伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

生命の水(ユニセフの活動紹介)


 ユニセフ(国際連合児童基金)は、世界中の子供たちを守るための様々な活動をしています。
 今回は、その中から安全な水の提供を主眼とする衛生支援活動について、ユニセフからのメッセージを要約してご紹介します。



 新型コロナウィルスの影響で、手洗いの大切さが再認識される中、世界には、手洗いにも飲料にも適さない「汚れた水」しか使えない子供たちが大勢います。


「本当はこの汚い水を子供たちに飲ませたくはありません。」

 アフリカの南スーダンの村では、人々は虫やゴミが浮かぶ川から水をくみ飲料水として使っています。

 この村で3人の子供を育てているチャリティーさんは、「本当はこんな水を子供たちに飲ませたくはありません。でもこの水がなければ私たちは生きていけません。」と語っています。

 彼女は少しでも安全に飲めるように、薪で火を起こし、煮沸した後、一晩置いてゴミを取り除きます。それでも子供たちは頻繁に下痢に苦しめられています。


 南スーダンでは、生まれた子供の10人に1人が5歳まで生きることができません。その死因の多くは、汚れた水に起因する下痢性疾患です。


 サハラ以南のアフリカや中央・南アジアをはじめ、世界では22億人(世界人口の約3割)もの人々が、安全な水を利用できずにいます。

 汚い水は、抵抗力の弱い子供たちの健康を容赦なくむしばみ、とりわけ下痢は、年間44万人以上の幼い命を奪う、世界の乳幼児の最大死因の一つとなっています。


 ユニセフは、汚れた水を安全な水に変える浄水剤や、下痢を治療するORS(経口補水塩)の配布などを通じて、子供たちを病気から守るとともに、長期的に使用できる給水・衛生施設を作っています。ユニセフの支援を受けて安全な水を飲めるようになった人々は、一昨年だけでも、世界中で約1900万人に上っています。



「きれいな水と衛生知識が有れば、多くの幼い命を守ることができます。」

 新型コロナウィルスによる世界規模の脅威が続く中、ユニセフの給水・衛生支援活動、なかでも衛生知識の普及が、人々の命を守る重要なカギとなっています。

 多くの感染症は、病原体に触れた手を介して人から人へと伝搬します。そのため、感染予防には、清潔な水と石鹸を使った手洗いが極めて有効です。しかし、世界には安全な水を使って手洗いをできる環境にない人が何十億人もいます。


 劣悪な環境で密集して暮らす子供たちは、感染症の流行で最も犠牲になりやすい存在です。

 生きるために飲んだ汚い水で、今日も命をむしばまれていく子供たちがいます。

 安全な水と正しい知識で子供たちを守るユニセフの活動にご支援をお願いします。


 
 【ユニセフ民間支援調整局長キャリー・ストール氏からのメッセージ】▼




 【ユニセフへの募金の送金方法】▼ 



 因みに伊賀山人はユニセフから送付される振込票を使用しています。

無可奈何 〔奈何(いかん)すべくもなし〕


 「無可奈何」(いかんすべくもなし:どうすることもできない)は、アメリカカリフォルニア州サンフランシスコ市で生まれて香港で育ち、アメリカ国籍と香港の永住権を持つ男歌手鄭嘉穎(ていかえい、英名ケビン・チェン;Kevin Cheng,1969年8月15日-)が、2006年8月8日 に発表したアルバム「鄭嘉穎 新曲+精選」の18曲中5曲目に収録している楽曲です。


 この楽曲は、台灣の著名な音楽家劉家昌(りゅうかしょう、1940年或1943年4月13日-)が作詞・作曲した台灣國語版です。
 この楽曲の粵語(広東語)版としては、香港のテレビドラマ《寫意人生》(思いのままの人生)の主題歌として、香港の女自作自演歌手の陳詩慧(ちんしけい、1981年10月17日-)が歌詞を付けて、鄭嘉穎が演唱した《活得寫意》(思いのままに生きる)と題するものもありますが、こちらの歌詞の内容は劉家昌の原詞とは殆ど正反対のものになっています。


