伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

古月照今塵(古の月が今の世を照らす)


 「古月照今塵」は、インドネシア華僑の歌手である文章(本名:黃文章、1960年5月20日-)が1985年10月に発表した自身2枚目の同名のアルバム全10曲中の初頭1曲目に収録しているアルバムの表題曲です。


 文章は元々インドネシア国籍でしたが80年代に台湾に渡って活躍し、その後大陸に拠点を移し中共の宣伝をするような楽曲を演唱したりして一時期台湾での演芸活動禁止処分を受けたこともありますが、処分解除後の1997年8月に中華民國(台灣)国籍を取得して、現在は台灣を中心に活動しています。


 作曲・作詞は台灣では有名な作曲コンビである譚健常と小軒の夫妻が担当しています。
 夫の譚健常は仏領インドシナ(現在のラオス)出身の華僑でしたが、若い頃台灣に留学中にラオスが共産化する事態が発生して帰る家を失ったことから、台灣に永住して歌手兼作曲家となって現在に至っています。
 妻の小軒は、台灣の軍人家庭で育ち、父母の影響を強く受けたことから、台灣や支那の伝統文化や民族の情感を表現する作詞を得意としています。


 この「古月照今塵」も、作曲は譚健常、作詞は小軒の筈ですが、動画や歌詞紹介の資料の殆どで作詞・作曲者を逆に表示しており判然としません。
 歌詞の内容は、二千数百年前の春秋の歴史書から歌い起し、古の聖賢や歴朝の英雄を見習って、支那が最も隆盛を誇った漢代や唐代の版図を再建しようと詠ずるものです。
 この内容からは、作詞者はラオス出身の譚健常ではなく、軍人である父親が大陸から台湾に逃れてきた小軒が、文化大革命(1966~1976)で荒廃した父祖の地に思いを寄せて書いたものと考えるのが自然でしょう。
 漢代や唐代の版図は、現在中共が占領する地域の半分ほどしかありません。
 漢や唐の時代は長く泰平が続き文化が興隆したことから、漢人にとってはほぼ理想の時代と思われていることもありますが、中共が武力又は武力による威嚇により侵略した〇〇自治区や満州の独立を暗に詠じているようにも感じられます。


 詞題に見える「今塵」とは、漢詩の慣用句で「今の世の中、俗世間」を意味しており、塵(ちり)や埃(ほこり)の意ではありません。
 歌詞の冒頭に見える「一部春秋史」とは、「一揃いの『春秋』の歴史書」という意味で、「春秋」とは支那に於ける魯の時代(紀元前紀元前722年~紀元前481年)の242年間に及ぶ王侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害(こうがい:バッタの大量発生による農業被害)といった自然災害などの史実を年表風にまとめた歴史書であるといわれていますが、その原本は失われています。
 現在伝わっているのは、下記画像に見える「春秋」の「傳(でん)」と呼ばれる注釈書のみで、その代表的な『春秋左(氏)傳』『春秋公羊傳』『春秋穀梁傳』の3つを併せて『春秋三傳(しゅんじゅうさんでん)』と称しています。


 【古文觀止鑑賞巻之一「周文」から引用】


 また、詞中に見える「千年」「百戦」「千里」などの数字の付いた表現は、年数が長いことや数が多い、距離が長いことを強調する表現で、数字本来の意味とは関係ありません。
 「滄桑」とは、故事成語「滄海桑田(そうかいそうでん)」の略で、青々とした大海ですら いつの間にか水が枯れ果てて桑畑になるという意味で、世の中の変化が激しいことの例えです。
 「漢疆和唐土」とは、直訳すると「漢代の国境と唐代の国土」となり分かりにくい表現ですが、ここでは互文的修辞技法と見做して、「漢和唐疆土」つまり「漢や唐の時代の版図」と解釈しておきます。



 古月照今塵
 古の月が今の世を照らす
                作曲: 譚健常 作詞:小軒 原唱﹕文章
一部春秋史 千年孤臣淚
成敗難長久 興亡在轉瞬間
總在茶餘後 供於後人說
多少辛酸  話因果

一揃いの春秋の史書をひも解けば そこには千年(長年の形容)の主君と臣下の涙が見える
成功も失敗も永久には続きがたく 興亡は瞬間に所を変える
総じて後の世の人々の寛ぐときの 茶飲み話に供されている
どれほど多くの辛酸を嘗めたのか その因果の物語として


百戰舊河山 古來功難全 *1
江山幾局殘 荒城重拾何年
文章寫不盡 幽幽滄桑史
悲歡歲月  盡無情

古くからの河や山で多くの戦が繰り返されたが 古来その戦功を全うすることは難しい
川や山はどれだけ版図の中に残っているのか 荒れ果てた街はいつ復旧できるのか
文章に書いても書き尽くせぬ 奥深くしかも激しく移り変わる古今の世の中の歴史
悲しみや喜びに彩られた歳月は 無情に過ぎ去ってしまった


長江長千里 黃河水不停 *2
江山依舊人事已非 
只剩古月照今塵
莫負古聖賢 效歷朝英雄
再造一個輝煌的漢疆和唐土 *3

長江は永遠に千里を流れ 黄河の水は止まることを知らない
川や山は昔のままの姿をとどめているが 人の世のことは既にこの世のものではない
ただ古の月だけが残って 今の世の中を照らしている
しかし古の聖人や賢者の志に背いてはならない 歴代の王朝を支えた英雄を見習おう
そしてあの輝き煌いていた我が心の故郷の漢や唐の時代の版図を再建しよう


(間奏)


