伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

魯冰花(ルービンファ:ルピナス:ノボリフジ:母親花)

 【魯冰花の花畑】


 漢語の魯冰花(ルービンファ)とは、花の名で、日本ではルピナス、或いは花の形がフジの花が立ち上がっているように見えることからノボリフジ(昇藤)とも呼ばれています。


 この花は、現在では観賞用として、紫・藤色・樺色・紅・白など様々な花色のものが栽培されています。
 しかしながら、元々この花は、緑肥用作物として明治期に欧米から導入されたもので、当時は黄色い花が一般的でした。
 「緑肥」とは、栽培している植物を収穫せずそのまま田畑にすき込んで、別の作物の肥料にすることです。


 魯冰花は、茶畑にすき込むと、お茶の香りが良くなり、味も甘みが増すことから、100年以上前から主に茶の栽培用の緑肥として用いられました。


 日清戦争後、台湾統治を始めた帝国政府は、高山や高原地帯に居住する原住民や客家人(はっかじん)の産業とするため、この魯冰花と茶の苗木を台灣に持ち込んで栽培を始めました。
 その後、今でも台灣名産の「高山茶」の栽培に、この魯冰花が緑肥として使用されています。
 台灣では、「魯冰花」は、荒れた土地でも逆境に負けず生きて行くことと、その身を犠牲にして茶葉を育てることから、「母の愛」を象徴するものと考えられており、花言葉は「象徵母愛、刻苦耐勞、奉獻」です。
 特に客家人の間では「客家母親花(客家の母親の花)」として母の日の贈り物としても親しまれています。


 なお、「魯冰(ルービン)」とは、漢字の直接の意味としては、「のろまな氷」ということになりますが、これは魯冰花の英語名「 Lupin」に、音の似通った漢字を当てただけで、漢字の本来の意味とは無関係です。


 前置きはこのくらいにして、以下、楽曲「魯冰花」についてご紹介します。



 【台灣の高山茶畑に栽培されている魯冰花】


 楽曲「鲁冰花」は、1989年に公開された同名の台湾映画《鲁冰花》の主題歌として、台灣の女歌手曾淑勤(ツェン・シューチン:1967年8月14日-)の演唱で発表された歌曲です。
 作詞は姚謙、作曲は陳揚、編曲は屠穎がそれぞれ担当しています。


 映画《鲁冰花》は、貧しい父子家庭で健気に生きる姉と弟の薄幸の生活を描いた悲しい物語で、台灣の作家鍾肇政(1925年1月20日-)が1961年から聯合報という新聞に連載した小説が原著となっています。
 この小説が書かれたころの台灣は、戦後国民党軍が進駐して来て未だ10数年で全土に戒厳令が敷かれており、本省人と外省人との貧富の差や職業差別などによる対立が背景にあります。
 また、台湾人の言語も小学校では北京語由来の台灣國語が強制されていますが、児童それぞれの家庭では古来の台灣閩南語が使用されているという複雑な環境にあります。


 映画の内容は「フランダースの犬」を彷彿させるもので、その粗筋は大略次のようなものです。

 主人公の阿明(アーミン)は、小学4年生の腕白盛りで、学年の成績はビリですが、絵を描くのが大好きな少年です。

 阿明の姉の茶妹(チャメイ)は小学6年生で、数年前に肝臓病で死亡した母親代わりとなって、家事に勤しみ弟の面倒を見る心優しい少女です。

 父親の石松(シーソン)は、茶畑を経営していますが、強欲な村長から多額の借金をしている状態で、一家の暮らしは非常に困窮を極めています。


 ある時、阿明と茶妹が通う小学校に新任の美術教師 郭(グヲ)先生が赴任してきます。

 阿明の絵画の才能を見出した郭先生は、彼の作品を絵画コンクールに出品しようとしますが、村長の息子の作品を出品しようとする校長の妨害にあって思いが叶いません。

 別のルートで、阿明には内証で世界絵画展に出品したところ、見事最優秀賞を獲得しますが、その時には既に阿明は、母親と同じ肝臓病により、この世を去っています。


 楽曲「鲁冰花」は、この映画の最初と最後でも演唱されていますが、その説明は映画の中ほどで姉の茶妹が語っています。


 学校で、母親の絵を描くように言われた阿明が帰宅後、どうしてもママの顔が思い出せないと嘆くのを聞いた茶妹が、ママの容貌を説明した後、赤ん坊だった阿明が夜泣きをする時にはいつもママが「鲁冰花」を歌ってあやしていたことを明かしています。
 そのため、母親の愛を象徴して茶畑に咲く「鲁冰花」の歌は、茶摘みをする時の茶妹の愛唱歌ともなっています。


