伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

歳暮の伊賀山居

 今日の伊賀山居の風景を、漢詩とともにご紹介します。
 詩は、陶淵明の「飲酒その五」に倣って、思いつきで適当に作ったもので、地名等は実在のものとは関係ありません。



 【伊賀山居】


 廬(いおり)を結んで人境に在り 
 山奥の一軒家ではなく、人里に居を構えている


 昨年1階の事務所部分の壁をクリーム色に塗り、今年は2階の居室部分の壁をアイボリーに塗りました。



 【山居の西を流れる長江】


  而(しか)るに俗塵(ぞくじん)の牽(ひ)くこと無し
 人里ではあっても、俗世間からは離れた生活を送っている


 この川には、台灣料理に使われる「田ウナギ」というウナギのような姿の魚が棲息していますが、食したことはありません。



 【床の間】


 狗(いぬ)に問う 何(なん)ぞ能く爾(しか)ると
 試しに犬に聞いてみた どうしてそのようなことが出来るのかと


 背面の掛け軸には、最近岡山の実家から持ち帰った風鎮(ふうちん:掛け軸が風で飛ばぬようにするための重し)を取り付けていますが、隙間風が吹き込むわけではありません。単なる飾りです。
 なお、この風鎮には「縞瑪瑙(しまめのう)」との表示がありましたが、宝石の瑪瑙ではなく、縞模様の入った大理石のことを、掛け軸業界では「縞瑪瑙」と称します。




  【山居から望む終南山】


 心遠ければ地自(おのず)から偏(へん)なり
 「心を長閑に保っていれば 住宅地でも僻地に居るようなものなのだ」と犬が答えた


 左の建物は、スーパーマーケットの「アピタ」です。今年の台風で、太陽光発電のパネルが半分ほど落下して、未だに修理中です。



 【ワケギ(冬蔥)】


 種蔥(ねぎ)を種(う)うる東籬(とうり)の下(もと)
 ネギを東側の垣根の下に植えた


 プランターの向こう側の花壇には、昨日、ミニタマネギを植えました。



 【紅葉した南天の木】


 悠然として南天を見る
 ふと眼を上げると紅葉したナンテンの紅い実の向こうに南の青い空が見えた


 南天が、何もない冬の伊賀山居を彩っています。



 【山居の北へ通ずる絲綢之路(シルクロード)】


 山氣日夕に佳(よ)く
 山の気配は昼も夜も共に好く


 この道路が、伊賀山人のランニングコースです。



 【秋の名残りのコスモス】


 秋櫻(しゅうおう)餘年(よねん)を樂しむ
 最後のコスモスが残り少ない花の命を楽しんでいる


 伊賀山人大花園の秋に咲き誇ったコスモスも終焉を迎えています。


 

 【山居の玄関】


 此の中に眞意(しんい)有り
 このような自然の中にこそ他人の指図を受けない人生の真の姿があるのだ


 この山居の中には、真意は有ってもお金は有りません。空き巣狙いはお断りします。



 【彌勒菩薩半跏思惟像 国寶彫刻第一號京都廣隆寺靈寶殿安置】


  辨(べん)ぜんと欲っして已(すで)に言(げん)を忘(わす)る
 それを説明しようとするのだが、上手に語る言葉を忘れてしまった


 画像は、日本一美しい仏像とされている広隆寺の弥勒菩薩です。
 「半跏思惟」とは、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて、生あるもの全てを救済する法を思索する(思惟)姿を言います。


 日本の弥勒菩薩は全てこのようなスマートなスタイルですが、台湾などの漢文化圏では七福神の布袋様が弥勒菩薩の現世に現れた姿とされており、どこの寺院でも、弥勒菩薩は破顔と太鼓腹で膝を崩した風姿になっています。



 擬陶淵明飲酒其五


結廬在人境, 而無俗塵牽。
問狗何能爾, 心遠地自偏。
種蔥東籬下, 悠然見南天。
山氣日夕佳, 秋櫻樂餘年。
此中有眞意, 欲辨已忘言。



 扶桑彌勒菩薩似美麗島仙女