伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居する隠者の戯言です。

川の流れのように


【川流不息】 美空雲雀


(第壹節)
 不知不覺 走到了這裡
 細細長長的這條路
 如果 回過頭的話
 看得到遙遠的故鄉
 崎嶇不平的道路 彎彎曲曲的道路
 沒有地圖的指引 這就是人生


 啊 像河川一樣的流著
 緩緩流著
 經歷無數個時代
 啊 像河川一樣的流著
 毫不停止地
 只剩下晚霞遍染的天空


(第貳節)
 生命就如同旅行
 在這個沒有終點的道路上
 與相愛的人 攜手為伴
 共同尋找夢想
 就算下雨溼透了道路
 也總有放晴的一天


 啊 像河川一樣的流著
 安詳平穩地
 讓人想寄身其中
 啊 像河川一樣的流著
 四季的推移
 靜待雪融化的季節


(附節)
 啊 像河川一樣的流著
 安詳平穩地
 讓人想寄身其中
 啊 像河川一樣的流著
 無時無刻
 只聽到青綠的細流聲


【最後の映像】 美空ひばり/川の流れのように


 請願您健康快復(;_;)



ヘクトールとアンドロマケーの別れ(キリコ画)


 この絵は、ジョルジョ・デ・キリコ(DE CHIRICO, Giorgio)の代表作《ヘクトールとアンドロマケーの別れ(Parting of Hector and Andromaque)》です。


 キリコは、この題材がよほど好きであったようで、同じ画題のよく似た絵を何点も描いています。
 上掲の絵は、岡山県倉敷市にある大原美術館収蔵の1918年 油彩・カンヴァス版(縱119.8㎝×横74.1㎝)です。


 絵の中の二人は、戦時体制の為、どちらも甲冑を纏っていますが、足腰の形を見てお分かりのとおり、左が男のヘクトール、右が女のアンドロマケーです。


 絵の題材は、古代トロイア戦争において、トロイアの王子でもあり希代の英雄でもあったヘクトールが、ギリシャの剣豪アキレウスとの一騎打ちに向かうため、妃のアンドロマケーに別れを告げている場面を描いています。


 ヘクトールは、この一騎打ちに敗れて戦死し、最強の英雄を失ったトロイアはその後、ギリシャ方の「トロイの木馬」の詭計などによる攻撃を受けて壊滅し、残されたアンドロマケーは、敵に捕らわれて悲しくも数奇な運命に弄ばれることになってしまいます。


 そのような故事を踏まえて描かれたこの絵には、ヘクトールの悲壮な覚悟とアンドロマケーの心を覆う不安とが、キリコの手により余すところなく表現されているのであります。


 風蕭蕭兮愛琴海寒 壮士一去兮不復還
[風は蕭蕭(せうせう)として愛琴(エーゲ)海寒し 壮士一(ひと)たび去りて復(ま)た還(かへ)らず]


 本日、7月10日、ジョルジョ・デ・キリコ、128回目の誕生日です。


七夕祭りの時期に関する一考察


  【雲中七仙女圖】


 七夕伝説は、今から2千年ほど前の漢の時代の幾つかの神話や民話が複合されて出来上がっています。


 日本で流布されている伝説のあらすじは、昔、天界で機織りを仕事としていた織女が、牽牛とのデイトに夢中になって機織りをさぼっていたため、これに激怒した天界の偉い神様により、天の川の向こう岸に追いやられてしまった。神の御慈悲で年1回7月7日だけは川を渡って牽牛と会うことができるが、雨が降ると川が増水して会えなくなる・・・というようなものです。


 他には、京劇の演目にもなっている上掲の図のような七仙女の伝説もあります。
 七仙女とは、仙女の7人姉妹という意味でもあり、末の妹である七番目の仙女という意味でもあります。
 七夕の題材になった伝説では、7番目の仙女として言い伝えられています。
 そのあらすじは、七夕の季節に天界から地上に遊びに来た七仙女が、暑くてたまらなかったので羽衣を脱いで川で水浴びをしていたところ、偶々通りかかった牽牛により、大事な羽衣を隠されてしまい、天界に返れなくなってしまいます。
 七仙女は、仕方なく牽牛と結婚して地上界で生活していましたが、ある時、隠されていた羽衣を見つけてそれを纏って天界に帰ります。
 牽牛は、ストーカー宜しくこれを追いかけて天界に昇りますが、仙女集団の中で最も偉い老仙女に怒られて星にされてしまいます。
 ところが、どういうわけか、老仙女の計らいで年一回だけは、七仙女と会うことができるというものです。
 この伝説は、日本では形を変えて、「天の羽衣」伝説としても伝わっています。
 なお、この牽牛の行動は、現在の法規範に照らせば、明らかに犯罪行為ですが、なにしろ2千年も昔のことですので、今とは事情が異なっているのでしょう。


 さて、前置きが長くなりましたが、本日は、この七夕祭り開催の時期について、考察します。


 日本では、新暦の7月7日に開催するところが大多数ですが、仙台の七夕のように一箇月遅れの8月7日に行うところもあります。
 これに対し、本家本元の台湾、香港などの漢文化圏では、殆どのところが、旧暦の7月7日に行います。従って、新暦では概ね8月になりますが、毎年日取りは異なり、2週間くらいずれることも珍しくありません。


 それでは一体、七夕祭りはいつ開催すべきなのか?
 これが、本日の考察の命題なのです。


 結論から申し上げます。
 七夕祭りは、旧暦の7月7日に行うべきなのであります。


 理由は、二つあります。


 先ず第一に、新暦の7月7日では、まだ梅雨が明けていないため、天の川が増水しており、牽牛・織女は毎年会いに行くことは不可能です。
 人道上の観点から、七夕はもっと天候の良い時期にすべきなのであります。


 次に、新暦の7月7日は、月の満ち欠けとは無関係のため、偶々満月の場合もあって、天の川が見えないこともあります。
 見えない川を渡っていては、牽牛・織女が水難事故に巻き込まれる恐れがあります。
 旧暦の7月7日であれば、月齢は、7、つまり半月(上弦の月)ですので、夕暮れ時には、南の空に見えますが、夜が更けるにつれて、半輪の月が西の空に傾き、船のような形に見える頃には、空は次第に暗くなって天の川もはっきり視認することができるようになります。
 安全上の配慮からも、七夕は満月の時期を避けるべきなのであります。


 このように、あらゆる角度から分析検討した結果、人道上更には安全管理上の観点から、七夕祭りは旧暦の7月7日に開催すべきであるとの結論に達したのであります。


 旧暦の7月7日は、今年は、新暦の8月9日になります。
 その夜は、満天の星空を見上げて、天の川に隔てられた遥か遠き牽牛星と燦々と輝く織女星に思いを馳せたいものと考えています。



  擬迢迢牽牛星


遙遙牽牛星,粲粲七仙女。


纖纖擢素手,札札營彩楼。


怨彼河無橋,泣涕零如雨。


盈盈一水間,脈脈不得語。


弦月爲輕舟,桃符爲揚帆。


河漢清且深,何日度彼岸?



 【丙申七夕爲七仙女伊賀山人書桃符】