伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

ささやかなこの人生(微薄的這個人生)


 「ささやかなこの人生」は、日本のフォークデュオ「風」が1976年6月25日に発表した楽曲です。
 「風」はフォークグループ「かぐや姫」に所属していた伊勢正三(いせ しょうぞう、1951年11月13日 - )とフォークバンドの「猫」に所属していた大久保一久(おおくぼ かずひさ、1950年7月22日 - )との二人が1975年に結成したフォークデュオです。
 デビュー曲は1975年4月12日のかぐや姫解散コンサート以前の、2月5日に発表した「22才の別れ」で、いきなり大ヒットとなりました。
 なお、「22才の別れ」の方は、元々は「かぐや姫」の1974年のアルバム『三階建の詩』に収録されている曲で、当初から評価は高かったものの「かぐや姫」としてはシングルカットはされず、「風」のデビュー曲としてシングル盤が発売されたものです。


 今回ご紹介する「ささやかなこの人生」は、その2箇月後に発表したもので、作詞・作曲共に伊勢正三が担当しています。


 歌詞の内容は、大筋としては失恋した男女への応援歌ですが、伊勢正三の詞作は非常に包括的で抽象的なものが多く、この歌詞も人それぞれで解釈の異なる難解なものになっています。


 伊賀流の解釈としては、次のようなものです。

 まず、歌い起しで花の散った桜の木の人には見られたくない寂しい姿を擬人化して、恋愛中の人は誰しも相手に見せたくはないものがあると詠じています。


 続いて、交際が深まるにしたがってそれまで隠していた本心が現れてきて破局の原因になることを示唆しています。


 更に、遡ることのできない時の流れを振り返るのは止めて悲しみは涙で洗い流そうと提案しています。


 (間奏)の後で、恋愛が始まったときと失恋したときの心の動きについて改めて詠じています。


 次いで視点を変えて、時間は過ぎ去って帰ってはこないのに対し、季節は永遠に巡りくることを踏まえて、次の新しい愛が芽生えることを「風」に託しています。ここで「風」とはこのデュオの名前に由来するもので「空気のように留まらず、常に進化していくことを目指す」を踏まえているものと思われます。


 最後に別れた恋人たちに、悠久の時間の中ではほんのささやかな人生を「恋愛の喜び」とか「失恋の悲しみ」とかだけの狭い人生観に捉われて無駄に過ごさないでくれと要望して結びとしています。

 
 この歌詞は、前述のとおり非常に詞的なものですので、伊賀山人の解釈に捉われず、読者各位はご自分の人生観に応じて解釈されるとよいでしょう。



 ささやかなこの人生
 微薄的這個人生
              作詞・作曲:伊勢正三 演唱:風


花びらが散ったあとの桜がとても冷たくされるように
誰にも心の片隅に 見せたくはないものが あるよね

花瓣散落之後的櫻樹非常為使被冷
人們必定心一隅有想 不對別人顯示東西


だけど人を愛したら 誰でも心のとびらを閉め忘れては
傷つきそして傷つけて ひきかえすことの出来ない人生に気がつく

可是愛人的話 人們忘記關上自己的心的門
又以戀人們傷害互相 返回不能的人生注意到


やさしかった恋人達よ ふり返るのはやめよう
時の流れを背中で感じて夕焼けに涙すればいい

告訴和善的戀人們 中止回頭看
用背感到時候的流動因晚霞流淚就行了


(間奏)


誰かを愛したその日にはたとえばちっぽけな絵葉書にも心が動き
愛をなくしたその日には街角の唄にもふと足を止めたりする

開始愛人的日譬如看小美術明信片心也變動
丟失愛的日與在街角聽見的歌也偶然止住腳


風よ季節の訪れを 告げたら淋しい人の心に吹け
そしてめぐる季節よ その愛を拾って終わりのない物語を作れ

風如果宣告季節的來訪為寂寞的人的心吹
又圍繞的季節挑那個愛製作結束沒有的故事


やさしかった恋人達よ ささやかなこの人生を
喜びとか悲しみとかの 言葉で決めて欲しくはない

明朗和善的戀人們 微薄的這個人生
希望用喜悅啦嗎悲傷啦嗎言詞不決定





【歌詞字幕】 ささやかなこの人生 風