伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

空手道天神流二番目の弟子

 
 一番弟子のT君に富士山麓で別れを告げて、関西都市部の新任地に赴いた私は、偶々、職場の裏庭に目立たぬ場所が有ったので、巻き藁を立てて、休憩時間ごとに一人修行に励んでおりました。


 ところが、この巻き藁、木材と藁でできているのですが、軽く突けば「パン、パン」という小さい音ですみますが、本気を出すにつれて、「ドン、ドン」「ズシン、ズシン」という重くて大きい音になり、最後には「キン、キン」といった金属音のように遠くまで響く音になってしまいます。


 姿は隠せてもこの音まで隠すことはできず、ついに部下に知られるところとなってしまいました。


 一本目の巻き藁が折れるころ、諸般の事情から、部下のA君に空手を指南することになりました。


 このA君、30歳独身で、ゲームが趣味と言う温厚無口で真面目な青年でした。


 かつての一番弟子のT君ほどの熱意はなく、1日30分程度の稽古を1箇月ほど続けてみました。


 そんなある日の朝、出勤時刻になってもA君が現れません。
 電話を掛けても出ないので、一人暮らしの身に何かあったのかと心配して、彼のアパートへ急行しました。


 4階にあるアパートのドアホンを何度も何度も押して、やっと鍵を開けたA君の部屋の中に入って驚きました。


 部屋の中は、殆どゴミ屋敷のように、物が堆く積み重なり、壁にはこぶし大の無数の穴が開いておりました。
 本人は、部屋の片隅に座り込んで、「雨が畳だから、猫も紫陽花で、車が喉から胃に落ちないんです。窓の外が階段だったら、下は空なんです。」といったような意味不明のことを呟いています。


 うつ病を疑った私は、早速、車で1時間のところにある精神科受診に同伴するとともに、自殺防止のため、山陰地方に居住するご家族に至急来訪されるようにと連絡しました。


 精神科の診断は、初回で病名を確定はできないので、「抑うつ状態」との診たてになりました。


 それから、ご家族の到着までの数日は、他の部下を交代でA君のアパートへ派遣し、24時間体制で監視して、彼の安全を確保しました。


 当時、抗うつ剤で余り効果のあるものがなく、A君の症状は必ずしも好転せず、有給休暇から病気休暇、その後休職となり、故郷での1年間に及ぶ長期療養生活が続きました。
 このままでは、失職と言う時期に至り、一旦復職してはみたものの症状が寛解することはなく、半日勤務も難しいという状態に陥り、ついに退職することとなりました。


 「田舎育ちのA君には都会の水は合わないのだ」という主治医の所見に従い、A君は故郷山陰の港町へと帰ってゆきました。


 彼を見送った後、私は、主の去ったアパートの壁に開いた穴を見つめて、さほど気心を知っていたわけでもないA君に空手など教えるのではなかったかと忸怩たる思いにとらわれました。


 あるいは逆に、教えられた空手の技で壁に穴をあけることが、彼のストレス解消になり自殺願望による最悪の事態を防止する効果があったと考えるべきだったのかもしれません。
 しかしながら、そのことは恐らくA君自信にも分かってはいなかったことでしょう。


 いずれにしても、一撃必殺の技を伝授するのは、相手の気心を知り、空手の修行を何のためにやりたいのかを見極めてからにすべきと、改めて肝に銘ずることになった、10数年前のほろ苦い思い出です。


 「空手は義の輔け、技術は心術に如かず」