伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

兼好法師終焉の地(当ブログタイトルの由来)

 兼好法師(けんこうほうし)、本名は卜部兼好(うらべ かねよし)、今から700年ほど前の官人であり歌人・随筆家でもあった人です。30歳ころに出家したため、自他共に兼好法師と称されていましたが、後の世に卜部氏が吉田と改名したことにより、江戸時代以降は吉田兼好(よしだ けんこう)と通称されています。


 兼好法師は、日本3大随筆の一つとして知られる「徒然草」を執筆したことで有名ですが、この徒然草は、本人生存中には日の目を見ず、没後100年くらい経ってから世に出ました。その頃には既に原本は失われており、いくつかの写本を残すのみでありました。現在伝わっているものは、その写本ごとに内容が少し異なるところもありますが、世の文筆家にとっては必携の書となっています。


 法師は、晩年、伊賀国名張郡国見山(現在の三重県伊賀市種生国見)にあった国見寺の一隅に庵を開き、余生を過ごす傍ら徒然草を執筆し、1350年に没後この地に埋葬されたと伝えられております。法師がこの地で徒然草の草稿を練ったことを記念して、この「国見寺」は法師没後、その寺名を「草蒿寺(そうこうじ)」と改めて、七堂伽藍の建ち並ぶ大寺として約230年の歴史を刻んでおりました。


 ところが、戦国時代の1581年に至り、天下に覇を唱えんと目論む織田信長の軍勢に伊賀は攻め滅ぼされてしまいます。これぞ世に言う「天正伊賀の乱」。このとき織田軍主力の猛攻撃を受け追い詰められた伊賀の残党が、最後の砦として、この草蒿寺やその隣の国見山城一帯に立てこもりました。
 衆寡敵せず、寺も城も家も人もことごとく焼き尽くされて、兼好法師の遺品や徒然草にまつわる古文書もその全てが灰燼に帰してしまいました。


 時代は下り、この地の人々は兼好法師とその偉業を顕彰するため、明治38年(日露戦争の頃)には遺跡碑、昭和55年には記念碑(上記画像)を建立して現在に至っております。


 兼好法師が世に知られるのが遅かったこともあり、終焉の地については異説もありますが、伊賀の地に、法師と徒然草を顕彰する史跡が現存するのは、まぎれもない事実なのであります。


 当ブログのタイトル、「伊賀の徒然草」は、この故事にあやかっています。


【「町史蹟」とは、平成16年の市町村合併による伊賀市発足前の旧青山町の史蹟の意】


  国破山河在  城春草木深・・・   合掌

事務所の紹介

 不肖、伊賀山人は個人事業主です。
 誰の指図も受けず、自分の旗の下で自由に生きております。


 業態は、行政書士のほかファイナンシャルプランナーやカウンセラーなどを兼ねた総合事務所です。
 業務内容は、遺言書作成・相続手続き・個人事業主資産相談・各種許認可申請・心理カウンセリング・不動産競売手続きなど、広範多岐に亘っています。


 「器用貧乏」の言葉どおり、どれもこれも赤字経営で殆ど慈善事業状態です。主な収入源は、副業の宅地建物取引主任者としての不動産所得ですが、必要経費を差し引いた残りを時給に換算すると、国の定める最低賃金と大差ありません。
 それでも事務所を続けているのは、多少なりとも世の中の人々のお役にたっているに違いないとの自負心、言い換えれば自己満足に過ぎません。


 事務所の建物は、中古の居宅を購入して、余りお金を掛けず手も加えずにそのまま使用しているので、同業他事務所に比べると広いだけが取柄で、設備機材などはお粗末としか言いようがありません。


 貧乏居士の事務所など、読者各位にとってどうでもよいことではありますが、笑い話の種にでもなれば幸いです。


   【事務所の全景】
(高さ5メートルの擁壁は、敵の侵入を防ぐため・・・ではなく、裏の接面道路と高さを合わせるためのものです。屋根と外壁は徒然なるままに、所長直々に塗り直したものです。)


   【事務所の玄関】
(扉に張り付けた小さい看板以外には何の表示もないので、無用の者はここが事務所とは気づきません)


   【待合室】
(ここが、満員になったことはまだ一度もありません)


   【談話室】
(滅多に使わないので、日ごろは屋内物干場状態です)


