伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

「民度」について(東日本大震災編)

 先ずは、余震の治まらぬ熊本・大分の皆様方に衷心よりお見舞い申し上げます。


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 さて、地震関連で、5年前の東日本大震災に見る民度について申し上げます。


 2011年3月、未曾有の大震災発生後、我が国、就中東北は、他の国々から数多くの支援を受けました。


 最初に駆けつけたアメリカ軍は、ロナルド・レーガン空母打撃群を基幹とする、陸海空軍と海兵隊の将兵24000人という大規模なものでした。


 この米軍は別格として、世界最大の支援国は台湾でした。


 緊急援助隊65人を派遣するとともに、日本に届けた義捐金は200億円を超えています。


 なお、台湾緊急援助隊の到着は、中共や韓国よりも遅くなりました。


 台湾の名誉のために敢えて言及しますが、台湾は3月11日の地震発生直後、即刻派遣を決定して日本政府に連絡しました。


 ところが、当時の日本政府は、中共や韓国の言いなりになり、台湾を軽んじる民主党政権でありました。


 当時の首相:菅直人は、一旦は、台湾の申し出を受けて派遣要請しておきながら、支那・韓国の援助隊の到着が遅れることを察知するや、あろうことか台湾の援助隊に本国待機を要請したのであります。


 このため、台湾からの援助隊は即日派遣準備を完了していたも拘らず、中共や韓国の援助隊が日本に到着するまで、出動態勢のままで今か今かと2日間も待たされることになってしまいました。


 もし、この援助隊到着が、予定通りであったとしたなら、あるいは助かる命もあったかも知れません。


 私が遺族であったとしたなら、菅直人を未必の故意の殺人罪で告発し、国家賠償訴訟を提起したかも知れません。


 もし、これが戦前であれば、既に、菅直人は「大罪を謝し奉る。」との遺書を残し、宮城に向かって端座し腹を切って果てていることでしょう。


 閑話休題


 被災地における、米軍と台湾援助隊の活躍は目覚ましく、被災者は、砂浜に「THANK YOU USA」や「ARIGATO」の文字を航空機からも見えるように、倒木などを使って大書して感謝の意思を伝えました。


 また、「多謝 台湾!」と題する動画や画像も数えきれないくらい製作されました。


 今でも、3月11日になると、台湾に感謝するイベントが東北各地で開催されています。



 それに引き換え、韓国に感謝するイベントは、私の知る限りでは、皆無です。


 それもそのはず、韓国から派遣されたのは、たった5名の人員と犬2匹だけです。
 その後、約100名の人員が、消防士の名目で増援されましたが、既に火災は鎮火した頃、ろくな消火器材も持たずに来日したため、東北に旅行などで在住していた韓国人の捜索に来たものと言われています。
 韓国の救援隊が、どこで何をしていたのか全く記録もなく、被災者の記憶にもありません。


 それぞれの国には国の事情がありますので、援助人員数や援助金の多寡で民度を測ることは適切ではありません。
 例えば、小学生の寄付した千円は、私の寄付した十万円に匹敵します。
 何故なら、どちらも1箇月の収入に相当するからです。


 ところが、震災後の1~2年の間に、民度を推し量る決定的な出来事がありました。

(2011.9 アジアチャンピオンリーグ戦における韓国人サポーター)


 サッカーの日韓試合における韓国人サポーターです。
 韓国人が、「日本の大地震をお祝います。」と大書した横断幕を掲げています。
 世間、何処にも馬鹿の一人や二人はいるでしょうが、周り中の韓国人が誰一人制止せず、日本側からの抗議により、さんざん抵抗した末、しぶしぶこの幕を片付けたそうです。
 韓国では、国是である「反日」でさえあれば、非人道的な発言も表現もお構いなしに垂れ流しても賞賛に値するということなのかもしれません。
 しかしながら、馬鹿も度が過ぎると、人間とは思えなくなってきます。


 

(2013.3 WBCにおける台湾人ファン)


 こちらは、野球の日台試合終了後における台湾人ファンです。
 日本と東北並びに日本の野球チームを応援するプラカードを掲げています。
 この時の試合は台灣が敗戦していますが、その悔しさなどは微塵も見せず日本チームの今後の健闘と日本就中東北の復興を祈念しています。
 同じ人間であれば、私も、かくありたいものと考えます。
 心なしか、前記の韓国人の野卑な顔つきと比べても、上品な美男・美女が揃っているように思えます。


 私は、韓国の悪口を言っているのではありません。
 ただただ、この民度の低劣な韓国国民を憐れむのみなのであります。