伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

Old Soldiers Never Die (老兵は死なず)


 「老兵は死なず」は、100年以上前から米軍の兵士の間で歌われていた歌謡曲です。


 この曲は元々、イギリス軍の兵士が基地内の教会で歌っていたゴスペルソング「Kind Thoughts Can Never Die(親切な思いやりは決して廃れることはない)」の替え歌として作られたものです。


 作詞者は不明ですが、米軍の部隊に口伝えで伝わったため、多くのバージョンが存在します。


 最初のバージョンは、確証はありませんが、次のようなシンプルなものであったようです。


Old soldiers never die, never die, never die,

Old soldiers never die.

They just fade away.

老兵は死なず、死なず、死なず、

老兵は死なず、

ただ消え去るのみ

老兵永遠不死 , 永遠不死 , 永遠不死
老兵永遠不死,
他們只是悄然隱去.


Young soldiers wish they would,

wish they would, wish they would,

Young soldiers wish they would,

Wish they'd fade away.

新兵もそうなりたい、

そうなりたい、そうなりたい、

新兵もそうなりたい、

そして消え去りたい。

年輕的士兵希望成老兵 ,
希望成老兵 , 希望成老兵 ,
年輕的士兵希望成老兵 ,
他們就會想後只是悄然隱去.

 ここで、「老兵」というのは、年老いた兵士という意味ではありません。
 軍歴豊富な老練な兵、つまり古参兵という意味です。
 また、新兵というのも年齢とは関係なく軍隊経験の浅い兵隊という意味ですが、平時では概ね年齢の若い兵士と同義です。


 「老兵は死なず」とは、戦術行動に習熟した老兵は戦死することが無いという意味です。
 「ただ消え去るのみ」とは、二つの意味があり、戦術上は偽装・築城の経験豊富な老兵は隠蔽・掩蔽を周到にして敵の眼から消え去ることを意味します。
 また、人事上は、徴兵により召集された兵士であれば満期除隊することであり、志願兵であれば定年やその他の理由で名誉除隊することを意味しています。


 軍人以外で知る者もいなかったこの歌は、連合国軍最高司令官として日本の占領統治と朝鮮戦争を指導していた米陸軍元帥ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)が、1951年、支那東北地区への侵攻を主張し、トルーマン大統領と対立して解任された後、帰国して4月19日にワシントンD.C.の上下院の合同会議に出席して行った退任演説に引用して有名になりました。


 その後、多くの歌手により、様々なバージョンが演唱されていますが、今回は、ヴォーン・モンロー(Vaughn Monroe)版でご紹介します。


 この歌詞では、マッカーサーの演説を踏まえて、部隊で演唱されているものに補詞されています。 


 本日4月5日、マッカーサー没後54年の命日です。



 Old soldiers never die
 老兵は死なず
 老兵永遠不死


Old soldiers never die; They just fade away
老兵は死なず、ただ消え去るのみ
老兵永遠不死,他們只是悄然隱去.


There is an old mess hall not far away
Where we get pork and beans three times a day
Ham and eggs we never see, even when we're on KP
And we are gradually fading away
古い隊員食堂がそれほど遠くない場所にある。
そこで、我々は一日三回ともポークと豆の煮物を食べる。
ハムと卵のような上等な食べ物にはお目にかかったことがない、
それは我々が炊事当番に上番している時でさえ。
そして我々は古参兵になる頃には満期が来て、次々に除隊するのさ。

並不是那麼遠的地方有舊的隊員食堂。
是那裡,我們一日三次都吃豬肉和豆的燉菜。
到象火腿和蛋一樣的上等的食物沒有見面過,
連那個我們對炊事值班上番做時。
又我們到期到達成為老手兵的時候,一個接一個退伍。


Old soldiers never die
Never die, never die
Old soldiers never die
They just fade away
老兵は死なず、
死なず、死なず、
老兵は死なず、
ただ消え去るのみ。

老兵永遠不死,
永遠不死,永遠不死,
老兵永遠不死,
他們只是悄然隱去.