   【談話室から望む寒村の風景】
(前方の山には、今年の干支の猿が住んでいます。鹿や猪も更にその向こうの山に住んでいますが、この画像では雪に霞んでいて見えません)


   【観月台】
(ここで、伊賀の山月を望み漢詩の詩想を練ります)


   【通信所】
(ここで、多いときは年間200件に及ぶメール相談への回答を発信しています)


   【執務室】
(冬季は、ここで全ての事務を執り行います)


   【副所長】
(資料室(非公開)の見張り役です)

子育て母さんのためのXY理論


 

     図A  「X字型」 


     図B 「Y字型」

(東京成徳大学田村教授の論文から引用)

 親の願いは、子供が成長して社会的にも経済的にも自立することにあります。
 上記の図は、親と子供の相対的力関係を時系列で表したものです。縦軸は力を、横軸は子供の年齢を表します。図AのようにX字型で推移するのが通常の形で、図BのようにY字型で推移するのは問題のある形です。


 生まれたての子供は、全くの無力です。自分ひとりで生きてゆくことはできません。親は、この子を保護して、生き抜く知恵を与えるために100%の力を注がねばなりません。


 やがて、子供は成長するに伴い順調に力を付けてゆきます。手取り足取り子供の面倒を見てきた親は、ようやく子供に手がかからなくなり、徐々に力を抜いてゆくことになります。図Aのように、子供の力は右肩上がりになり、親の力は右肩下がりになり双方の力はX字型を描くことになります。


 そして、子供が思春期、即ち生物学的に一人前になろうとする頃が丁度X字の交わる分岐点となります。子供は無意識のうちに親を越えようともがき始め、母さんの手助けや意見を拒否するようになります。そして、その本能から「うざいんだよ!」とか「クソババー!」とかの罵詈雑言が飛び出すようになり、「あの可愛かったこの子が、一体どうしてしまったのかしら? 私の育て方が悪かったのかしら?」と、大いに母さんを悩ませ悲しませることになります。これが反抗期です。


 しかし、ご心配は無用です。子供の憎まれ口は、決して母さんを嫌いになったわけではなく、親に追い付き追い越そうとする健全な成長の証なのです。この時期に、母さんのすることは過保護と過干渉とを避けて注意深く見守ることだけです。端的に言うと、何もしないことです。そうすれば、やがて子供は、自分のことは自分で決められる自立した大人へと成長して、図Aのように100%の力を発揮するようになるでしょう。


 ここで、過保護とは子供が自分でやるべきことを親が子供の家政婦となって何でもしてしまうことです。過干渉とは子供が自ら判断すべきことを親が先に答えを出してああしろこうしろと微に入り細に亘り指図することです。


 せっかく、子供が反抗期を迎えて、「クソババー」と言い出した時期に、母さんが幼児期の力関係を維持しようとして、過保護・過干渉の圧力をかけると、力関係は図BのようにY字型となり、いつまでも親子の力が拮抗して、子供は自分のことが自分でできず、自ら考えて結論を出す能力が身につかず、行動力や社会性の欠如した大人になってしまいます。


 さらに、まずいのは過保護・過干渉の母さんが、子供の面倒を見ること自体に生きがいや存在価値を持ってしまい、「やはりこの子には私が必要なのだ。」と考えていると、子供は子供で、そのような母さんの考えを敏感に察知して、わざわざ母さんの困るような万引きや家庭内暴力などの非行を始めることです。これを心理学では「共依存」といい、この関係に陥ると、子離れ・親離れは容易なことではありません。この場合には、別居などの荒療治が必要になることもあります。


 今から子育てに取り組む母さんは、「クソババー」と言われたら、子供の成長を喜び、過保護・過干渉をやめてください。
 もう既に、反抗期を過ぎても子供が親離れせず、失敗したと思っている母さんも大丈夫です。いつでも修正は可能です。修正方法は、特に難しいものではありません。


 週に1回、10分間で結構です。子供の話をただ聞くだけです。ただし、この際、母さんの意見は一切言ってはいけません。子供の幸せを心から願う母さんとしては、言いたいこともあるでしょうが、何も言わず、子供に寄り添い子供の気持ちを汲み取り、子供の価値観を認めてやることこそが肝要なのです。