伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

More Than I Can Say(星影のバラード)レオ・セイヤー版


 「More Than I Can Say(言葉に出来ないほど…)」は、米国の歌手バディ・ホリー(Buddy Holly、1936年9月7日 - 1959年2月3日)が1959年の年頭に録音し、彼が同年2月に飛行機事故で死去した翌年1960年4月5日に彼のバンドのザ・クリケッツの名義で発表された楽曲です。
 その後、この曲はボビー・ヴィーを始めとして多くの歌手によってカバーされています。


 その中で、最もヒットしたのが、イギリスのレオ・セイヤー(Leo Sayer、1948年5月21日 - )が、1980年8月に発表したアルバム「Living in a Fantasy 」に収録しているバージョンです。
 同年10月5日にはシングルカットされて大ヒットとなり、日本でも発売されましたが、その時の邦題は何と「星影のバラード」です。
 この歌詞の中のどこにも「星」は出てきませんし、そもそもこの歌詞は心情描写を主とするもので、昼も夜も関係ありません。
 また、曲のジャンルに関する明確な定義はありませんので、この曲は広義には「バラード」と言えなくも有りませんが、イギリスでは「ソフトロック」或いは「ライトロック」に区分されています。
 「星影のバラード」とは、この楽曲に無関係な邦題ですが、終戦直後ならいざ知らず、この当時でもまだ、「どうせ日本人に英語の歌詞を理解できる者などいないから耳触りの良い売れそうな題名を適当に付けておけばよいだろう」との安易な考えで、「星影のワルツ」と「母に捧げるバラード」をくっつけた演歌のような邦題を付けていたのには驚かされます。
 また、レコードジャケットの上の方に「ボビー・ヴィー往年のポップスの名曲云々」の記述が見えるのは必ずしも間違いとは言いませんが、ボビー・ヴィーもバディ・ホリーの原唱をカバーしたに過ぎません。
 「往年のポップスの名曲」を引き合いに出すのであれば、初出の「バディ・ホリー」或いはバディ・ホリーのバンドでそのメンバーが作詞・作曲を担当した「ザ・クリケッツ」を挙げるべきでしょう。


 ともあれ、このレオ・セイヤー版は洋服屋のリーバイスやアサヒの缶コーヒー、パナソニックのデジカメなどのCMで使われたので、日本では最もよく知られているバージョンです。



More Than I Can Say
愛你在心口難開
星影のバラード
        作詞:Jerry Allison 作曲:Sonny Curtis 演唱:Leo Sayer


Oh oh yea yea
哦~ 耶~


I love you more than I can say
I'll love you twice as much tomorrow
Oh love you more than I can say

我愛你在心口難開
我會愛你兩遍如同無數個明日
哦~ 我愛你在心口難開

言葉に出来ないほど君を愛している
明日は今日の二倍愛しているだろう
お~ 言葉に出来ないほど君を愛している


Oh oh yea yea
哦~ 耶~


I miss you every single day
Why must my life be filled with sorrow?
Oh love you more than I can say

我每一天都想著你
我的人生為何必須充滿憂傷?
哦~ 我愛你在心口難開

君のいない孤独な日々をいつも悲しんでいる
どうして僕の人生は悲しみに満ちているのだろうか?
お~ 言葉に出来ないほど君を愛している 


Ah, Don't you know I need you so?
Oh, Tell me please I gotta know
Do you mean to make me cry?
Am I just another guy?

啊~ 我有必要這麼為何你不知道?
哦~ 請告訴我,我真的很想知道
你真的要使我哭泣?
難道我只是另一個追求者?

あ~ これほど僕が君を必要としているのに君には分からないのだろうか?
お~ どうか教えて 僕が知る必要のあることを
君は僕を泣かせようとしているのだろうか?
僕はただの他人になってしまったのだろうか?


