伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

人生一路

【人生一路】 美空雲雀


(前奏)
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〔第壹節〕
一旦決定了就不再更改
(Ichido kimetara nidotowa kaenu)
這是我的生存之道
(korega jibunno ikiru michi)
不要哭泣不要迷惘 痛苦的堅持之後
(nakuna mayouna kurushiminuite)
人的願望總會實現
(hitowa nozomiwo hatasunosa )


〔第貳節〕
忍受著被埋在深厚的積雪之下
(yukino fukasani umorete taete)
等待著小麥長出芽來的春天
(mugiwa mewo dasu haruwo matsu )
置身於生存的試練之中 
(ikiru shirenni miwo sarasutomo)
秉持著意志 成為真正的人
(ijiwo! tsuranuku hitoni nare) 


〔第參節〕 
心中抱著志氣與熱誠
(muneni konjyohno honoowo daite )
邁向選擇的這條路往前衝
(kimeta! kono michi mashigura)
賭著明天 人生這條路
(asuni kakeyoh jinnsei ichiro )
像花辛苦的在風中綻放
(hanawa! kurohno kazeni sake)



美空ひばり  人生一路



追記:この記事は、著作権ぎりぎりなので、近日中に削除するかもしれません。


愛粲粲



Ai Sansan Misora Hibari 愛燦燦 美空 不死鳥



【愛粲粲亮亮】 美空雲雀


(第壹節)
雨 嘩啦啦地落在身上
怨恨僅有的時運不好
人真是悲哀 真是悲哀啊
縱然如此 往事一一
輕輕地休息於睫毛上 不要去想它們
人生 真是不可思議啊


(第貳節)(省略於YouTube)
風 呼呼地強烈摧殘在身上
不能如願以償的夢想 是失落了
人真是脆弱 真是脆弱啊
即使如此對未來的一切
仍面帶笑容等待著
人生 還是令人喜悦啊


(第參節)
愛 閃亮燦爛地 降臨在身上
不禁悄然流下深藏心底喜極而泣的淚水
人真是可愛 真是可愛啊
啊~ 往事一一
輕輕地休息於睫毛上 不要去想它們
人生 真是不可思議啊


(附節)
啊~ 對未來的一切
仍面帶笑容等待著
人生 還是令人喜悦啊


タイ王国(親日の国)

 【19世紀末から20世紀初頭の東南アジアの植民地支配】


 タイ王国は、上掲の図のとおり、東南アジアでは唯一、植民地支配を受けない独立国でありましたが、常に英仏の圧力を受ける難しい立場にありました。


 大東亜戦争中は、日本に積極的に協力しており、日本軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当しています。
 その一方で、アメリカなどの連合国とも連絡をとるという二重外交を展開し、戦後の欧米による占領を免れました。


 戦時中の泰国(タイ)駐屯軍司令官であった中村明人元陸軍中将は、1955年6月、タイ王国に国賓待遇で招かれ、10年ぶりにその地を訪れました。


 現地の新聞「サイアム・ラット紙」の主幹をしていたククリット・プラモート氏は、中村元司令官に次のように述べたと伝えられています。

 「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのはいったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの二つの日を忘れてはならない。」(ククリット・プラモート談)

 この文学者でもあり演劇家でもあったククリット・プラモート氏(1911年4月20日 - 1995年10月9日)は、その20年後の1975年にはタイ王国の首相に就任し、様々な分野で多くの業績を残した品格ある人物として知られるタイ王国を代表する要人です。