Privates, they love their beer three times a day
Corporals, they love their stripes, and that ain't hay
Sergeants put you through the mill
They just drill and drill and drill,
And they will drill until they fade away
2等兵は、一日三回ビールを飲むのが大好きさ。
伍長は、袖に付ける紐のような階級章や従軍記章の棒線が大好きさ、
それは細長いと言っても馬草なんかじゃないのさ。
軍曹は、みんなを絞り上げるのさ、
彼らはただ只管みんなを訓練、訓練、そして訓練に駆り立てるのさ。
そしてその訓練は、彼らが消え去るまで続くのさ。

2等兵,是非常喜歡喝一日三次啤酒。
伍長,是非常喜歡安上袖子的象帶子一樣的階級章和隨軍紀念章的直線,
那不是馬草之類。
中士,擰乾大家,
他們只有訓練免費管大家,迫使在訓練,又的訓練。
並且那個訓練,到他們消失持續。


Old soldiers never die
Never die, never die
Old soldiers never die
They just fade away
老兵は死なず、
死なず、死なず、
老兵は死なず、
ただ消え去るのみ。

老兵永遠不死,
永遠不死,永遠不死,
老兵永遠不死,
他們只是悄然隱去.


Young soldiers shine their shoes three times a day
Young soldiers go on leave, they know the way
Young soldiers say goodbye, kiss the girls and make them cry
Then the girls all wonder why they fade away
新兵は、一日三回靴を磨かなければならない。
新兵はよく休暇を取る、その方法を良く知っているのさ。
新兵は「さよなら」を言う、女の子たちにキスしながら彼女らを泣かせてね。
それから、その女の子たちは不思議に思うのさ、

どうして新兵が消え去ったのだろうかとね。
新兵,必須擦一日三次鞋。
新兵很好地知道很好地安排休假,那個方法。
新兵說「再見」,女孩子接吻使她們哭泣。
然後,那個女孩子們不可思議地思念,
是怎麼新兵們只是悄然隱去的。


Old soldiers never die
Never die, never die
Old soldiers never die
They just fade away
老兵は死なず、
死なず、死なず、
老兵は死なず、
ただ消え去るのみ。

老兵永遠不死,
永遠不死,永遠不死,
老兵永遠不死,
他們只是悄然隱去.

Washington and Grant and Lee were all tried and true

Eisenhower, Bradley and MacArthur too

They will live forevermore till the world is done with war.

Then they will close that final door, fading away

ワシントンやグラントやリーのような昔の将軍たちも同じようにしたのは事実さ。

アイゼンハワーやブラッドレイやマッカーサーのような現代の将軍たちも同じさ。

彼らは、世界中が戦争をしている時にも生き残って、

最後の幕を下ろして、消え去って行ったのさ。

象華盛頓和格蘭特和Lee一樣的從前的將軍們也使一樣的事實。

象艾森豪威爾和布拉德利和麥克阿瑟一樣的現代的將軍們也是一樣。
他們,全世界戰爭時也生存,
是落下最後的幕,他們悄然隱去的。


Old soldiers never die
Never die, never die
Old soldiers never die
They just fade away
老兵は死なず、
死なず、死なず、
老兵は死なず、
ただ消え去るのみ。

老兵永遠不死,
永遠不死,永遠不死,
老兵永遠不死,
他們只是悄然隱去.


[Fades]
Fade away
Fade away
Fade away
Fade away




Vaughn Monroe - \"Old Soldiers Never Die\"


 マッカーサーの退任演説抜粋はこちら↓

昴 -すばる-

 【昴:プレアデス星団】


 『昴 -すばる-』は、日本のシンガーソングライター谷村新司(たにむら しんじ、1948年12月11日 - )が、1980年4月1日に発表した楽曲で、今でも谷村のコンサートでは必ず歌われる代表曲の一つです。
 「昴」の直接の意味は、おうし座にあるプレアデス星団のことで、この星団は肉眼でも見ることが出来ます。


