伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

Amazing grace(驚くべき恩寵:天賜恩寵/奇異恩典)


 Amazing Grace(アメイジング・グレイス:驚くべき恩寵:天賜恩寵/奇異恩典)は、イギリスの牧師ジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)が、1772年に作詞した賛美歌です。
 "amazing"とは「驚くべき」「素晴らしき」の意で、"grace"とは「神の恵み」「恩寵」の意です。
 作曲者は不詳で、アイルランドかスコットランドの民謡を元に作られたとか、19世紀に南部アメリカで作られたとかの諸説があります。


 ジョン・ニュートンは1725年イギリスに生まれました。母親は敬虔なクリスチャンでしたが、ニュートンが7歳の時に亡くなっています。
 成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなりましたが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになりました。


 当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪でありました。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症、栄養失調などの原因で死亡したといわれています。


 ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていましたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れました。
 イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水して転覆の危険に陥り、今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈りました。
 敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったといいます。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのであります。
 ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになりました。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなりましたが、それは人道主義に基づくものではなく、あくまでも家畜の一種である奴隷に対する動物愛護の精神によるものでした。
 その為、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けました。
 彼自身が後に「真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だった」と語っています。

 筆者注:

 一般の白色人種が黒色人種や黄色人種を人間扱いするようになるのは、大東亜戦争以降のことです。

 それまでは、従順な家畜かやや反抗的な猿の一種と考えていました。


 1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となり1772年に「アメイジング・グレイス」を作詞しました。
 オリジナルの歌詞の中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えてくれた神の愛に対する感謝が歌われています。 ただし、「自分の生ある限り神は恩寵をくれる」とか、「たとえ自分が死んだとしても、神は永遠に自分のものになる」と詠ずるなど、かなり自己中心的なものでした。


 その後、200年以上の時を経て、この独善的で虫のいい歌詞には修正が施され、現在では多くのバージョンが存在しますが、いづれも神の恩寵は黒人や黄色人も含む全ての人々に施されるようなニュアンスに変わっています。


 そのことから、この楽曲は黒人の間でもゴスペル或いは黒人霊歌として、教会で歌われるようになり、今では人種を問わずアメリカ合衆国で最も慕われ愛唱されている曲の一つとなっています。


 世界中の数えきれないほど多くの歌手がカバーしていますが、そのスタイルは大きく二つに分けられます。


 一つは元々のゴスペル調で、手拍子を打ち身体を揺すりながら合唱するもので、エルビス・プレスリーのバージョンがその一例です。
 もう一つは、ミュージカル調或いはオペラ調で朗々と独唱するもので、日本では本田美奈子がこれに相当します。


 今回は、史上最年少の16歳で「ユニセフ親善大使」に任命されて精力的に活動していることでも知られているニュージーランドの歌姫ヘイリー・ウェステンラ(Hayley Westenra、1987年4月10日 - )の独唱でご紹介します。
 なお、彼女の名前はニュージランド英語では「ハイリ―」に近い発音なので、漢語では「海莉」(ハイリ―)と音写されていますが、当ブログでは世界的に知られている英語読みの「ヘイリー」に統一しておきます。



 Amazing grace
 アメイジング・グレイス
 
奇異恩典
                     Hayley Westenra                   
                     ヘイリー・ウェステンラ
                     海莉薇斯特娜


Amazing grace, (how sweet the sound)
That saved a wretch like me.

I once was lost, but now I'm found;
Was blind, but now I see.

驚くべき恩寵、(なんと甘美な響きだろうか)
私のように哀れな者を救って下さった。
かつては道を失ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。

奇異恩典 (其音何等甘甜)
施下恩惠 至我這樣的靈魂
我曾迷失 但今重回正途
曾不見光明 但今以雙眼看這世界


T'was grace that taught my heart to fear,
And grace my fear relieved;

How precious did that grace appear
The hour I first believed.

神の恵みが私の心に恐れることを教え、
そしてまた、その恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。

神蹟教我心何謂恐懼
並解救我的恐懼
直至初次相信才能了解
神蹟多珍貴


Through many dangers, toils and snares,
We have already come.

T'was grace that brought us safe thus far,
And grace will lead us home.

多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私達はすでにたどり着いた。
この恵みがここまで私達を無事に導いた。
そして、更に恵みは私達を家に導くだろう。

雖有幾多危險和痛苦和誘惑
我已安然度過
神蹟保我以平安
並將引我入家門


When we've been here ten thousand years
Bright shining as the sun.
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first begun.

私達はここに一万年いたとしても、
太陽のように輝きながら
神への讃美を歌わない日はないだろう。
私たちが最初に歌い始めた時と同じように。

將來禧年,聖徒歡聚
恩光愛誼千年
喜樂頌讚,在父座前
深望那日快現


Than when we've first begun.
私たちが最初に歌い始めた時と同じように。
深望那日快現




天賜恩寵/奇異恩典(海莉薇斯特娜)(Amazing Grace-Hayley Westenra)

風に立つライオン (迎風而立的獅子)


 「風に立つライオン」(かぜにたつライオン)は、日本のシンガーソングライターさだまさし(本名:佐田 雅志(読みは同じ)、1952年4月10日 - )が、31年前の1987年7月25日に『夢回帰線』と題するアルバムに収録して発表した楽曲です。


