伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

I LOVE YOU 


 『I LOVE YOU(アイ ラブ ユー)』は、日本のシンガーソングライター、尾崎豊(おざき ゆたか、1965年11月29日 - 1992年4月25日)が1983年12月1日、高校在学中に発表したファースト・アルバム『十七歳の地図(じゅうななさいのちず)』に収録されている楽曲で、1991年3月21日にはシングル・カットしてリリースされています。


 この曲が創作された経緯は、尾崎のデビュー・アルバムである『十七歳の地図』の制作も終盤に差し掛かった頃に、プロデューサーである須藤晃から「曲が足りないからバラードを一つ書いてきてくれ」と言われた尾崎がその場で、ほぼ即興的に創作した楽曲のようです。


 その後、この曲は尾崎の代表曲として生前のライブでもほぼ欠かさず演奏されており、彼の死後も様々なメディアに使用され、また多くのミュージシャンによってカバーされています。


 尾崎本人としてはそれほど大した楽曲とは認識しておらず、さらなる完成度の高い楽曲の制作を目指していましたが、急場しのぎで作った楽曲だけに、却って音楽的にはわざとらしさのない素直な楽曲に仕上がっており、アジアのみならず世界各国の歌手にカバーされてカバー曲を含めた総売上は全世界で1,000万枚を超える大ヒット作になっています。


 その後の尾崎は、「社会への反抗・疑問」や「反支配」をテーマにした歌を数多く創作して、マスメディアからは「10代の教祖」「若者のカリスマ」などとも呼ばれて一世を風靡しました。
 ところが、20歳を過ぎて今まで自分が批判してきた大人の立場になってからは音楽の方向性を見失い、突然無期限活動休止を宣言し単身渡米をします。
 帰国してからは、詩想を「真実の愛」「贖罪」「罪」といったものに変えて一時的には人気を取り戻します。
 しかしながら、自らの独立事務所を起ち上げてからは業務に多忙を極め、心身ともに疲労困憊して精神に変調をきたし覚醒剤を濫用するようになります。
 そして、1992年(平成4年)4月25日早朝、自宅から500メートルの民家の庭で倒れて、一旦は帰宅したもののその後容体が急変し救急車で日本医科大学付属病院に搬送されて手当てを受けますが、午後0時6分に26歳の短い生涯を閉じました。
 死因は、覚醒剤中毒 (メタンフェタミン中毒) に起因する肺水腫でした。


 本記事執筆に先立ち、尾崎の著書を数冊読んでみましたが、彼の簡明な作詞からはうかがい知れないほどの豊富な語彙を駆使しています。
 或いは、尾崎からの聞き取りでゴーストライターが代筆しているのかもしれませんが、その内容となる思想には、当時の20歳前後の若者には珍しく年齢以上に哲学的なものがありました。


 尾崎の思想や活動、若者におけるカリスマ的人気などは、中学・高校などの教育現場では長らくタブー視されて来ましたが、死後十年以上経った頃から、評価も変わって来ており、高校教科書に顔写真や『15の夜』の歌詞が掲載されて「1980年代に活躍し、夭折したシンガーソングライター」「自ら作詞・作曲した歌の世界に没頭しながら全身全霊をこめて歌い」というように肯定的に記述されています。

『高等学校 新倫理 - 人間とは何か 思索の糧に - 』( 清水書院、2002年)

『新課程用 倫理用語集』(山川出版社、2005年)


 本日、夭折の天才尾崎豊が26歳の生涯を閉じてから26回目の命日です。  合掌



 I LOVE YOU 
                       作詞 / 作曲:尾崎豐 原唱:尾崎豐
I love you 今だけは悲しい歌 聞きたくないよ
I love you 逃れ逃れ 辿り着いたこの部屋
何もかも許された 恋じゃないから
二人はまるで 捨て猫みたい
この部屋は 落葉に埋もれた空き箱みたい
だからおまえは 小猫の様な泣き声で

I LOVE YOU 唯獨現在,不想再聽那悲哀的歌了
I LOVE YOU 逃啊逃啊,到達了這所房子
因為不是能被包容一切的戀愛
令我們二人像是被捨棄的貓那樣
這所房子彷如被落葉鋪滿的空箱
為此,妳發出像小貓那樣的哭聲


きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は 目を閉じるよ
悲しい歌に 愛がしらけてしまわぬ様に

在吱吱作響的床上,我們聚集溫柔
緊緊地抱著對方的身軀
接著我們二人再次閉上兩眼
讓愛在哀歌中永不褪色


I love you  若すぎる二人の愛には 触れられぬ秘密がある
I love you 今の暮しの中では 辿り着けない
ひとつに重なり 生きてゆく恋を
夢見て 傷つくだけの二人だよ
何度も「愛してるっ?」て聞くおまえは
この愛なしでは 生きてさえゆけないと

I LOVE YOU 過份年青的二人的愛存在著不可以觸碰的秘密
I LOVE YOU 現在的生活,已經無法到達目標
我們是夢想著一起生活的戀愛
而互相傷害的兩個人
問了很多次「你愛我嗎?」的妳
對我說沒有這份愛就活不下去


きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は 目を閉じるよ
悲しい歌に 愛がしらけてしまわぬ様に