 この曲は、谷村がフォークグループのアリスのリーダーを務めていたころの1980年に、グループと並行して始めたソロ活動の一環として制作された曲です。


 谷村の自著『谷村新司の不思議すぎる話』(2014年1月30日刊、マガジンハウス)によると、この楽曲の歌詞は、引っ越しのため荷作りをしていた谷村が床に寝そべりながらダンボール箱に思い付いたことを書いて出来たものだそうです。
 また、後に谷村は、この歌詞のキーワードである「さらば昴よ」は、プレアデス星団が自分だけに告げた句で20年間その意味は分からなかったが、「物を中心に据えた価値観に別れを告げるという意味だった」と解して納得したと冗談めかして述べるなど、甚だ不可思議な歌詞です。


 その為、人それぞれに様々な解釈が成り立ちますが、伊賀山人の解釈としては、これは多分、明治の歌人 石川啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)の心境を詠じたものだろうと考えています。


 石川啄木の死後出版された第二歌集『悲しき玩具』には、次の二首が収められています。

   「悲しき玩具」から抜粋


    呼吸(いき)すれば、

    胸の中(うち)にて鳴る音あり。

    凩(こがらし)よりもさびしきその音!


    眼閉づれど、

    心にうかぶ何もなし。

    さびしくも、また、眼をあけるかな。


 谷村の「昴」は、この石川の詩想を踏まえたものとみて間違いないでしょう。


 また、石川は1909年から1913年まで刊行されたロマン主義的な文芸雑誌『スバル』の創刊号から約1年間、同誌の発行名義人を務めています。


 石川は、その時期に『赤痢』『足跡(その一)』などの小説も発表しましたが、詩歌とは勝手が違って、それらの多くは評判があまり芳しくなく、失意のうちに「スバル」を去っています。
 その後、程なくして肺結核を患い、2年後には世を去っています。


 谷村本人が、そのことを意識していたかどうかは判然としませんが、石川の故事を顧みると、谷村の歌は「スバル」に別れを告げた石川が、結核の為「青白き頬のままで」新天地を求めて旅立つ姿を詠じたものと伊賀山人は考えています。


 旅立ちの留別を勇壮に歌い上げた谷村新司の代表曲ですが、今回は、美空ひばりの演唱でご紹介します。
 動画は、1986年3月9日中野サンプラザで行われた、美空ひばりの歌手生活40周年記念リサイタルで収録されたものです。



 昴
            作詞・作曲:谷村新司 演唱:美空ひばり
目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
ああ 砕け散る宿命(さだめ)の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ


呼吸(いき)をすれば胸の中 凩(こがらし)は吠(な)き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
ああ さんざめく 名もなき星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ
我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ


ああ いつの日か誰かがこの道を
ああ いつの日か誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ ...



 昂宿星團
            作詞・作曲:谷村新司 演唱:美空雲雀
閉上雙眼 什麼都看不見  如果睜開悲傷的雙眼
除了前面荒野的道路  什麼都看不到
啊 命運破碎離散的星兒啊
至少寂靜悄悄地 照耀我身啊
我將獨行遠去上 掛著依舊倉白的臉頰
我將獨行遠去 再見吧 昴星啊


雖然吸著氣 刺骨寒風  在心中悲鳴不已
但是我心中充滿熱情  繼續追逐夢想 使其美夢成真
啊 閃閃爍爍 無名之星群啊
至少也要光彩亮麗的 結束這一生吧
我將獨行遠去 隨心所欲(了無羈絆)
我將獨行遠去 再會吧 昴星啊


啊 不知道哪一天 誰會來走這條道路
啊 不知道哪一天 誰會來走這條道路
我將獨行遠去 掛著依舊倉白的臉頰
我將獨行遠去  再見了  昴星啊
我將獨行遠去  再見了  昴星啊…




美空ひばり - 昴(すばる) LIVE (中/日歌詞字幕)



