伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

漢詩の効用


 昨年晩秋の頃、見知らぬ方から小包が届きました。
 包みを開くと、そこには一瓶の薬草が入っておりました。
 ところが、手紙どころかメモ紙一枚入っておりません。


 はて? 全く記憶にないこの方が一体何のために送ってきたのだろうかと不思議に思いつつ、今一度小包の伝票を確かめてみると、その下の方に上記の漢詩が書きつけられているのを見つけました。


 この詩は、中唐の詩人賈島の「尋隱者不遇」と題する五言絶句です。
 この詩の二十文字だけで、私は、ほぼ、事情を察することができました。

 筆者注:

 この詩の作者:賈島(か とう、大暦14年(779年) - 会昌3年7月28日(843年8月27日))は、「推敲」の語源となった五言律詩「題李凝幽居」(李凝の幽居に題す)の作者としても知られている。



 隱者を尋ねて遇わず  賈島


 松下、童子に問えば
 言う、師は薬を採り去る
 只此の山中に在らんも
 雲深うして処を知らずと


 この詩の、大まかな意味は、賈島が山中に隠棲する友人を訪ねてみたが不在であった。友人が雇っている少年に松の木の下で聞いてみたところ、「先生は薬草を採りに行きました。此の山の中にいるようですが、雲霧が深くて所在はいつものように分かりません。」と答えたという、呑気な隠者とそれに仕える少年とのユーモラスな情景を詠んだものです。


 私は、薬草の真の送り主は小包の差出し人としては書かれていない「師」であり、郵便局から発送したのは、この「師」に仕える「童子」なのだろうと直感的に理解しました。
 また、漢詩をメッセージとして使ったのは、知識人の洒落ではないかとも思われました。そう考えると、思い当たる節もありました。


 数日後に分かったことですが、この小包の真の送り主は、旧知のJ女史でした。私の持病に効くという薬草を自ら採取・調合して送ってくれたものでした。J女史にはこの時、自ら発送できない事情が有って、友人のY先生に依頼して発送したのだそうですが、手紙を入れるのを忘れたのだそうです。


 郵便局の窓口で、それに気づいたY先生が、何の説明も書いていなければ、さぞかし私が不審に思うだろうと考えて、既に計量秤の上に載っている包みの片隅に取りあえずの処置として、この詩を走り書きしたのであります。


 時間があれば、細かい説明も書けるでしょう。しかしながら、既に窓口に包みを出している状態で、瞬時に自らを「童子」に擬して、この詩を書けるその教養レベルには感嘆しました。


 わざわざ、こんな遠回しなことを書かなくても、もっと分かりやすく簡単に書けるだろうとお考えの方もあるでしょう。


 Y先生は日本人ではありません。某国の天文学者なのだそうです。知識人ではあっても、日本語を必ずしも得意とはしていないY先生が、時間に制約のある中、思い浮かぶ漢詩を咄嗟に共通言語として使ったのは、ある意味当然のことでしょう。


 和文には和文ならではの良さがあります。一方、漢文には漢文の良さもあります。


 「漢字」は「感じ」なり。見ただけで凡その意味が通じます。
 更に漢詩であれば、僅か二十文字程度の漢字の中に言外の意味をも込めることができます。


 およそ漢詩・漢文など見向きもされぬ昨今においても、漢字文化圏の共通言語としての効用もあるのだと改めて感じた伊賀山中、晩秋の一日でした。