傷母,母無所苦。倘兒決為五逆之子,破損母胎,扯母心肝,踏母跨骨,如千刀攪,又彷彿似萬刃攢心。如斯重苦,出生此兒,更分晰言,尚有十恩:


第一、 懷胎守護恩;第二、 臨產受苦恩;第三、 生子忘憂恩;第四、 咽苦吐甘恩;第五、 迴乾就濕恩;第六、 哺乳養育恩;第七、 洗濯不淨恩;第八、 遠行憶念恩;第九、 深加體恤恩;第十、 究竟憐愍恩。


第一、懷胎守護恩 頌曰
累劫因緣重,今來托母胎,月逾生五臟,七七六精開。
體重如山岳,動止劫風災,羅衣都不掛,妝鏡惹塵埃。


第二、臨產受苦恩 頌曰
懷經十個月,難產將欲臨,朝朝如重病,日日似昏沈。
難將惶怖述,愁淚滿胸襟,含悲告親族,惟懼死來侵。


第三、生子忘憂恩 頌曰
慈母生兒日,五臟總張開,身心俱悶絕,血流似屠羊。
生已聞兒健,歡喜倍加常,喜定悲還至,痛苦徹心腸。


第四、咽苦吐甘恩 頌曰
父母恩深重,顧憐沒失時,吐甘無稍息,咽苦不顰眉。
愛重情難忍,恩深復倍悲,但令孩兒飽,慈母不辭饑。


第五、迴乾就濕恩 頌曰
母願身投濕,將兒移就乾,兩乳充饑渴,羅袖掩風寒。
恩憐恆廢枕,寵弄纔能歡,但令孩兒穩,慈母不求安。


第六、哺乳養育恩 頌曰
慈母像大地,嚴父配於天,覆載恩同等,父娘恩亦然。
不憎無怒目,不嫌手足攣,誕腹親生子,終日惜兼憐。


第七、洗滌不淨恩 頌曰
本是芙蓉質,精神健且豐,眉分新柳碧,臉色奪蓮紅。
恩深摧玉貌,洗濯損盤龍,只為憐男女,慈母改顏容。


第八、遠行憶念恩 頌曰
死別誠難忍,生離實亦傷,子出關山外,母憶在他鄉。
日夜心相隨,流淚數千行,如猿泣愛子,寸寸斷肝腸。


第九、深加體恤恩 頌曰
父母恩情重,恩深報實難,子苦願代受,兒勞母不安。
聞道遠行去,憐兒夜臥寒,男女暫辛苦,長使母心酸。


第十、究竟憐愍恩 頌曰
父母恩深重,恩憐無歇時,起坐心相逐,近遙意與隨。
母年一百歲,常憂八十兒,欲知恩愛斷,命盡始分離。』


佛告阿難:『我觀眾生,雖紹人品,心行愚蒙,不思爹娘,有大恩德,不生恭敬,忘恩背義,無有仁慈,不孝不順。阿娘懷子,十月之中,起坐不安,如擎重擔,飲食不下,如長病人。月滿生時,受諸痛苦,須臾產出,恐已無常,如殺豬羊,血流遍地。受如是苦,生得兒身,咽苦吐甘,抱持養育,洗濯不淨,不憚劬勞,忍寒忍熱,不辭辛苦,乾處兒臥,濕處母眠。三年之中,飲母白血,嬰孩童子,乃至成年,教導禮義,婚嫁營謀,備求資業,攜荷艱辛,懃苦百倍,不言恩惠。


男女有病,父母驚憂,憂極生病,視同常事。子若病除,母病方愈。如斯養育,願早成人。及其長成,反為不孝。尊親與言,不知順從,應對無禮,惡眼相視。


欺凌伯叔,打罵兄弟,毀辱親情,無有禮義。雖曾從學,不遵範訓,父母教令,多不依從,兄弟共言,每相違戾。出入來往,不啟尊堂,言行高傲,擅意為事。父母訓罰,伯叔語非,童幼憐愍,尊人遮護,漸漸成長,狠戾不調,不伏虧違,反生瞋恨。棄諸親友,朋附惡人,習久成性,認非為是。或被人誘,逃往他鄉,違背爹娘,離家別眷。或因經紀,或為政行,荏苒因循,便為婚娶,由斯留礙,久不還家。或在他鄉,不能謹慎,被人謀害,橫事鉤牽,枉被刑責,牢獄枷鎖。或遭病患,厄難縈纏,囚苦饑羸,無人看待,被人嫌賤,委棄街衢。因此命終,無人救治,膨脹爛壞,日暴風吹,白骨飄零。寄他鄉土,便與親族,歡會長乖,違背慈恩,不知二老,永懷憂念,或因啼泣,眼暗目盲;或因悲哀,氣咽成病;或緣憶子,衰變死亡,作鬼抱魂,不曾割捨。


或復聞子,不崇學業,朋逐異端,無賴粗頑,好習無益,鬥打竊盜,觸犯鄉閭,飲酒樗蒲,姦非過失,帶累兄弟,惱亂爹娘,晨去暮還,不問尊親,動止寒溫,晦朔朝暮,永乖扶侍,安床薦枕,並不知聞,參問起居,從此間斷,父母年邁,形貌衰羸,羞恥見人,忍受欺抑。