 この楽曲は、実在の医師柴田 紘一郎(しばたこういちろう、1940年宮崎県生まれ、1971年長崎大学熱帯医学研究所ケニア拠点勤務、1999年宮崎県立日南病院院長、2007年介護老人保健施設 サンヒルきよたけ施設長)のアフリカでの医療体験の実話を元に、さだまさしが作詩・作曲したものです。
(筆者注:さだまさしの場合には、本人のへのこだわりから「作」ではなく「作」の用語を用いる。)


 この楽曲に感動した日本の俳優大沢たかお(おおさわ たかお、1968年3月11日 - )の勧めにより、2013年にさだ自身によって小説化されて単行本が発刊されています。
 また、2015年には、大沢たかおの企画により映画監督・三池崇史のもとで、この小説を題材とした映画が製作されて公開されています。
 なお、この映画の中に出てくる手紙は、歌詞の内容とは異なり、主人公の死後元恋人に届けられるという設定で、たった1行「お願いですからどうか幸せになってください」とだけ書かれているものですが、柴田 紘一郎医師が自身愛用の万年筆で書いたものです。


 楽曲の方の歌詩は、全篇がケニアのナイロビで医療支援に携わり3年目を迎えた青年医師が、日本に残した恋人から届いた手紙への返信の形式をとっています。
 詩題の「風に立つライオン」とは、あらゆる困難を克服して医療支援に邁進するという主人公の理想と決意とを象徴しています。


 歌詩の内容は、先ず「突然の手紙には 驚いたけど嬉しかった」と詠い起して聴く者の関心を呼び起こします。
 次いで、ナイロビでの出来事や折々の心情を描写しますが、何に驚いたのかは手紙の中には書かれていません。
 最後の一句「おめでとう さようなら」で、全てを了解できる構成になっています。
 詩中には、「嬉しかった」「ありがとう」「しあわせです」との詩語が見えますが、本人は決して喜んでいるわけではありません。


 曲中の間奏には、神の恩寵を詠ずる讃美歌「アメイジンググレイス」の器楽演奏を取り入れ、終奏にはさだ自身による同曲のハミングとスキャットとを配置して、国際貢献を天職として邁進する男が、その理想が必ずしも自らの想い人に受け入れられない厳しい現実に直面したときの、万感の思いを効果的に表現しています。


 なお、詩中に見える「大切な処で道を間違えた」「思い上がりたくない」との表現は、当時の日本はバブル経済の真っただ中にあったことから、その虚構の繁栄に浮かれる拝金主義の世相を風刺したものです。



 風に立つライオン    
                さだまさし


突然の手紙には驚いたけど嬉しかった
何より君が僕を怨んでいなかったということが
これから此処で過ごす僕の毎日の大切な
よりどころになります ありがとう ありがとう


ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更
千鳥ヶ渕で昔君と見た夜桜が恋しくて
故郷ではなく東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしい位です おかしい位です


三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました


ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ


この偉大な自然の中で病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね


(間奏)


去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
闇の中ではじける彼等の祈りと激しいリズム
南十字星 満天の星 そして天の川


診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです


あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在」を生きることに思い上がりたくないのです


空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい


くれぐれも皆さんによろしく伝えて下さい
最后になりましたが あなたの幸福を
心から遠くから いつも祈っています


おめでとう さよなら


(終奏)



 迎風而立的獅子
            佐田雅志


突然接到妳的信讓我既驚訝又歡喜
而妳不再恨我的這件事
對往後還要在這裡的我而言
是非常重要的依靠,謝謝妳 謝謝妳


在這裡迎接第三年的四月
不知為什麼很想念從前跟妳在千鳥淵一起看的夜櫻
讓我思念的居然是東京的櫻花而非故鄉
這連我自己也覺得非常奇怪 非常奇怪


這三年來周遊各地
實在有太多、太多的感動想和妳分享


維多利亞湖的清晨百萬隻的紅鶴
一起飛上天時 天空整個黯淡下來的情景
齊力馬札羅山的白雪、草原上象的剪影
而這些都比不上我的病人們美麗動人的眼睛


在這偉大的自然中和疾病面對面交手
不禁會去思考關於神和人
果然我們的國家雖然很可惜地
但在最重要的地方似乎走錯了道路


(間奏)


去年的聖誕節是在國界附近的村莊過的
像這樣的地方 聖誕老公公也會來的,去年就是我
他們的祈禱及激昂的節奏在黑暗中宣洩開來
南十字星、滿天的星星以及銀河


雖然聚集在我的診所裡的人們生病了
但至少他們的心比我還健康
我想果然我有來真是太好了
說不辛苦是騙人的,但是很幸福


我並沒有捨棄妳或是日本
只是我不想自滿只活在當下


就像那切開天空降下來的瀑布
我希望我能勇往直前的活下去
蔚藍的天空映著齊力馬札羅山的白雪
我願自己是那迎風而立的獅子


請幫我問候大家
最後的最後 我會一直
自遠方、衷心地祝妳幸福


恭喜妳 再見


(終奏)



 

さだまさし×佐渡裕 「風に立つライオン」




さだまさし 「風に立つライオン」




 映画版はこちら↓



 【伊賀山人博物院收蔵 國際貢献醫療支援記章】

 (IC:International Contribution、国際貢献)