日本の昔話に関する一考察
(ⓒ画像著作権不詳)
日本には、数多くの昔話が語り伝えられています。
その多くは荒唐無稽な話でもあり、必ずしも文学的評価の高いものではありません。
昔話で語られていることの全てが「真実」とは言えないのも確かでしょう。しかしながら、それらが現在まで語り継がれ、今でも日本人の心の中に脈々と生き続けていることは、まぎれもない「現実」なのであります。
それでは何故に、作り話に過ぎず文学的価値も低いと看做されている昔話が、現在まで我が国の津々浦々に、その形を変えながらも連綿と受け継がれているのでありましょうか。
実は、昔話には、単なる文学論では評価することのできない、歴史的に重要な価値があるからに他ならないのであります。
一見、支離滅裂とも言えるその内容の中に、その時代の森羅万象などの社会環境や、昔の人々のものの見方、考え方などの意識構造が、子供にも理解できる例え話として、包括的かつ間接的に表現されているのです。更には、先人が後世の為に残すべしと考えた人生の道標とも言うべき数多の教訓が、言の内外を問わず随所に綺羅星のごとく散りばめられているのであります。
この貴重な教訓を含む昔話を、自分一人の心中に留めおくのは如何にも惜しいことと考え、山の神にも一話、余すところなく語って聞かせました。
【こぶとり爺さん】
伊賀山人: 「昔、昔、ある所に、少し太ったお爺さんが住んでおりました。」
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山の神: 『それから?』
伊賀山人: 「だから、昔、ある所に、少し太ったお爺さんが住んでいたのだ。」
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山の神: 『それだけ?』
伊賀山人: 「うむ。」
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山の神: 『・・・?』
《子曰く、人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや。 (『論語』学而篇抜粋)》
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