*1~*3 再唱
*2~*3 再唱


再造一個輝煌的漢疆和唐土
あの光輝ある漢や唐の時代の版図を再建しよう




古月照今塵


明けましておめでとうございます

新年を迎へ 皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げます


  皇紀二千六百七十九年元旦
                            伊賀山人敬白
 



 一月一日
 一月一日
                         作詞: 千家尊福(せんげ・たかとみ、1845 - 1918)
                         作曲: 上真行(うえ・さねみち、1851 - 1937)
       掲載: 明治26年8月12日文部省告示第3号別冊「祝日大祭日歌詞並楽譜」
          (『官報』第3037号附録、1893年(明治26年)8月12日)
           昭和19年『高等科音楽 一 男子用』として、第2章の一部を改詞
第一章
年(とし)のはじめの 例(ためし)とて
終(をは)りなき世(よ)の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
いはふ今日(けふ)こそ たのしけれ

一年之始的慣例
永續的世代之賀喜
立松竹在毎家門前
正是祝福今日非常快樂


第二章
初日(はつひ)のひかり さしいでて
四方(よも)に輝く 今朝(けさ)のそら
君(きみ)がみかげに比(たぐ)へつつ
仰(あふ)ぎ見(み)るこそ 尊(たふ)とけれ

元旦的曙光射出
於四方輝耀今朝的天空
比擬君的圖像 且
仰望非常尊榮


 筆者注:

 明治26年版の原詞では第2章は次のとおり。

第二章

初日(はつひ)のひかり あきらけく

治(をさ)まる御代(みよ)の 今朝(けさ)のそら

君(きみ)がみかげに 比(たぐ)へつゝ

仰(あふ)ぎ見(み)るこそ たふとけれ



一月一日 文部省唱歌 平成の録音


  奉祝 四方節


掛けまくも畏(カシコ)き天照大御神の大前に

恐(カシコ)み恐(カシコ)みも白(マヲ)さく

天皇(スメラミコト)の天津日嗣(アマツヒツギ)の

高御座(タカミクラ)に即(ツ)き給ひしより

三十年を迎へ給ふ 新しき年の新しき月の

新しき日の今日の朝日の豊榮登(トヨサカノボリ)に

御賀(ミホギ)の壽詞(ヨゴト)仕奉ると

豊御食豊神酒(トヨミケトヨミキ)を始めて

海川(ウミカワ)山野(ヤマノ)の種々(クサグサ)の

味物(タメツモノ)を献奉りて拝(オロガミ)奉る状(サマ)を

平らけく安らけく聞食(キコシメ)して

此の年を良き年の美(ウマ)し年と守り給ひ幸(さきは)へ給ひて

天皇(スメラミコト)の大御代(オオミヨ)を

手長(タナガ)の御代の嚴御代(イカシミヨ)と

堅磐(カキワ)に常磐(トキワ)に斎(イハヒ)奉り幸(サキハ)へ奉り給ひ

御氏子崇敬者(ミウヂコマメビト)を始めて

天下(アメノシタ)四方(ヨモ)の國民(オオミタカラ)に至るまで

大神の高き尊き神威(ミイツ)を差昇る初日の光と共に

彌(イヤ)益々に仰(アフギ)奉らしめ給ひ

各(オノ)も各(オノ)も負持(オヒモ)つ職業(ワザ)に

勤(イソシミ)み勵み互(カタミ)に睦び和みつつ 

世の人々の幸福(サチ)を進めしめ給ひ

子孫(ウミノコ)の八十続(ヤソツヅキ)

五十橿(イカシ)八桑枝(ヤクハエ)の如く

立榮えしめ給へと恐(カシコ)み恐(カシコ)みも白(マヲ)す


 【半世紀前1969年(昭和44年)元日 伊賀山人高校3年生】


年末御挨拶


 
 本年も「伊賀の徒然草」をご高覧頂き有難うございました。
 読者各位には、好いお正月をお迎えください。
 また、明年もよろしくお願い申し上げます。


   平成30年12月31日
                     伊賀山人敬白





お正月 byひまわり(♬もういくつ寝るとお正月~)歌詞付き|唱歌|Osho-gatsu|New Year



 お正月
             作詞:東 くめ 作曲:滝 廉太郎
もういくつねるとお正月
お正月には 凧あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやくこいこいお正月


もういくつねるとお正月
お正月には まりついて
おいばねついて 遊びましょう
はやくこいこいお正月


 新年一月
再睡幾次就是新年一月了
在新年一月裏我們一起放風箏
轉陀螺  盡情地玩耍 
新年一月快點兒來到吧!


再睡幾次就是新年一月了
在新年一月裏我們一起玩皮球

打羽毛毽子  盡情地玩耍
新年一月快點兒來到吧!


這首歌是新年最具代表性的童謠。小朋友期待新年的心聲,充滿童聲歡樂。男孩子們玩    陀螺,女孩子們玩球,是日本兒童新年的傳統活動之一,與中國孩童在過舊曆年放鞭炮一樣,興奮地迎接新年到來。這首「お正月」最早收錄於滝  廉太郎所編輯「幼稚園唱歌」的歌本裡面,該歌本收錄的歌曲全部都附有伴奏譜,可說是創下了先例。其大部分的曲子是滝  廉太郎作的。而大部分的歌詞,則是由在音樂學校大他兩屆的學姊東久米填寫的;當時有鑒於幼兒教唱歌曲太難,而針對幼稚園孩童重新編輯的教唱歌曲,這首就是其中之一;對初學日語的人而言,克服了單字並了解意思之後,學起來特別會有成就感哦!