伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

心の旅(心之旅程)


 「心の旅」(こころのたび)は、1972年にメジャーデビューした日本の音楽グループのチューリップ(TULIP)が、自身3枚目のシングルレコードとして1973年4月20日に発表した楽曲です。


 チューリップは、デビューから1年間の間に、シングル2枚・アルバム2枚を出しましたが、いづれもヒットせず、この3枚目のシングルが売れなかったら地元福岡に帰ることになっていました。
 それまで2枚のシングル(「魔法の黄色い靴」と「一人の部屋」)はどちらもリーダーの財津 和夫(ざいつ かずお、1948年2月19日 - )が作詞・作曲し主唱も務めました。
 この「心の旅」も財津 和夫の作詞・作曲になるもので、財津が福岡から上京する直前の心境を詠じたものであり、かつグループの命運をかけた背水の陣になる楽曲でもあり、当然財津が主唱する予定で、本人も収録前日まで発声練習をしていました。


 ところが、収録直前になって、『財津が歌うとヒットしないな。姫野の声の方が甘い感じがして魅力的だから姫野に歌わせよう。』と言う音楽ディレクターのツルの一声で、メンバー最年少の姫野 達也(ひめの たつや、1952年2月1日 - )が主唱することになりました。


 ディレクターの判断は当たって、この曲は発売から約5ヶ月が経った1973年9月10日付のオリコンシングルチャートで1位を獲得し、9月18日時点で87万枚の売り上げを記録してチューリップ最大のヒット曲となりました。


 姫野は当時を振り返り「ディレクターから『心の旅』のボーカル変更を要求された時、財津さんに申し訳ない気持ちがして、フッと財津さんの方を見るとやはり少し寂しげな感じがしました。でも、この曲がヒットしたことで僕達の本当にやりたい音楽をやれるようになったわけで、財津さんの作ったこの曲が僕たちの未来を作ってくれたと思います。」と語っています。


 それに対し財津は、「もちろん、僕が歌うつもりで練習してきたのでリードボーカル変更には反対した。姫野君も、リードボーカルをとるなんて夢にも思っていなかったと思う。レコーディングが終わってからも、僕はずっとこの事件に対して恨みを持っていた。でも、ヒットしてからは、手のひらを返すように僕は姫野さんには、足を向けて寝ないようにしている。」と語っています。
 しかしながら、「姫野の声では甘すぎる。僕が歌っていれば100万枚を軽く超す大ヒットになっただろう。」と悔しさも滲ませて、その後財津自身のソロアルバム『CALL』(1992年)や『サボテンの花〜grown up〜』(2004年)などで『心の旅』をセルフカバーしていますが、今日現在の売り上げ枚数は、まだ100万枚を超えてはいないようです。


 今回は、1973年の原唱動画でご紹介します。
 姫野(中央)のやや緊張した面持ちと、財津(向かって右側)のどことなく投げ遣りに見える姿が印象的です。



心の旅
心之旅程
                作詞・作曲:財津和夫  演唱:チューリップ


あー だから今夜だけは 君を抱いていたい
あー 明日の今頃は 僕は汽車の中

啊~ 因為是所以只今夜 很想去抱著妳
啊~ 明天的這時候 我已在火車中


旅だつ僕の心を 知っていたのか
遠くはなれてしまえば 愛は終わるといった
もしも許されるなら ねむりについた君を
ポケットにつめこんで そのままつれ去りたい

妳是否已經知道 我要出發的決心嗎
妳說了「如果遠方分離的話 愛就會終結」
如果容許的話 很想把已入睡的妳
想填入口袋裡 就這樣把妳帶走


あー だから今夜だけは 君を抱いていたい
あー 明日の今頃は 僕は汽車の中

啊~ 因為是所以只今夜 很想去抱著妳
啊~ 明天的這時候 我已在火車中


にぎやかだった街も 今は声をしずめて
何を待っているのか 何を待っているのか
いつもいつの時でも 僕は忘れはしない
愛に終わりがあって 心の旅がはじまる

從前繁華熱鬧的街 現在也平靜下去聲音
是等著什麼 還是等著什麼
無論何時 不論何時 我也不會忘記
愛有終結 心之旅程開始


あー だから今夜だけは 君を抱いていたい
あー 明日の今頃は 僕は汽車の中

啊~ 因為是所以只今夜 很想去抱著妳
啊~ 明天的這時候 我已在火車中


(サビ2回繰り返し)




チューリップ 心の旅 1972


注:

動画に発表年を「1972」と表記していますが、正しくは「1973」です。