「春曉(しゅんぎょう)」の音読み



 春曉

           盛唐 孟浩然

 春眠不覺曉,

 處處聞啼鳥。

 夜來風雨聲,

 花落知多少。


 「春曉」とは、盛唐の詩人孟浩然(もう こうねん/もう こうぜん、モン ハオラン、689年 - 740年)作の五言絶句です。


 漢詩の中でも、唐代に完成した近体詩と言われるものは、一首の中の句数や一句の中の漢字数とその平仄(アクセント)の配置や韻の踏み方など、厳格な決まりのある「定型詩」です。


 このような定型を守ることにより、唐代の発音で読んだ時に歌うがごとき心地よいリズムと響きになるのです。


 ところが、日本では古来、漢詩を定型詩として読んでいるわけではありません。
 次のように、訓読して非定型詩として読んでいます。
 実は、このことが、漢詩が現代まで日本人に普及している一因ともなっています。
 つまり、日本に漢詩が伝わった頃には、既に五七調を基準とする定型詩である和歌が、知識人の教養として存在していたのです。
 そのような時に、漢詩が古代の知識人に普及したのは、非定型詩が初めての経験であり珍しかったことと、更には漢語を使うことにより和語を使う和歌では表せない包括概念や抽象概念を表現することが出来たことが原因の一つと考えられています。


 春曉

春眠 曉を覺えず,

處處(しょしょ)に 啼鳥(ていちょう)を聞く。

夜來(やらい) 風雨の聲(こえ),

花 落つること 知んぬ多少ぞ。


 漢詩の訓読も、これはこれで、格調高い響きがありますが、本来の定型詩の響きではありません。


 今回は、この「春曉」が約1300年前にはどのような響きであったのかを、音読みで研究してみました。


 日本語の音読みにはいくつかの種類がありますが、大別して「漢音」と「呉音」の2種類が最も多く使われています。
 「漢」とか「呉」とかの頭字は、王朝名とは関係ありません。
 「漢音」とは唐代の都長安で使われていた音を当時の日本から支那へ留学していた仏教僧が持ち帰って広めた読み方です。
 「呉音」とはそれよりも前に仏教の伝来と同時に、経文の読み方として伝わっていたものです。


 現在では、漢文・漢詩は「漢音」、仏教典は「呉音」で読む慣わしとなっています。


 漢詩も「漢音」で読むと、平仄のアクセントは付いていませんが比較的唐代の音に近くなります。もっとも、この際は古代の読み方「字音仮名遣ひ」というもので読む必要があります。
 また、漢字は支那諸語では一字が一音節でそれぞれの読む時間は同じですので、例えば、「花落知多少」は、「か らく ち た しょう」ではなく、「くゎ~ らく ち~ た~ せう」と読むほうが原音に近くなります。
 これは、漢文で出来ている仏教の経典を読む場合でも同じで、例えば「観自在菩薩」であれば、「かん じ ざい ぼ さつ」ではなく、「かん じ~ ざい ぼ~ さつ」と読み慣わしています。


 この方法で、音読みすると、「春曉」は次のようになります。


  春   曉 

  しゅん げう        

春   眠   不  覺  曉,

しゅん みん  ぶ~ かく げう

處   處   聞  啼  鳥。

しょ~ しょ~ ぶん てい てう

夜   來   風  雨  聲,

や~  らい  ふう う~ しゃう

花   落   知  多  少。

くゎ~ らく  ち~ た~ せう


 この音読みでも、1句・2句・3句の末語の「げう・てう・せう」は、「~eu」で韻を踏んでいることが分かります。
 果してこれが1300年前の読みに近いのかどうかを検証するため、「現代台湾華語」と「唐代長安音(推定)」による朗読と比較してみました。
 なお、「唐代長安音(推定)」は、大島正二著『唐代の人は漢詩をどう詠んだか』(岩波書店)に基づいています。


 【現代台湾華語による「春曉」の朗読】

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 【唐代長安音(推定)による「春曉」の朗読】

孟浩然「春暁」 唐代長安音(推定)


 検証結果、日本語の音読みでも、「字音仮名遣ひ」を使えば、1300年前の長安音の雰囲気が結構良く出ていると悦に入る今夜の伊賀山人でした。