 劉家昌の原詞の詞題「無可奈何」(いかんすべくもなし、いかんともするなし)の原義は、「どうすることもできない」或いは「どう仕様もない」との意で、字義通りに解すると挫折感や諦観を詠じているようにも見えます。
 しかしながら、劉家昌の詞作は一般に短いものが多いのですが、非常に深遠なものが多く、この歌詞も単なる諦めの境地を詠じたものではないような気がします。
 伊賀流の解釈としては、「人は皆多くの富や名声を手に入れるために努力を重ねて生きている。しかし、その欲望が叶えられることは殆どなくそれが苦しみになっている。努力することは無論必要であるが、求めても得られぬことが多いことを悟るべきである。そもそも、人は無一物で生まれてきて無一物で世を去るのだから。」と劉家昌は主張しているように思います。
 これは、仏教の開祖釈迦が喝破した「一切皆苦」、即ち「人には思い通りにしたいという欲望があるが、それが思い通りになることはない。そこに全ての苦しみが生ずる原因がある。」とする教義に相通ずる哲学的なものです。


 今回は、劉家昌が2011年に香港で挙行した「滋味知己四十年演唱会」(友と味わった四十年の演唱會)と題するコンサートで、香港の女歌手關心妍(かんしんけん、1979年7月31日-)とのデュエットとして演唱したセルフカバー版でご紹介します。
 なお、劉家昌が音楽家として出道したのは台灣では1968年のことですので、2011年には出道四十三年になります。
 資料が不足しており確証はありませんが、「四十年演唱會」とは、香港での出道が四十年との意と思います。


 「人は無欲にして生まれ出で、無欲にして去って行く」とする、劉家昌の人生哲学を御清聴下さい。



 無可奈何
 奈何(いかん)すべくもなし
 どうすることもできない
                    作詞:劉家昌 作曲:劉家昌 編曲:劉家昌
我就這樣的來 我就這樣的去
甚麼也沒得著 也沒有甚麼失去
我(われ)就(まさ)に 這(こ)の樣にして來たり 
我(われ)就(まさ)に 這(こ)の樣にして去る
甚麼(いかなる)ものも也(ま)た得ず

也(ま)た甚麼(いかなる)ものも失ふこと有らずして去る

私は正にこのようにしてやって来て
私は正にこのようにして去って行く
いかなるものを得ることもなく
またいかなるものを失うこともなく去って行く


我就這樣的來 我就這樣的去 *1
甚麼也沒得著 也沒有甚麼失去  

我(われ)就(まさ)に 這(こ)の樣にして來たり 
我(われ)就(まさ)に 這(こ)の樣にして去る
甚麼(いかなる)ものも也(ま)た得ず
也(ま)た甚麼(いかなる)ものも失ふこと有らずして去る

私は正にこのようにしてやって来て
私は正にこのようにして去って行く
いかなるものを得ることもなく
またいかなるものを失うこともなく去って行く


茫茫蒼海往何處去
沒有盡頭人生坎坷之旅
   
茫茫(ぼうぼう)たる蒼海(そうかい) 往(い)きて何處(いずこ)に去るか
盡頭(じんとう)有らざる 人生坎坷(かんか)の旅

広々とした青い海を行けばどこに辿り着くのであろうか
果てしなき 人生の志を得ぬ不遇の旅のように


空手來又空手去
講求名利又是何必

空手(くうしゅ)にして來たり又空手にして去る
名利(めいり)を講求(こうきゅう)すること又是れ何んぞ必(かなら)ずしもならんや

何も手にせずやって来て また何も手にせず去って行く
名誉と利益を追求することが またどうして必要であろうか


我就這樣的來 我就這樣的去
甚麼也沒得著 也沒有甚麼失去 *2

我(われ)就(まさ)に 這(こ)の樣にして來たり 
我(われ)就(まさ)に 這(こ)の樣にして去る
甚麼(いかなる)ものも也(ま)た得ず
也(ま)た甚麼(いかなる)ものも失ふこと有らずして去る

私は正にこのようにしてやって来て
私は正にこのようにして去って行く
いかなるものを得ることもなく
またいかなるものを失うこともなく去って行く


(間奏)


*1~*2再唱




刘家昌 :无可奈何(关心妍合唱)+ 我家在那里