伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

情人的眼淚(恋人の涙:潘秀瓊版)


 「情人的眼淚」は、1958年当時の英領香港で潘秀瓊(パン・シウチョン、1935年-)の演唱により発表された楽曲で、歌詞の内容は春になって花咲く季節の男女の別れを詠ずるものです。
 作曲は当時41歳の姚敏、作詩は当時51歳の陳蝶衣、この香港在住の中年コンビが軽快な洋風のメロディーに乗せて、涙にくれる乙女心を見事に綴っています。 


 その後、香港や台湾の映画のいくつかで主題歌或いは挿入歌としても使用されていますが、その都度他の歌手が演唱して原唱者の潘秀瓊を超えるヒット曲になることも多かったため、台灣でも原唱者を誤解して記載しているブログがありますが、初出は今回ご紹介する潘秀瓊(パン・シウチョン)です。


 潘秀瓊は、マカオで生まれてマレー半島で育ったシンガポール国籍の歌手です。
 1950年代に香港へ移り住んで、主に映画音楽の演唱を行っており、その独特の低音から「低音歌后」(低音の歌の女王)と称されています。


 今回は、1965年の香港映画「小雲雀」の中での本人の演唱と2011年に演藝事業五十周年を記念して舉行された「真我風采半世紀演唱會」での本人の演唱をご紹介します。


 詞中に見える「望穿秋水」とは漢語成語で、「只管待ちわびる」即ち「首を長くして待つ」意です。「秋水」の原義は「秋のころの澄みわたった川の水」ですが、転じて多くは女の「澄んだ目」を意味しています。つまり、「望穿秋水」の原義は、「澄んだ目に穴が開くほど待ち望む」ということで、これがこの漢語成語の語源です。


 なお、詞中で男の言う「再会」とは一般的には二度と会えない相手に言う「さようなら」の意ですが、文字通り、「もう一度会いたい」という意味にとることもできます。
 従って、この歌詞は普通に読むと失恋の歌ですが、旅に出る男との再会を約束する歌とも聞き取れる深みのある楽曲です。



 情人的眼淚
 恋人の涙
              作詞:陳蝶衣   作曲:姚敏
爲什麼要對你掉眼淚    
你難道不明白 爲了愛  
只有那有情人眼淚最珍貴 
一顆顆眼淚都是愛    
都是愛 
        
貴方に会うとどうして涙が落ちるのか
まさか貴方にそれが愛のせいだと分からないはずはないわね
ただかけがえのない恋人の涙が有るだけなのよ
一つ一つの涙はすべて愛
すべてが愛なのよ


爲什麼要對你掉眼淚    
你難道不明白 爲了愛  
要不是有情郎 跟我要分開 
我眼淚不會掉下來    
掉下來   
      
貴方に会うとどうして涙が落ちるのか
まさか貴方にそれが愛のせいだと分からないはずはないわね
もしも恋人が私と離れ離れになることさえなければ
私の涙は落ちたりしない
落ちたりなんかしないわ


好春才來 春花正開     
你怎捨得說再會       
我在深閨 望穿秋水     
你不要忘了我情深      
深如海 
        
素敵な春が漸くやって来て、春の花が咲き誇っているのに
どうしてあなたは「さようなら」を言えるの
私は奥の寝室で、待ち焦がれているわ
どうか忘れないで私の愛が深いことを
海のように深いことを


爲什麼要對你掉眼淚    
你難道不明白 爲了愛  
要不是有情郎 跟我要分開 
我眼淚不會掉下來    
掉下來  
       
貴方に会うとどうして涙が落ちるのか
まさか貴方にそれが愛のせいだと分からないはずはないわね
もしも恋人が私と離れ離れになることさえなければ
私の涙は落ちたりしない
落ちたりなんかしないわ


筆者注:

 詞中に見える「望穿秋水」とは、「望んで秋水を穿(うが)つ」と訓読しますが、ここで「秋水」とは「目」のことを意味しており多くは女子の眼を指します。つまり口語に直訳すると「待ち望んで目に穴が開く」ということになり、その意から転じて「ひたすら待ちわびる」「首を長くして待つ」との意で使われる四字成語です。


 1965年の香港映画「小雲雀」の中での演唱 ↓

情人的眼淚 - 潘秀瓊 Poon Sow Keng [1964]


 2011年の「真我風采半世紀演唱會」での演唱 ↓

潘秀瓊 - 情人的眼淚 (潘秀瓊真我風采半世紀演唱會)



おまけ:二胡演奏

Chinese Erhu 二胡【5】情人的眼淚 Lover's Tears





 蔡幸娟版はこちら ↓