 曾淑勤の演唱する「鲁冰花」は、「歌中歌」の形式になっています。
 歌詞の前半では、成長した茶妹の立場で往時を追憶し、後半で母親から聞いた「鲁冰花」の歌を詠じています。
 なお、この母親から聞いた「鲁冰花」の歌詞は、映画の内容との直接の関係はなく、遥か遠くの地にいる子供の立場で、故郷とそこにいる母親を懐かしんで詠じたものになっています。



 魯冰花
 ルービンファ


(茶妹の追憶部分)
 我知道 半夜的星星 會唱歌
 想家的夜晚 它就這樣 和我一唱一和
 我知道 午後的清風 會唱歌
 童年的蟬聲 它總是跟風一唱一和

 私は知っている 夜中の星たちがいつも歌を歌っていたことを
 ホームシックにかられた夜に 星たちは私と一緒に歌ってくれた
 私は知っている 午後の清らかな風がいつも歌を歌っていたことを
 子供の頃の蝉の声は すべて風と共に歌っていた


當手中握住繁華 心情 卻 變得荒蕪
才發現世上  一切  都會變卦
當青春剩下日記 烏絲就要變成白髮
不變的只有那首歌 在心中來回的唱

どれほどにぎやかな生活を手にしたところで 心は却って荒れ果ててしまうものだ
世の中に現れる事々は  すべて変化してゆく
青春の日々の記憶は残ったとしても 烏のような黒髪はやがて白髪に変わって行く
いつまでも変わらないのはただあの歌だけ 今でも心の中で何度も何度も歌っている


(母の歌ってくれた「魯冰花」)
天上的星星不說話 地上的娃娃想媽媽
天上的眼睛眨啊眨 媽媽的心啊 魯冰花 
家鄉的茶園開滿花 媽媽的心肝在天涯
夜夜想起媽媽的話 閃閃的淚光 魯冰花
啊~閃閃的淚光 魯冰花

空の星は何も語らない 地上の子供はお母さんを想う
空の瞳はきらきら瞬く お母さんの暖かな心は 魯氷花
郷里の茶畑には花が満開 けれどお母さんの宝物の子供は遥か遠くの地にいる
夜ごとお母さんの話を思い出すと きらきらと涙が光る… 魯氷花…
あ~ きらきらと涙が光る… 魯氷花…


天上的星星不說話 地上的娃娃想媽媽   
天上的眼睛眨啊眨 媽媽的心啊  魯冰花
家鄉的茶園開滿花 媽媽的心肝在天涯
夜夜想起媽媽的話 閃閃的淚光 魯冰花
啊~ 啊~ 夜夜想起媽媽的話 閃閃的淚光魯冰花
啊~ 啊~ 夜夜想起媽媽的話 閃閃的淚光

空の星は話をしない 地上の子供はお母さんを想う
空の瞳はきらきら瞬く お母さんの暖かな心は 魯氷花
郷里の茶畑には花が満開 けれどお母さんの宝物の子供は遥か遠くの地にいる
夜ごとお母さんの話を思い出すと きらきらと涙が光る… 魯氷花…
あ~ あ~ 夜ごとお母さんの話を思い出すと きらきらと涙が光る… 魯氷花…
あ~ あ~ 夜ごとお母さんの話を思い出すと きらきらと涙が光る…




【魯冰花】曾淑勤 - [好歌推薦]



 おまけ(アニメ版)

鲁冰花



追記: 不肖伊賀山人、一身上の都合により暫く消え去ります。


      老兵永遠不死,只是悄然隱去.