在吱吱作響的床上,我們聚集溫柔
緊緊地抱著對方的身軀
接著我們二人再次閉上兩眼
讓愛在哀歌中永不褪色


それからまた二人は 目を閉じるよ
悲しい歌に 愛がしらけてしまわぬ様に

接著我們二人再次閉上兩眼
讓愛在哀歌中永不褪色




尾崎豊 Yutaka Ozaki I Love You 中文字幕


 尾崎豐(日文:尾崎豊,1965年11月29日-1992年4月25日),日本歌手,作詞家、作曲家。對日本樂壇留下深刻影響,尤對當時年輕一代衝擊最鉅,人稱「10代的教祖」。於1992年過世,然而其名曲如《I Love You》、《Oh My Little Girl》等,在他過世後二十餘年的今天仍被不斷地翻唱與流傳。


概要

 1983年,17歲的他以單曲『15之夜』和專輯『十七歲的地圖』出道。從第四張單曲『畢業』開始知名度大開。以唱出追求自由與夢,面對學校社會的不合理的反叛心聲而聞名,並在當時的年輕一代中成為極具感染力的存在。代表曲『畢業』,『I LOVE YOU』,『OH MY LITTLE GIRL』。等


 在26歲突然的死亡給予愛好者極大的衝擊,現在還懷念尾崎的愛好者依然不乏。


經歷

 1965年,尾崎豐在東京都練馬區出生,是二人兄弟的次子。練馬區立田柄第二保育園練馬區立田柄第二小學入學。後來一家在1976年8月12日搬到崎玉縣朝霞市,於是在小學五年級下學期轉學到朝霞市立小學。因為父親是防衛廳職員,小時候活動範圍常在陸上自衛隊練馬軍區和朝霞軍區附近,母親是保險的外勤員生活。家境絕不富裕,但也稱得上小康,並是個重視教育的家庭。


 初中,根據本人希望,越境到向練馬東初中(俗稱·neritou)入學。練馬東初中時代,擔任學生會副會長。高中青山學院高等部合格。並且,1月15日接受了陸上自衛隊少年工科學校錄取率20分之1的困難考試,成功錄取。但由於該校規定剪短頭髮,他放棄該資格而選擇青山學院就讀。之後卻在青山學院高等部在校中遭學校受到無期停學處分,這也是製作最初專輯的契機。出席日數不夠而被留級,而他自己決定退學。


 初次亮相時,當初口耳相傳而知道他的愛好者其實不少。所以最初專輯『十七歲的地圖』第一批銷售三千張的成績,算是有點意外的少。之後的單曲『畢業』受到歡迎,才確立了他事業的一定地位,並被一些音樂評論家大為稱讚,也很早就有音樂雜誌製作他的特集。雜誌上的照片依尾崎本人意願,10幾歲時的照片全部以黑白照片刊載。


 由於初期大量把對大人和社會的反抗做為題目的歌,被報紙等媒體稱為「10代的教祖」,不過,本人及許多長久支持者說過其實討厭這樣的名稱。然而其曲確實與當時社會校園破壞與叛逆行為的增長有關(深夜弄碎初中的窗戶玻璃等行為的人在尾崎出道前早已有,不過,一般認為這些年輕人的行為和單曲「畢業」的歌詞也有關)。另外,研究尾崎歌詞的愛好者中,有些人對校園破壞行為是持肯定看法的,這也受到了批判。


死亡

 1992年4月25日早晨,尾崎豐被居民發現倒在東京都足立區千住河原町的平房屋簷下,且渾身是傷。居民通報後,他被送醫觀察,但醫生的診斷僅是「飲酒過量」。之後尾崎豐和妻子一起安然回到家中。然而就在當天下午,家人發現他已經呼吸停止,並緊急通報救護車送往日本醫科大學附屬醫院急救。急救無效,宣告死亡,那年的他只有26歲,留下妻子與一個兩歲的兒子。


 調查後的正式官方死因是「使用藥物過量引起的肺水腫」。但尾崎豐在死前渾身的傷痕與瘀青,當局卻無法解釋,於是他殺的說法也廣為流傳著。但儘管如此疑點重重,當局的最後結論仍沒有改變。


 喪葬儀式是東京都文京區進行,喪禮現場追悼者多達四萬餘人,僅次於美空雲雀,吉田茂的規模 ,墓地在崎玉縣所澤市。


 現在,尾崎死亡當天清晨倒臥著的地方:千住河原町的民房,因屋主的好意對外開放,名為「尾崎ハウス」(尾崎House),安有許多紀念物,時有往來旅者駐足致意。


評價

 尾崎代表曲『I LOVE YOU』這些年來被亞洲各國的歌手翻唱,原曲與翻唱曲的銷量在全世界已經達到1000萬張以上。在他的時代,其帶叛逆的思想因受到大批年輕人的歡迎,所以在學校等教育機構是被視為禁忌人物的。但在他從死後十數年後開始到現在,評價已經改變,甚至在日本高中教科書正面有著他的半身照片與『15之夜』的歌詞。


 他在2003年HMV進行的「日本史上100位偉大音樂家」評鑑中,名列第23。2004年,日本樂壇眾多歌手包括Mr.Children、宇多田光、槙原敬之等人合作製作了尾崎豐致敬專輯A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI。這張由他作詞作曲的致敬專輯取得了Oricon冠軍 - 在他過世的整整12年後。


 他的著作『Oh My Little Girl』被選為鈴木保奈美和三上博史主演日劇『愛,沒有明天』主題曲,再度在日本暢銷狂賣百萬張,但尾崎豐仍只靜靜地躺在地下。『尾崎豐物語』充滿傳奇,全源自一捲黑色的試聽卡帶。這捲『十七歲的地圖』的卡帶,改變了八十年代的日本流行音樂。

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