伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

西国三十三所


 西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ、さいこくさんじゅうさんしょ)とは、近畿2府4県と岐阜県に点在する33箇所の霊場の総称で、これらの霊場は全て観音菩薩〔観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、観自在菩薩(かんじざいぼさつ)ともいう。〕を本尊としています。。
 西国三十三所の霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、各寺院には現在でも多くの参拝者が訪れています。


 「三十三」とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき相手に応じて33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳にあずかるために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされています。


 なお、三十三所の霊場では、菩薩の三十三全ての姿が見られるわけではありません。
 なぜなら、これらの霊場で祀られている観音菩薩は、観音経の三十三身の区分ではなく、日本独自に区分した「六観音」の発展形である「七観音」の区分に依っているからです。
 「六観音」とは、六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたものです。
 真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を「六観音」と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音としています。
 真言系の「六観音」に天台系の不空羂索観音を加えたものを「七観音」と称し、西国三十三所のご本尊は、「七観音」のうちのいずれかになっているので、複数の霊場で同じ観音菩薩を本尊としている所も多々あります。


 西国三十三所の始まりは、養老2年(718)大和国(現奈良県)の長谷寺の開基である徳道上人が62歳になって、病のため死線をさまよって冥土の入り口まで行った時に閻魔大王に出会い、大王から『生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いので何とかしたい。西国の三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので巡礼を勧めて人々を救うように』とのご託宣を受けるとともに、起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻されたことから、この宝印に従って霊場を定めたとされています。


 霊場は一般的に「札所」と呼ばれていますが、これはかつての巡礼者が本尊である観音菩薩との結縁を願って、氏名や生国を記した木製や銅製の札を寺院の堂に打ち付けていたことに由来します。
 現在の札所では参拝の後、写経と納経料を納め、納経帳や掛け軸などに宝印の印影を授かるようになっています。


 三十三の霊場の他に、番外霊場として開基である徳道上人や一旦廃れてしまった巡礼行を再興させた花山法皇(花山院)ゆかりの寺院や日本仏教最初の寺院などが数箇所あり、その内の幾つかも回ることが多いのですが、これらはあくまでも番外であり、特にどこを回るかの定めは有りません。


 第一番から第三十三番までの巡礼道は約1000kmであり四国八十八箇所の遍路道約1400kmと比較すれば短いのですが、京都市内をのぞいて札所間の距離が長いため、現在では全行程を歩いて巡礼する人はとても少なく、自家用車や公共交通機関を利用する人がほとんどです。


 なお、病気や怪我などで巡礼できない人も、地獄に落ちるのではないかなどと心配する必要はありません。
 閻魔大王は、三十三所を巡礼しなければ地獄に落とすなどとは、一言も言っていません。
 大王の真意は、観音菩薩の知恵と慈悲とをこの世に広めて悪を払い、衆生を救済することにあります。
 霊場巡礼が始まって1300年間、自ら書いた写経を納めることを本旨とするのは、仏陀の教えを理解することが目的であり、巡礼そのものは、そのための一手段に過ぎないことを示しています。
 ましてや、何が何でも自分の足で歩き通さねば巡礼ではない、歩いて巡礼しなければご利益がないとする偏狭な方法論に拘泥する必要はありません。


 今年は三十三所が指定されてから1300年の節目にあたります。
 読者各位におかれましても、お暇な時に一度くらいはお参りしてみるとよろしいかと存じます。


 なお、伊賀山人は仏教徒ではありませんが、歴史と伝統に触れて浩然の気を養うために、偶にはお寺にも行きます。



 【宝印・朱印・墨書の一例:西国一番那智山青岸渡寺】

 

: 

 右から「西國第壱番札所

    「(宝印)*」

    「那智山 納経所

  *〔宝印には、蓮華座に火炎宝珠を置く。宝珠に梵字「キリク」で

   本尊如意輪観音の種子(しゅじ:仏尊を象徴する一音節の呪文)

   を記す。下部に山号「那智山」と記す。〕


墨書

 右から「奉拝

    「普照殿(観音菩薩が安置されている建物)」

    「那智山(山号)」

    (左上の数字は記帳年月日)


 なお、書式は固定的なものではなく、「(山号)」の代わりに「(寺号)」、「奉拝」の代わりに「(山号)」を入れるなど寺院ごとに流儀があり、また記帳の時期や記帳台紙の種類によっても様式が異なる。

 当然、書体は記帳所でその時書いた人によって異なる。