伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

我有一段情(私にはひときわ深い思いがある):蔡琴演唱


 「我有一段情」(私にはひときわ深い思いがある)は、上海出身の歌手であり女優でもあった吳鶯音(ごおうおん、原名吳劍秋,1922年11月30日-2009年12月17日)が、1957年8月に発表した楽曲です。


 なお、吳鶯音は戦前の1940年代から上海で活躍して1948年に発表した「明月千里寄相思」の大ヒットで名を成していましたが、1966年から1976年までの間毛沢東が自らの権力争いを有利にするために引き起こした所謂「文化大革命」(実体は「文化大破壊」)の時には、何ら証拠がないにも拘らず間諜(スパイ)として批判され迫害を受けました。
 1984年になって、中共の独裁する祖国に未来はないことを悟った吳鶯音は、家族共々アメリカのロサンゼルスに移住しています。
 1992年に活動を再開して以来、香港、台湾、シンガポール、マレーシア、カナダで公演を行っていますが、終に祖国の土を踏むことはなかったようです。
 2009年12月17日にロサンゼルスで87歳の生涯を閉じて、第2の祖国ともいえるアメリカに骨を埋めています。


 この楽曲「我有一段情」の作詞は辛夷、作曲は梅翁ですが、この二人の詳細は不明です。
 この楽曲は、戦後の台灣の戒厳令下では演唱禁止にされていました。
 その理由は判然としませんが、「政治的扇動」「社会の善良な風俗妨害」「日本統治時代の懐古」などのいずれかに抵触すると当局が判断したものと考えます。


 歌詞の内容は、遠くへ去ったきり全く音沙汰がなくなった恋人へのひときわ深い思いを詠じたものです。
 詞中に見える「呀」(が、ア)は、句末に付けて呼びかけや感嘆などを表す助字で、特に意味はありません。
 「七絃琴」とは、弦が7本しかない小型の琴で、古来支那の文人が愛用したものです。


 この楽曲は多くの歌手がチャイニーズメロディー調でカバーしていますが、今回はポップス調に編曲された蔡琴(1957年12月22日-)のカバー版でご紹介します。


 本来この楽曲は春の歌ですが、七夕の一夜を独りで過ごすあなたの為に季節外れを顧みず敢えてご紹介します。
 なお、動画の中の画像は紐西蘭(ニュージランド)の風景です。
 



我有一段情
我に一段の情(おもひ)有り
私にはひときわ深い思いがある
                      作詞:辛夷 作曲:梅翁 演唱:蔡琴
我有一段情呀,說給誰來聽,
知心人兒呀出了門,他一去呀沒音訊。

我に一段の情(おもひ)有り, 
說(い)はんとするも誰か來たりて聽きたまふや,
知心(ちしん)の人兒(じんじ)門を出で了(を)へ,
他(かれ)一(ひとたび)去りて音訊(おんじん)すること沒(な)し。

私にはひときわ深い思いが有るの
思いのたけを話したいけど、誰が来て聞いてくれるでしょうか
気心の知れたあの人は門を出て
一度旅立ったままで音沙汰がないの


我的有情人呀,莫非變了心,
為什麼呀斷了信,我等待呀到如今。

我が情(おもひ)を有する人,
心を變(か)へること非(あら)ざる莫(な)からんや,
為什麼(なんすれぞ)信を斷(た)ち了(を)へるや,
我(われ)等(ま)ち待(ま)ちて如今(じょこん)に到(いた)るに。

私が思いを寄せるあの人に
もしや心変わりが有ったのではないでしょうか
どうして手紙を断ってしまったのでしょうか
今に至るまで私は待ち続けているというのに


夜又深呀月又明,只能懷抱七絃琴,
彈一曲呀唱一聲,唱出我的心頭恨。

夜又深く 月又明らかなり,
只(た)だ能(よ)く七絃の琴を懷抱(くゎいはう)するのみ,
彈(ひ)くこと一曲 唱(うた)ふこと一聲(いっせい),
唱(うた)ひ出だすは我が心頭(しんとう)の恨(うらみ)。

夜は深く月は明るく輝いている
私に出来るのはただ七絃の琴を抱きしめることだけ
弾くのは一曲 歌うのは一回だけ
歌って出てくるのは私の心の奥にある悲しみだけ


我有一段情呀,唱給春風聽,
春風替我問一問,為什麼他要斷音訊。

我に一段の情(おもひ)有り, 
唱(うた)ひて春風に聽(き)かしたまはん,
春風 我に替(か)はりて一問を問へ,
為什麼(なんすれぞ)他(かれ)音訊(おんじん)を斷つを要するかと。

私にはひときわ深い思いが有るの
歌って春風に聞かせたい
春風に私の身代わりとなって一言あの人に訊ねてもらいたい
どういうわけで彼が音信を断ってしまったのかを





我有一段情 [蔡琴]



 おまけ: 二胡演奏版 ▼

我有一段情【二胡演奏】