伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

魂縈舊夢 (魂は過去を夢見る)


 『魂縈舊夢(こん えい きゅう む)』は、上海の女優兼歌手であった白光 (バイ・クァン、 1921年-1999年8月27日)が、1943年3月に発表した楽曲です。
 作詞は水西村、作曲は侯湘ですが、この二人については資料が乏しく詳細は不明です。


 白光は、戦前、日本の東京女子大学に公費留学して音楽を学んだ後、1942年に上海で歌手デビュー、翌1943年には『戀之火』で女優として映画デビューもしています。
 戦後は、香港に移って引き続き歌手兼女優として活躍した後、1953年に芸能界を引退しました。
 それから一時期、日本でナイトクラブの経営をしていましたが、程なく撤退し1969年に訪れたマレーシアのクアラルンプールで、彼女より20歳若いファンの顔良龍と知り合って結婚します。
 その後二人は白光が世を去るまで、クアラルンプールで30年間睦まじく連れ添っています。


  マレーネ・ディートリッヒを思わせる細い描き眉、豹のような身体の脚線美が妖艶だったことから「一代妖姫」と呼ばれ、同名の映画にも出演しています。



 『魂縈舊夢』とは、直訳すると「魂は古い夢を巡る」ということになりますが、歌詞の内容は、主として青春時代の春景色を縷々述べて、最後にそれは昨夜の夢だったと詠じて結んでいます。
 「古い夢」らしきものが見当たらないので、伊賀流和訳としては、「 心は過ぎ去りし日々を夢見る」の意で解釈しておきました。
 また、歌詞の最後の方に見える「石榴殷紅(ザクロが赤黒い)」の句は、前後の脈絡がなく分かりにくい一句ですが、北宋の詩人王安石(1021~86)の作と伝えられている詩『詠石榴(ざくろをうたう)』の「萬緑叢中紅一點 動人春色不須多(ばんりょくそうちゅうこういってん ひとをうごかすにしゅんしょくおおくをもちいず)」を踏まえたものと考えます。
 つまり、「見渡す限りの緑の草むらに只一つの紅いザクロの花がある それだけで人は感動する、春景色に多くのものは必要ない」との意で、この歌の主人公が自らを紅一点のザクロの花に擬えたものとして解釈しておきます。


 今回は、白光(バイ・クァン)の台詞入りの原唱版と蔡琴(ツァイ・チン)の台詞部分のないカバー版とをご紹介します。
 白光はタンゴ調で突き放したような歌い方ですが、蔡琴の方はブルース調でしみじみと歌い上げています。
 


 魂縈舊夢    
 魂は過去を夢見る
              作詞:水西村 作曲:侯湘


花落水流 春去無蹤 
只剩下遍地醉人東風
桃花時節 露滴梧桐 

那正是深閨話長情濃
花は散り川は流れ 春は過ぎ去って跡形もなく 
ただ人を酔わせる春風だけが残って広く一面に吹き渡っている
桃の花の咲く時節 露は青桐に滴り
寝室の奥では言葉は尽きず 濃やかに愛を交わした


青春一去 永不重逢 
海角天涯 無影無蹤
燕飛蝶舞 各分西東 
滿眼是春色 酥人心胸

青春は一度去ると 永遠に二度とは帰ってこない
海の彼方 天の果てまで 影も形もない
燕が飛び 蝶が舞い それぞれ西や東へと飛び去って行く
見渡す限りの春景色が 人の胸奥を蕩(とろ)かした


《白》 

花落水流﹑春去無蹤﹐

只剩下遍地醉人的東風﹔

玫瑰般的美麗﹑夜鶯似的歌聲﹐

都隨著無情的年華消逝。

啊! 我到那兒去尋找我往日的舊夢﹐

祇剩下滿腹的辛酸…無限的苦痛。

《台詞》

花は散り川は流れ 春は過ぎ去って跡形もなく 

ただ人を酔わせる春風だけが広く一面に吹き渡っている

薔薇のような美しさ 夜鳴鶯(よなきうぐいす)にも似た歌声 

すべては 無情な歳月とともに消え去って行った

ああ! 過ぎ去りし日々の夢をそこに探したところで

ただ残るのは 胸いっぱいの辛さや悲しみ…無限の苦痛だけ


青春一去 永不重逢 
海角天涯 無影無蹤
斷無訊息 石榴殷紅 
卻偏是昨夜 魂縈舊夢
 
青春は一度去ると 永遠に二度とは帰ってこない
海の彼方 天の果てまで 影も形もない
絶えて消息もなく ただ紅一点のザクロの花のように私だけがとり残されている
しかしこれらは全て昨夜 私の魂が過ぎ去った日々を夢見ていただけのこと…




白光 - 魂縈舊夢 (lyrics)



魂縈舊夢 蔡琴