 

Old Soldiers Never Die (1951) - Bing Crosby


追記(5月28日):

 本記事は、本年5月13日に掲載したものですが、その後、台灣の國文學者moli老師から、歌詞の和訳に一部誤訳ありとのご指摘を頂きましたので修文しました。

 moli老師には、この場を借りて篤く御礼申し上げます。

幾多愁 【虞美人】


 「幾多愁」は、鄧麗君〈デン・リージュン:テレサ・テン〉(1953年1月29日 - 1995年5月8日)が1983年に発表したアルバム「淡淡幽情」に収録されている楽曲です。
 このアルバムには、宋代の詞(し:ツー)12篇に現代の作曲家が曲を付けて鄧麗君が演唱した楽曲12曲が収録されています。
 「幾多愁」には台灣のシンガーソングライターの譚健常が曲を付けています。


 詞(し:ツー)とは、宋代に隆盛を見た韻文詞で、1首の中の各句の文字数や、平仄(アクセント)、押韻などが厳格に規定された韻文で、元々は既成の曲に合わせた替え歌のようにして作られたものです。
 詞(し:ツー)のために作られた曲の名称を「詞牌」といい、詞牌の数は全部で826調ありますが、同一詞牌で形式の異なるもの(同調異体)を数えると2306体あると言われています。
 それぞれの詞牌を区別するために、「虞美人」、「竹枝」、「鶯啼序」などの曲名が付けられています。
 詞(し:ツー)は、それぞれの詞牌ごとに定められた形式に従って作られますが、その内容は必ずしも詞牌の曲名通りとは限りません。
 詞の内容が詞牌の曲名と異なる場合には詞牌の下に詞題が添えられたり、小序が作られたりしました。


 「幾多愁 【虞美人】」とは、「虞美人」という詞牌に合うように作られた詞で、その内容が「幾多愁」であることを示しています。


 この詞は、五代十国時代に長江下流域にあった小国「南唐(国号は単に”唐”であるが他の同名を名乗った政権と区別するため”南唐”と呼びならわす。後に後周の圧迫を受けて国号を”江南”に改称した。)」の第3代(最後)の国主で、後に李 後主とも呼ばれることになる李 煜(り いく:937年8月15日~978年8月13日)の作品です。
 李 煜は、文学的・芸術的な才能に優れた人でしたが、君主としての政治的能力はほとんどなく、この当時北西方の強国「宋」の圧力に屈して、自身の江南国の都:金陵(現江蘇省南京市)から、北西にある宋国の都:開封(現河南省東部開封市)に連行されて軟禁生活を送っていました。


 「幾多愁 」は、李 煜が【虞美人】の曲に乗せて、自らを虞美人に擬えて幾多の愁いと望郷の念とを詠じたものです。
 この詞の最後、


「恰似一江春水 向東流(恰も似たり一江の春水の 東に向かって流るるに)


の一句は、望郷詞における古今の絶唱とされています。


 なお、テレサのアルバム「淡淡幽情」には、李 煜の詞が「幾多愁」のほか、「獨上西樓」、「臙脂涙」と併せて3篇が収められています。



(白文)
 虞美人  
    
春花秋月何時了,
往事知多少。
小樓昨夜又東風,
故國不堪回首 月明中。


雕欄玉砌應猶在,
只是朱顏改,
問君能有幾多愁。
恰似一江春水 向東流。


(訓読文)
 虞美人
 
春花 秋月 何の時にか了らん,
往事 多少(いくばく)かを知らん。
小樓 昨夜 又東風,
故國は 回首に 堪へず 月明の中。


雕欄(ちょうらん) 玉砌(ぎょくせい) 應に猶ほ 在り,
只だ是れ 朱顔 改まる,
君に問ふ 「能く 幾多の愁ひ 有りや。」
恰も似たり 一江の春水の 東に向かって流るるに。


(口語訳)
 虞美人
春の花から秋の月へと巡る季節に、いつか終わるときがあるだろうか、いやありはしない
昔日の思い出はどれほど多いことか

昨夜楼閣ではまた故国のある東の方から風が吹いてきた
月光の中に映る故郷は振り返るに堪えない


彫刻した欄干や玉石の階段で飾り上げた我が金陵の宮殿はまだその姿を留めているだろう
ただ、この私は容色も衰えて年老いてしまった
自問自答する「一体この私にはこれからもどれほど多くの愁いがあるのだろうか」と

それはあたかも、長江を満たす春水が東に向かって滔々と流れるように尽きることがない





幾多愁 【虞美人】 鄧麗君