伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

空手道天神流の顧問

 A君が病気療養に入ったころ、彼の前任者であったB子さんが訪ねてきました。
 聞けば、このB子さん、少林寺拳法の3段なのだそうです。


 私は、この当時、空手以外にも合気道や柔術その他の古武術を研究していました。
 この絶好の機会を逃す手はありません。


 早速、B子さんを我が天神流の顧問に任命して、突き・蹴り・関節技などを教わることにしました。


 先ずは、少林寺拳法の威力の程を体験しておく必要があります。


 庭に出て、B子さんに私の中段(腹部)を思いきり突いてもらいました。
 すると、「痛っ、痛たたたー!」と声を上げたのは、私ではなくB子さんの方でした。
 突いた手首の方が負けて折れ曲がり、軽い捻挫状態になったのです。


 それではということで、次に前蹴りで蹴ってもらいました。
 すると今度は、蹴ったB子さんの方が後ろにひっくり返ってしまいました。


 突き・蹴りはあまり参考になりませんでしたが、空手には殆どない関節技なら勉強になると思い、片手を固めてもらいました。
 すると、合気道などでは、敵の反撃を防ぐため正面を避けて側背に回りながら掛けるのが基本ですが、B子さんの場合には私の正中線(体の真正面中心線)に立ったままで掛けてくるではありませんか。


 私もつい悪戯心を起こして、空いている方の手を一本貫手にして、B子さんの胸をつついてみました。
 すると「何するんですか~!!!」と、大音声で怒鳴られて、流石に私も周囲を気にして動転し、戦意喪失してしまいました。


 「弁は拳よりも強し」 


 少林寺拳法の理念は、「不殺活人の拳」なのだそうです。
 確かに、このような子供だましの技を掛けられて死ぬ者はいないでしょう。


 たった一人の有段者の技を見ただけで、天下に高名な少林寺拳法全体を評価することはできません。
 しかしながら、このB子さんの腕前では護身の役にたたぬどころか、生兵法は怪我の元になりかねません。


 それでは、余りに気の毒なので、私の方から逆に一手指南することにしました。


 以下、簡単に書いていますが、一旦付けてしまった癖を直すのには少し手間がかかりました。
 この際、技の形はあくまでも少林寺拳法のままで、空手のものにしたわけではありません。
 武術共通の目標となる潜在力を最大限に発揮することを主眼に、細部を修正したに過ぎません。


 まず、突きは拳の握り方から始めて、腰や肩の回転など体全体のバランスを手直しして、全身の力を瞬間的に拳頭に集中させるコツと、その力に自分の方が負けないだけの最後の「極め」を伝授しました。


 蹴りについては、上半身が後傾し更に腰が横に引けているという悪癖を矯正しました。


 関節技については、専門外なので、自分の胸を触られない位置で掛けることだけを助言するに留めました。


 複雑な技術体系を持つ拳法を長年修行していただけあって、B子さんの飲み込みは早く、一箇月後には、見違えるほど技に切れが出てきて、突いた手首を痛めることも、蹴った自分の方が転ぶこともなくなりました。


 しかし、これでは一体、どちらが顧問だったのか分からなくなってしまいますが、「力愛不二」というのも少林寺拳法の理念の一つなのだそうです。
 「正義の女神」と同様、理想を実現するためには愛だけではなく力も必要です。
 力不足を補うためには、異種武術の交流も意義なしとはしないでしょう。


 B子さんとは、今でも年1度くらいはOB会の席上でお会いして旧交を温め、武術談義に花を咲かせています。


 そのような時に、B子さんが、私の背後から「お爺ちゃん、隙あり~!」などと言いながら、不意に抱きついてくることもありますが、大声を出されると困ってしまうので、私の方から一本貫き手で乳首をつつくような技は封印しています。 




「武道を練磨し、以て人徳を涵養すべし」(天神流空手道十訓より)