伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

第1話:遅咲きのスター、チャールズ・ブロンソン

 【晩年のチャールズ・ブロンソン(カンヌ映画祭会場にて)】


 チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson, 1921年11月3日 - 2003年8月30日)は往年のハリウッドスターです。


 彼は、1921年11月3日に、米国ペンシルベニア州において、リトアニア移民の家庭に15人兄弟の5男として生まれました。


 炭坑夫であった彼の父親はブロンソンが10歳の時に死去したため、ブロンソンは兄たちと共に炭坑で働き、石炭を1トン掘るごとに僅か1ドルを得て漸く食いつないでいたそうです。
 そのため、家庭は大変貧しく、学校へは妹の服を借りて通ったこともあると言われています。


 1943年に陸軍航空隊に入隊しましたが、第二次世界大戦終了後の1946年に除隊して美術学校に入学し、芝居の勉強も始めました。


 1948年頃からレンガ職人やウェイターをしながら舞台に端役として出演するようになりますが、生活は相変わらず苦しかったようです。


 彼は、1958年に『機関銃(マシンガン)ケリー』で主役に抜擢されていますが、俳優としての地位を確立したのは、その後「荒野の七人」や「大脱走」などの大作に脇役として出演してその野性的な風貌と巧みな演技が評価された後のことで、その頃には既に40歳を過ぎていました。


 その後、「さらば友よ」や「雨の訪問者」などで主役を演じて、押しも押されもせぬ国際映画スターの仲間入りを果たしたときには、既に50歳になる遅咲きのハリウッドスターでした。


 彼の野性味あふれる武骨な風貌と巧みな演技力は日本でも人気がありましたが、1970年に男性用化粧品メーカー「丹頂」の化粧品「マンダム」のテレビCM(大林宣彦演出)に出演し、一世を風靡しました。


 当時、CMというものは、ハリウッドでは、レベルの低いものとして扱われており、スターであれば誰も見向きもしない時代でしたので、ブロンソンがトップスターとしてはハリウッド史上初めてのCM出演となりました。


 CMの中で、ブロンソンは、ユタ州モニュメント・バレー周辺の荒野を白馬に跨って駆け抜け、カウボーイハットで河川の水を汲み頭から浴びます。
 そして顎を撫でながら一言「う〜ん、マンダム」。
 このセリフは日本中で大流行し、化粧品に縁のない幼い子供まで真似をするほどでありました。
 その時のCMソング「男の世界」(歌:ジェリー・ウォレス)もヒットして、マンダムの商品知名度は発売直後に98%にも達しました。


 当時、男性化粧品業界の老舗であった「丹頂」は、ライオンや資生堂にシェアを奪われて、倒産の危機に瀕していました。


 そもそも、1970年代に、整髪料以外の化粧品を使う男は、丸山明宏(美輪明宏)か池畑 慎之介(ピーター)くらいなもので、一般人で使う者など殆どいませんでした。


 男の香水「マンダム」の開発と、ハリウッドスターのCM起用とは、正に、丹頂の社運を賭けた一大事業なのでありました。


 そして、このCMの予想を超える成功により、顔や体に振りかける男性化粧品を使う男が激増して、「マンダム」は爆発的にヒットし、丹頂は僅か2年で年商を倍増させて見事に危機を脱しました。


 翌1971年に、丹頂は社名そのものを「マンダム」に変更し、ブロンソンは1980年まで10年間、「マンダム」シリーズのCMに出演しました。


 2003年8月30日、チャールズ・ブロンソンの死去に際しては、マンダム社は深甚なる弔意を表するとともに、葬儀の際には献花をしてブロンソンの生前の恩義に報いました。


 今では既に伝説となった、苦労人チャールズ・ブロンソン、独特の個性を持つ永遠のハリウッドスターなのであります。




男の世界/ジェリー・ウォレス Lovers Of The World/Jerry Wallace
 【モニュメント・バレーに立つチャールズ・ブロンソン】


    ・・・第2話へ続く・・・