伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

八(やつ)になりし時、父に問ひて言はく(兼好法師)

(アニメ古典文学館「徒然草」から引用)


 徒然草は、「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と書かれた序段に続く本文の第1段から第243段までの計244段からなる随筆です。


 本文の第1段から第242段までは、世間の様相や日常生活などの話題や、学術・芸術に関することや、心理・宗教などの哲学的なものなど、広範多岐に亘る題材を兼好法師の深い教養と優れた洞察力により、合理的・論理的に述べられています。


 ところが、最後の第243段だけは、それまでの段と全く趣を変えて、唯一、家族のことが述べられています。その内容は、兼好法師八歳の折の父親との会話を懐かしく思い起こすものとなっています。


 この最終段は、それまでの段とは余りにも様相を異にする為、学者によってはこの段はないほうがよいと極論する者すらいますが、私の好きな段の一つですので、その口語訳をご紹介します。



 徒然草第243段(八(やつ)になりし時父に問ひて言はく)


 八歳になった時、
 父に質問して、「仏とはどのようなものでしょうか」と言った。
 父が言うには 『仏には人が成るのだ』と。
 また質問した。「人はどのようにして仏に成るのでしょうか」と。
 父は又、   『仏の教えによって成るのだ』と答えた。
 又質問した。 「人に教える仏を、何者が教えたのでしょうか」と。
 又答えた、  『それもまた、その前の仏の教えによって仏にお成りになったのだ』と。
 又質問した。 「その教え始められた最初の仏は、どんな仏でしょうか」と言った時、
 父は、    『空から降ってきたのか、土からわいてきたのか』といって、笑った。


        『問い詰められて、答えられなくなりました』と、父は諸々の人々に
 語っては面白がった。



 この段は、八歳になった兼好が「仏とは何ぞや?」と父親に質問したところ、父親がそれに答えますが、兼好が納得せず、次々と質問を重ねてゆきます。父親もうるさがることもなく、次々と回答しますが、遂に答えられなくなって笑ってごまかします。
 そして、父親はそのことを不快に思うのではなく、聡明な息子を誇りに思って、会う人毎に、「いやぁ~ 父さん、兼好に一本とられた。はっはっはっ~」と語って面白がったいうことが書かれているのです。


 この「仏とは何ぞや?」と言う疑問は、実は誰にもこたえられない難問なのです。「仏とは悟りを開いた人である」とか、「仏とは生命である」とか、通り一遍のことは誰でも答えられるでしょう。しかし、「悟りとは何ぞや?」、「仏界以外の九界に属する生命も仏なりや?」などと次々に問い詰められて、それに合理的・論理的に答えられる人はいないでしょう。もし答えられるとしたなら、それは抽象的・概念的な禅問答の域を出ないものでしょう。


 この難問は、取りも直さず「そもそも人類は何故に存在するのか?」という古今東西の哲学者永遠の謎と、根は同じなのであります。


 この最終段を書いていた時の兼好法師、当時としては既に晩年ともいえる齢四十八歳となっておりました。
 それでも、この難問の答えは、既に父の年齢を超えた兼好法師にも、見つかってはいなかったのでしょう。


 徒然草全244段を通ずる兼好法師の真理を追求する姿勢は、40年前の八歳のころから既に芽生えていたのであります。


 「この父にしてこの子あり」 もし兼好法師の父親が、子供の質問をうるさがり、不快に感じて怒り出すような人であったとしたなら、聡明な兼好の成長の芽は摘み取られてしまい、徒然草は永久にこの世のものにはならなかったことでしょう。


 兼好法師が、自分の人生の旅路を締めくくる意味もあって、今は亡き優しかった父親との遠い思い出に寄せて、終生変わらぬ真理を追究する姿勢を、徒然草の最終段で述べたのでありましょう。


 日本文学不朽の随筆、徒然草全244段を締めくくるに相応しい、父子の麗しき情を表す心温まる一文であります。