或有父孤母寡,獨守空堂,猶若客人,寄居他舍,寒凍飢渴,曾不知聞。晝夜常啼,自嗟自歎,應奉甘旨,供養尊親。若輩妄人,了無是事,每作羞慚,畏人怪笑。


或持財食,供養妻兒,忘厥疲勞,無避羞恥;妻妾約束,每事依從,尊長瞋呵,全無畏懼。


或復是女,適配他人,未嫁之時,咸皆孝順;婚嫁已訖,不孝遂增。父母微瞋,即生怨恨;夫婿打罵,忍受甘心,異姓他宗,情深眷重,自家骨肉,卻以為疏。或隨夫婿,外郡他鄉,離別爹娘,無心戀慕,斷絕消息,音信不通,遂使爹娘,懸腸掛肚,刻不能安,宛若倒懸,每思見面,如渴思漿,慈念後人,無有休息。


父母恩德,無量無邊,不孝之愆,卒難陳報。』


爾時,大眾聞佛所說父母重恩,舉身投地,搥胸自撲,身毛孔中,悉皆流血,悶絕躄地,良久乃蘇,高聲唱言:『苦哉,苦哉!痛哉,痛哉!我等今者深是罪人,從來未覺,冥若夜游,今悟知非,心膽俱碎,惟願世尊哀愍救援,云何報得父母深恩?』


爾時,如來即以八種深重梵音,告諸大眾:『汝等當知,我今為汝分別解說:假使有人,左肩擔父,右肩擔母,研皮至骨,穿骨至髓,遶須彌山,經百千劫,血流沒踝,猶不能報父母深恩;假使有人,遭飢饉劫,為於爹娘,盡其己身,臠割碎壞,猶如微塵,經百千劫,猶不能報父母深恩;假使有人,為於爹娘,手執利刀,剜其眼睛,獻於如來,經百千劫,猶不能報父母深恩;假使有人,為於爹娘,亦以利刀,割其心肝,血流遍地,不辭痛苦,經百千劫,猶不能報父母深恩;假使有人,為於爹娘,百千刀戟,一時刺身,於自身中,左右出入,經百千劫,猶不能報父母深恩;假使有人,為於爹娘,打骨出髓,經百千劫,猶不能報父母深恩;假使有人,為於爹娘,吞熱鐵丸,經百千劫,遍身焦爛,猶不能報父母深恩。』


爾時,大眾聞佛所說父母恩德,垂淚悲泣,痛割於心,諦思無計,同發聲言,深生慚愧,共白佛言:『世尊!我等今者深是罪人,云何報得父母深恩?』


佛告弟子:『欲得報恩,為於父母書寫此經,為於父母讀誦此經,為於父母懺悔罪愆,,為於父母供養三寶,為於父母受持齋戒,為於父母布施修福,若能如是,則得名為孝順之子;不做此行,是地獄人。』


佛告阿難:『不孝之人,身壞命終,墮於阿鼻無間地獄。此大地獄,縱廣八萬由旬,四面鐵城,周圍羅網。其地亦鐵,盛火洞然,猛烈火燒,雷奔電爍。烊銅鐵汁,澆灌罪人,銅狗鐵蛇,恆吐煙火,焚燒煮炙,脂膏焦燃,苦痛哀哉,難堪難忍,鉤竿槍槊,鐵鏘鐵串,鐵槌鐵戟,劍樹刀輪,如雨如雲,空中而下,或斬或刺,苦罰罪人,歷劫受殃,無時暫歇,又令更入餘諸地獄,頭戴火盆,鐵車碾身,縱橫駛過,腸肚分裂,骨肉焦爛,一日之中,千生萬死。受如是苦,皆因前身五逆不孝,故獲斯罪。』


爾時,大眾聞佛所說父母恩德,垂淚悲泣,告於如來:『我等今者,云何報得父母深恩?』


佛告弟子:『欲得報恩,為於父母造此經典,是真報得父母恩也。能造一卷,得見一佛;能造十卷,得見十佛;能造百卷,得見百佛;能造千卷,得見千佛;能造萬卷,得見萬佛。是等善人,造經力故,是諸佛等,常來慈護,立使其人,生身父母,得生天上,受諸快樂,離地獄苦。』


爾時,阿難及諸大眾、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩侯羅伽、人非人等、天、龍、夜叉、乾闥婆、及諸小王,轉輪聖王,是諸大眾聞佛所言,身毛皆豎,悲泣哽咽,不能自裁,各發願言:我等從今盡未來際,寧碎此身猶如微塵,經百千劫,誓不違於如來聖教;寧以鐵鉤拔出其舌,長有由旬,鐵犁耕之,血流成河,經百千劫,誓不違於如來聖教;寧以百千刀輪,於自身中,自由出入,誓不違於如來聖教;寧以鐵網周匝纏身,經百千劫,誓不違於如來聖教;寧以剉碓斬碎其身百千萬段,皮肉筋骨悉皆零落,經百千劫,終不違於如來聖教。』


爾時,阿難從於坐中安詳而起,白佛言:『世尊,此經當何名之?云何奉持?』


佛告阿難:『此經名為父母恩重難報經,以是名字,汝當奉持!』


爾時,大眾、天人、阿修羅等,聞佛所說,皆大歡喜,信受奉行,作禮而退。
 



 合掌🙏