Oh oh yea yea
哦~ 耶~


I miss you more than i can say
Why must my life be filled with sorrow?
Oh love you more than I can say

我想著你在心口難開
我的人生為何必須充滿憂傷?
哦~ 我愛你在心口難開

君のいない孤独な日々をいつも悲しんでいる
どうして僕の人生は悲しみに満ちているのだろうか?
お~ 言葉に出来ないほど君を愛している


(間奏)


Ah, don't you know I need you so?
Oh, tell me please I gotta know
Do you mean to make me cry
Am I just another guy

啊~ 我有必要這麼為何你不知道?
哦~ 請告訴我,我真的很想知道
你真的要使我哭泣?
難道我只是另一個追求者?

あ~ これほど僕が君を必要としているのに君には分からないのだろうか?
お~ どうか教えて 僕が知る必要のあることを
君は僕を泣かせようとしているのだろうか?
僕はただの他人になってしまったのだろうか?


Oh oh yea yea
哦~ 耶~


I love you more than I can say
I'll love you twice as much tomorrow
Oh love you more than I can say

我愛你在心口難開
我會愛你兩遍如同無數個明日
哦~ 我愛你在心口難開

言葉に出来ないほど君を愛している
明日は今日の二倍愛しているだろう
お~ 言葉に出来ないほど君を愛している


I love you more than I can say
I love you more than I can say
Oh-Oh,ooooh


( more than I can say)
I'll love you twice as much tomorrow


( more than I can say)
I'll love you twice as much tomorrow


( more than I can say)

I love you more than I can say


( more than I can say)
I love you more than words can say…




More than I can say  (愛你在心口難開)中譯



 1960年バディ・ホリー(ザ・クリケッツ)版はこちら↓


 1961年ボビー・ヴィー版はこちら↓

More Than I Can Say(言葉に出来ないほど…)ボビー・ヴィー版


 「More Than I Can Say(言葉に出来ないほど…)」は、米国の歌手バディ・ホリー(Buddy Holly、1936年9月7日 - 1959年2月3日)が1959年の年頭に録音しましたが、彼が同年2月に飛行機事故で死去したため発表が遅れて、翌1960年4月5日になって彼のバンドのザ・クリケッツ名義で発表されたのが初出です。


 この楽曲はその後多くの歌手によってカバーされていますが、最初にカバーしたのが、バディ・ホリーの熱烈なファンであったノースダコタ州ファーゴの高校生ボビー・ヴィー(Bobby Vee、1943年4月30日 - 2016年10月24日)です。


 後に多くのヒット曲に恵まれ、一流歌手の仲間入りをするボビー・ヴィーの成功への道程は彼の尊敬するバディ・ホリーの悲劇から始まりました。


 「ウィンター・ダンス・パーティー」と銘打つコンサートツアーを行っていたバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ボッパーの3人は、アイオワ州クリアレイクでのツアーが終了して、次の会場のあるノースダコタ州ファーゴへ行くため、チャーター機に搭乗してファーゴの隣町のミネソタ州ムーアヘッドにある飛行場を目指して飛び立ちました。


 1959年2月3日未明、21歳の若きパイロット:ロジャー・ピーターソン(Roger Peterson)が操縦するこの1947年製ビーチクラフト・ボナンザV字型尾翼機は、吹雪の為に方向を見失い、アイオワ州クリアレイク(Clear Lake)付近のトウモロコシ畑に墜落して、登場者4人全員が死亡しました。


 ファーゴの町で、本物のバディ・ホリーの動く姿を見るのを楽しみにしていた当時15歳の高校生ボビー・ヴィー(この頃は、出生名のロバート・トーマス・ヴェリーン〔Robert Thomas Velline〕 )の夢は叶いませんでした。


