伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

活出愛(愛を実現しよう)


 クリスマスシーズンにあたり、新作讃美歌を1曲ご紹介します。


 今回ご紹介する「活出愛」(愛を実現しよう)は、台灣のシンガーソングライター盛曉玫(シォン シァォメイ、英名:Amy Sand、女、出生地・生年月日非公開)が、 2012年7月31日に発表した自身6枚目のアルバム「幸福」全11曲中の最後に収録している楽曲です。
 盛曉玫は、2004年から「泥土音樂(Clay Music)」という新しい音楽のジャンルを創設して現代的な讃美歌の創作活動を続けている音楽家で、このアルバムも11曲全曲が新しいスタイルの讃美歌になっています。


 「活出愛」とは、英文聖書に見える「Live Out Love 」の漢訳で、「愛を全うする」「愛を貫く」「愛を実現する」といった意味の慣用句です。


 パレスチナ西岸部のベツレヘムで神の子として生まれた古代ユダヤ人(現代の白人系ユダヤ人とは無関係、パレスチナ人即ちアラブ人に近い。)のイエスは、生地ベツレヘムの北方約150キロのナザレで幼少期から30歳になってユダヤ教の一派を起こし宣教を始めるまでを過ごしたことから、その地名を採って「ナザレのイエス」と呼ばれていました。
 彼は後に「イエス・キリスト」と呼ばれるようになりますが、「キリスト」とは名前ではなく「救世主」を意味する称号です。

 筆者注: 《名前に地名を付ける理由について》

 イエスが生まれた2000年以上前のユダヤ人の名前は、名だけで姓はありませんでした。

 また、イエスという名はそれほど珍しくもなかったため、他と区別するために地名のナザレを付けて「ナザレのイエス」と呼び慣わしたものです。

 日本でも江戸時代以前の庶民には姓が無かったため、「遠州森の石松」とか「清水の次郎長」などと呼称したのと同様です。

 ナザレのイエスの起こした宗派は、彼の死後は弟子たちにより「ユダヤ教のナザレ派」として布教活動が行われていましたが、いつの頃からか「キリスト教」と称するようになって現在に至っています。


 キリスト教は、優れて「愛」の宗教です。
 その教義は、ユダヤ教やイスラム教と同様に旧約聖書に基づくものですが、イエスの言行を記述した新約聖書の内容を煎じ詰めると、神の大いなる愛に応えるために「心を尽くして神を愛せよ」「自分自身のように隣人を愛せよ」の二つに集約されます。
 そしてその前提となる事項は、まず最初に神が天界から大いなる愛を人々に施すために、神の子イエスが「愛の象徴」として降臨し、そのイエスが神の愛を証明するために、人々の罪を一身に背負って十字架に架かったのであるとする説です。


 この楽曲「活出愛」は、そのような聖書の記述を踏まえて、神から下された大いなる愛について詠じ、その愛の輪を広げて全世界に向けて愛を実現しようと呼びかけるものになっています。


 クリスマスに相応しい心和む1曲、全国1億2千万人の俄(にわ)かキリスト教徒の皆さんのために、エイミー・サンドこと盛曉玫(シォン シァォメイ)の原唱でご紹介します。



活出愛
愛を実現しよう
                作詞・作曲・演唱:盛曉玫(Amy Sand)
有一份愛 從天而來
比山高 比海深
測不透 摸不著
卻看得見
因為有你 因為有我
甘心給 用心愛
把心中這一份愛活出來
耶穌的愛激勵我
敞開我的生命
讓自己成為別人祝福
耶穌的愛點燃我
心中熊熊愛火
我們一起向世界活出愛

一つの愛が有った それは天界から降臨して来た
その愛は山よりも高く 海よりも深かった
測ろうとしても測れず 触ろうとしても触れることはできなかった
けれども目を凝らせばその姿を見ることができた
あなたの為 そして私の為に
主は衷心から願われた 心を込めた愛を人々に下されることを
主の御心の中のその一つの愛が私たちに下された
イエスの愛は私を激励し
私の命を解き放った
愛を知り別人となった私を祝福してくれた
イエスの愛は私の心にともし火を点けた
心の中で愛の火がぼうぼうと燃え上がっている
私たちみんなで一緒になってこの世界に愛を実現して行こう




活出愛 - Live Out Love

奉祝 天長節



           皇 祚
         皇祚聯綿兮久長
         萬世不変兮悠長
         小石凝結成巖兮
         更巖生緑苔之祥






       天長節祭祝詞


掛けまくも畏き吉備津神社の大前に伊賀山人哲生恐み恐みも白さく 
遠皇祖(とほすめみおや)の大御代より天皇命(すめらみこと)の御代御代受繼来坐せる序(つぎて)の随(まにま)に天つ日嗣の高御座(たかみくら)に坐して食國(をすくに)天の下の大御業(おほみわざ)を恢(のべ)給ひ 皇大御國(すめらおほみくに)の大御隆(おほみさかえ)を彌進めに進め給ひし天皇命の高き尊き大御德(おほみうつくしび)を仰奉ると斎(いは)ひ定め給へる大御壽(おほみいのち)を言壽ぎ奉り今日の生日(いくひ)の足日(たるひ)に大前に御食(みけ)御酒(みき)種種(くさぐさ)の物を献奉りて稱辞(たたへごと)竟(を)へ奉(まつ)らくを平らけく安らけく聞食して 平成の御代(みよ)の大御蹟を彌繼繼に恢弘(ひろ)めしめ給ひて 皇大朝廷(すめらおほみかど)の大御稜威(おほみいつ)を天の壁(かき)立極(きはみ)國の退(そき)立限(かぎり) 彌高に彌廣に伊照り輝かしめ給ひ 御氏子(みうぢこ)崇敬者(まめびと)を始めて天の下四方の國民(くにたみ)に至るまで五十橿八桑枝(いかしやくはえ)の如く立榮えしめ給へと 恐み恐みも言壽ぎ奉らくとも白す