伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

忘川河傳說(忘川河の伝説・別名:笑窪の伝説)



 今回は、台灣のmoliさんの記事に見える道教と古代支那の民間信仰とが融合して伝わる「忘川河傳說」〔忘川河(ぼうせんが)の伝説〕についてご紹介します。
 これは、全国的に数少ない漢詩文愛好家の間では「笑窪(えくぼ)の伝説」として知られているものです。
 なお、この伝説の原典では、笑窪(えくぼ)だけではなく、首の後ろや胸先にある痣(あざ)の由来についても笑窪と同様の「記号」として伝えられています。

筆者注:「痣」の字は、日本語の漢字字義により取りあえず「あざ」と訳しておくが、支那諸語での「痣」は日本語の「痣(あざ)」と「黒子(ほくろ)」の両義があるので、どちらかに限定は出来ない。


 「忘川河」(ぼうせんが)とは、「忘却の河」の意で、この世とあの世との境界を流れているとされる河の名で、別名「忘川」(ぼうせん)とも呼ばれており、この河を渡ると現世の記憶がなくなることからこの名が付けられています。
 この河は、日本では一般に「三途(さんず)の川」と呼ばれており、特に記憶の忘却に関する言い伝えはありませんが、現に殆ど全ての人に前世の記憶はありません。


 この世で寿命の尽きた人は、輪廻転生(りんねてんしょう:次々と生まれ変わること)のために須らくこの川を渡らなければなりません。
 もし渡らなかったら、亡霊となっていつまでもこの世を彷徨うことになってしまいます。


 この河を渡る方法は元々3種類あって、善人は橋を、軽い罪人は浅瀬を、重罪人は深瀬の難所を渡るとされており、これが「三途の川」(さんずのかわ)の語源になっています。(諸説あり。)


 この渡河方法は時代や地域により伝承が変化して、日本では舟賃(6文)を支払って善人も罪人もで渡るとされていますが、支那では善人も罪人もを渡ることになっています。


 「忘川河」には此岸(しがん:この世)から彼岸(ひがん:あの世)へ渡るための「奈何橋」(なかきょう)が架かっています。
 「奈何」とは「無可奈何」(いかんともするなし)の省略語で、死出の旅人の立場では「どうすることもできない」との意です。


 「忘川河傳說」〔忘川河(ぼうせんが)の伝説〕、別名:「笑窪(えくぼ)の伝説」の概要について、以下のとおりmoliさんの記事の原文に伊賀流和訳を添付してご紹介します。


 忘川河.....

 忘却の河.....


有三種人,不要錯過!

臉上有酒窩,脖子後有痣,胸前有顆痣,

此三種人不能錯過!

傳說苦情痣、酒窩的來歷是這樣的:

 3種類の人がいるから、見過ごさないでください!

 顔に笑窪(えくぼ)がある人、首の後に痣(あざ)がある人、胸先に痣がある人です。

 この3種類の人を見過ごしてはなりません!

 苦しみの事情のある痣と笑窪の由来についての伝説は次のようなものです:


相傳人死後,過了鬼門關便上了黃泉路,
⋯⋯路上盛開着只見花,不見葉的彼岸花。
花葉生生兩不見,相念相惜永相失,路盡頭有一條河
叫忘川河,河上有一座奈何橋。有個叫孟婆的女人
守候在那裡,給每個經過的路人遞上一碗孟婆湯,
凡是喝過孟婆湯的人就會忘卻今生今世所有的牽絆,
了無牽掛地進入六道,或為仙,或為人,或為畜。
 言い伝えによると、人は死後、鬼門(きもん:霊魂が通る門)を潜り抜けて黄泉路(よみじ:冥土への道)を辿って行きます。
 その道端には満開の花が咲き誇っています。それは葉っぱのない彼岸花です。
 花と葉の双方は惜しいことに互いに出会うことはありません。どれほど会いたいと願い、どれほど会えないことを惜しんでも、永久に別れたままなのです。
 道の終わる所に一筋の河が流れています。
 「忘川河」です。河には「奈何橋」という一本の橋が架かっています。
 そこには「孟婆」(もうば:孟ばあさん)と呼ばれている女人がいて橋を守っています。
 孟婆は、黄泉路を辿って来て橋を渡ろうとする人にお椀に入った「孟婆湯」(もうばとう)というスープを飲ませてくれます。
 この「孟婆湯」を飲んだ人たちは今世の全てのしがらみや絆を忘れてしまいます。
 そしてすべての気掛かりなことがなくなって六道輪廻の道に進み、今世での行いの良し悪しにより或いは神仙に、或いは人に、また或いは畜生に転生することになります。