 バディ・ホリーの悲劇を報ずる衝撃的なニュースは、ファーゴの町中に瞬く間に伝わり、地元のラジオ局は、バディ・ホリーの代役としてダンス・イベントに出演できる地元のタレントを求める呼びかけをしました。
 ラジオの呼びかけを聞いたボビー・ヴィー少年は、その1週間前に、バディ・ホリーのヒット曲を練習するために5人編成のバンドを組んだばかりでしたが、早速、ラジオ局に出かけて行って自分たちがやりたいと申し出ました。
 その時点ではまだバンドの名前も決まっていなかったので、その場で「ザ・シャドウズ (The Shadows)」という名を決めました。
 ダンス・イベントに出演したこの少年たちは、聴衆から熱烈に歓迎されました。
 そのすぐ後に作ったデビューシングル曲「スジー・ベイビー (Suzie Baby)」も、かなりのヒット曲となり、ボビー・ヴィーは素人同然の状況でデビューしたにもかかわらず、その後、正真正銘のスターとなりました。


 ボビー・ヴィーは、尊敬するバディ・ホリーの楽曲を数多くカバーしていますが、最初にカバーしたのが、1961年17歳の時に発表した「More Than I Can Say(言葉に出来ないほど…)」で、ザ・クリケッツがバディ・ホリーの演唱で発表した翌年の事でした。


 この当時のボビー・ヴィーの演唱は、歌唱法も編曲もバディ・ホリーのスタイルを踏襲しているため、繰り返し部分が多少異なる他は、殆どコピーともいえる程よく似ています。
 興味のある方は、バディ・ホリー版とお聞き較べ下さい。



More Than I Can Say
愛你在心口難開
言葉に出来ないほど…


Wo-oh yay yay
哦~耶~


Love you more than I can say
I'll love you twice as much tomorrow
Wo-oh, love you more than I can say
我愛你在心口難開
我會愛你兩遍如同無數個明日
哦~ 我愛你在心口難開

言葉に出来ないほど愛している
明日は今日の二倍愛しているだろう
お~ 言葉に出来ないほど愛している


Wo-oh yay yay
哦~耶~


I miss you every single day
Why must my life be filled with sorrow?
Wo-oh, love you more than I can say
我每一天都想著你
我的人生為何必須充滿憂傷?
哦~ 我想著你在心口難開

君のいない孤独な日々をいつも悲しんでいる
どうして僕の人生は悲しみに満ちているのだろうか?
お~ 君がいなくて言葉に出来ないほど悲しんでいる


Don't you know I need you so?
Tell me please, I gotta know
Do you mean to make me cry?
Am I just another guy?
我有必要這麼為何你不知道?
請告訴我,我真的很想知道
你真的要使我哭泣?
難道我只是另一個追求者?

これほど僕が君を必要としているのに君には分からないのだろうか?
どうか教えて 僕が知らなければならないことを
君は僕を泣かせようとしているのだろうか?
僕はもう他人になってしまったのだろうか?


Wo-oh yay yay
哦~耶~


Love you more than I can say
I'll love you twice as much tomorrow
Wo,oh, love you more than I can say
我愛你在心口難開
我會愛你兩遍如同無數個明日
哦~ 我愛你在心口難開

言葉に出来ないほど愛している
明日は今日の二倍愛しているだろう
お~ 言葉に出来ないほど愛している


(間奏)


Don't you know I need you so?
Tell me please, I gotta know
Do you mean to make me cry?
Am I just another guy?
我有必要這麼為何你不知道?
請告訴我,我真的很想知道
你真的要使我哭泣?
難道我只是另一個追求者?

これほど僕が君を必要としているのに君には分からないのだろうか?
どうか教えて 僕が知らなければならないことを
君は僕を泣かせようとしているのだろうか?
僕はもう他人になってしまったのだろうか?


Wo-oh yay yay
哦~耶~


I love you more than I can say
I'll love you twice as much tomorrow
Wo-oh, love you more than I can say
我愛你在心口難開
我會愛你兩遍如同無數個明日
哦~ 我愛你在心口難開

言葉に出来ないほど愛している
明日は今日の二倍愛しているだろう
お~ 言葉に出来ないほど愛している




Bobby Vee - More Than I Can Say



 バディ・ホリー版はこちら↓