伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

慈母観音


 観音菩薩は、様々な姿でこの世に現れます。
 これは、あまねく衆生を救うために、観音菩薩が相手の性格や仏の教えを聞ける器量に応じて、種々の形体を現じるためです。
 これを観音の「普門示現(ふもんじげん)」といいます。
 法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、観音は「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、三十三の姿に変身すると説かれています。


 後世、この普門示現の考え方から、日本では六観音、七観音、十五尊観音、三十三観音など多様多種な別身を派生するに至りました。


 これらは、観音経に見える観音三十三応現身に対応するものもあれば、そうでないものもあります。
 相手に応じてその姿を変えるという観音菩薩本来の変幻自在な姿から考えると、どのようなお姿であっても偽物ではありません。
 そもそも、観音菩薩の性別は、華厳経に「勇猛なる丈夫、観世音菩薩」と書かれているように元々は男性形でした。
 ところが、観音経に「婦女に対しては、婦女の姿に変身して説法する。」と書かれていることから、次第に性別は無いものと考えられるようになりました。


 「慈母観音」は、白衣を纏っている場合には「白衣観音」の一形体であり観音三十三応現身の「比丘身」と「比丘尼身」に対応しています。
 この像形は、仏教が支那に伝わった後、観音信仰が道教の媽祖信仰や興林国の妙善姫伝説などと融合して、13世紀末の宋代から現代の初めにかけて完成した像形で、その後多くの慈母観音像が作られています。


 「慈母(じぼ)観音」は、「悲母(ひぼ)観音」ともいいますが、厳密には「慈母」とは「樂」を与えることを、「悲母」とは「苦」を取り除くことを意味しています。


 所によって、「子安観音」「子育て観音」と呼ばれている観音も「慈母観音」の一種ですが、この名称は支那から慈母観音が伝わった後に日本で付けられたものです。
 なお、江戸時代に隠れ切支丹が信奉していた俗に「マリア観音」と呼ばれるものは、16世紀に支那で数多く作られた慈母観音の青磁・白磁の像を輸入してマリアと幼子キリストに擬したもので、これは本来切支丹とは無関係であくまでも子供を抱く観音菩薩です。


 「慈母観音」は、母が子に対するが如く、どこまでも深く大きい慈悲の心を持ち、温かい慈しみの眼差しで、常に子供たちを見守る心優しい菩薩さまなのです。



 【久留米大観音 (救世慈母大観音) 大本山成田山久留米分院 福岡県久留米市 】
   高さ62.0m  1982年 建立



 【会津慈母大観音  法國寺会津別院 福島県会津若松市】
     高さ 57.0m  1987年建立



 【加賀大観音  観音院加賀寺 石川県加賀市】
     高さ 73.0m  1988年建立



 【湯ノ岳平和観音 福島県いわき市】
  高さ約17m 2003年同市内のテーマパーク「仏の里」(1971年閉鎖)から移設。
  移設前の名称は「藤原慈母観音」で、1986年建立




  「私には親も子供もいないから、関係ないわよ!」
   と言っているそこのあなた~
   観音さまから見れば、衆生は尽く御仏の子供なのですよ~


    We are the world, we are the children.


     南無觀世音菩薩~🙏



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