孟婆湯又稱忘情水,一喝便忘前世今生。

一生愛恨情仇,一世浮沉得失,都隨這碗孟婆湯遺忘得

乾乾淨淨。今生牽掛之人,今生痛恨之人,

來生都相見不識。

 「孟婆湯」(もうばとう)は別名を「忘情水」(ぼうじょうすい:情を忘れる水)ともいい、一度飲むと前世のことも今世のこともすべて忘れることになります。

 一生の間に経験した愛も恨みも情も仇も、前世での社会的浮き沈みや得失もこのお碗の孟婆湯を飲んで全てきれいさっぱりと忘れ去ることになります。

 今世で気に掛けて思いを寄せていた人も、逆に恨みに思っていた人も全て来世で出会ったとしても過去の関係を知る由もありません。


可是有那麼一部分人因為種種原因,

不願意喝下孟婆湯,孟婆沒辦法只好答應他們。

但在這些人身上做了記號,這個記號就是要麼在臉上留下了酒窩,要麼在脖子後面點顆痣.要麼在胸前點顆痣。

這樣的人,必須跳入忘川河,受水淹火炙的磨折

等上千年才能輪迴,轉世之後會帶著前世的記憶、

帶著那個"記號"尋找前世的戀人。

 しかし、一部の人たちは恋人を忘れたくないなど様々な理由で孟婆湯を飲むことを望まないことがあり、孟婆も仕方なく彼らの意思を承諾します。

 ただし、孟婆湯を飲まない彼らには身体にその「記号」を付けます。それは顔の「笑窪」(えくぼ)か、首の後ろの「痣」(あざ)或いは胸先の「痣」です。

 また、このような人は必ず忘川河に飛び込んで、水に溺れたり火に炙られたりするような試練を乗り越えなければなりません。

 千年の試練に耐えてようやく輪廻に戻ることができ、転生した後、前世の記憶に従い、千年の試練に耐えた証の「記号」をつけて、前世の恋人を探すことになります。

 

筆者注:

 孟婆湯を飲むことを拒否した人の試練は、身体的なものだけではありません。

 彼(彼女)は「奈何橋」を渡る人を見ることもその声を聴くこともできます。

 しかしながら、その逆に橋を渡る人からは試練に耐えている人を見ることもその声を聴くこともできません。

 千年の試練に耐えている人は、前世の恋人が大抵の場合年老いてから通りかかるのを何度も見ることになります。

 最初は、恋人に自分を忘れて欲しくはないので「孟婆湯を飲むな」と願います。

 しかし同時に、その恋人が自分と同じ試練を受けることを見るのは耐え難いことですので「孟婆湯を飲め」と願うという自己矛盾の葛藤にも耐えなければならないのです。

 また、千年の間に何度も転生を繰り返す前世の恋人には当然ながら別の恋人が何人も現れるでしょう。

 彼(彼女)は、そのような現実を受け入れざるを得ないという精神的試練にも耐えなければならないのです。


所以朋友們請珍惜身邊臉上有"記號"的那個人,

無論是親人、朋友,因為他(她)也許是你前世的戀人,經過千年等待來尋找前世情緣未了的人,去完成前世未了的心願,請永遠不要去傷害他(她),因為不是

誰都有勇氣跳入忘川河,等上千年煎熬之苦。

 だから、お友達の皆さんも身の回りにいるこの「記号」を持った人を大切にしてください。

 つまり、顔の「笑窪」或いは首の後ろや胸先に「痣」のある人は、言うまでもなくあなたの前世の親族か友人か恋人であって、千年の試練に耐えて前世の絆を守り通しあなたを訪ねてきた人なのです。

 彼(彼女)の前世で叶わなかった心からの願いをかなえてあげるため、決してその人が傷つくようなことはしないでください。

 何故なら、忘川河に飛び込む勇気を持って、千年の苦難に耐えて待つことなど誰にでもできることではないのですから。


盼:來生,再續前緣…

願:來生,還能再見…

望む:来世、再び前緣の続くを…

願ふ:来世、還(ま)た能く再び見(まみ)ゆるを…



 おまけ♫ 楽曲【忘川河】 ▼