人生不可解
【水楢の樹に墨書された「巌 頭 之 感」】
明治36年(1903年)5月22日、一人の旧制一高生の死が、若者達をはじめ社会の人々に大きな衝撃を与えました。
彼の名は藤村操(ふじむら みさお、1886年(明治19年)7月20日 - 1903年(明治36年)5月22日)、当時16歳でした。
日光華厳の滝に身を投げる直前に、巌頭の大きな水楢(ドングリ)の樹肌を削って墨書した文章が、上掲の写真の「巌頭之感」で、次のように書き残されていました。
巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價(あたい)するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉(つく)す。
曰く「不可解」。
我この恨(うらみ)を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
(明治36年5月22日)
16歳の少年にしては、立派な文章ですが、当時、男子の書く文章は殆ど全てこのような漢文訓読体でしたので、特に驚くほどのものでもありません。
因みに、現代語に訳せば、次のようになります。
岩の上での感慨
何と広いのか この天地は、何と遥かなのか 古今の歴史は。
私は五尺の小さな体で 、この大きさを測ろうとした。
ハムレットの友人のホレーショなど世俗の哲学に、終に権威のある答えはなかった。
この世にある万物の真相は、ただ一言で言い尽くせる。
「不可解」と。
私はこの思いに苦悩し、ついに自死を決意するに至った。
すでに、華厳の滝の岩の上に立った今、私の胸中には何の不安もない。
初めて知る、大きな悲觀は大きな樂觀と同じだと。
彼の投身の動機については、その前日、英文学講師であった夏目漱石から宿題をやってこなかったことを叱責されたこと、馬島千代という名の女学生に失恋したこと、純粋に哲学的な悩みによる自決など、当時も様々なことが取りざたされましたが、確かなことは分かりませんでした。
ただ、家族に残された遺書には、次のように書かれています。
「世界に益なき身の生きてかひなきを悟りたれば、華厳の滝に投じて身を果たす」
この一文と、巌頭之感の「万有の真相は不可解」とを重ね合わせて考えると、投身の動機は、「将来に対する漠然とした不安と人生に意義を見いだせない厭世観」にあったものと思われます。
当時の社会情勢は、明治維新以来列強の仲間入りを果たそうとする富国強兵の時代でありました。
また、投身した翌年には日露戦争が始まるように、北方から南下するロシアの脅威により、国の風雲急を告げる時でもありました。
旧制高校生は、金色夜叉や伊豆の踊子の主人公にも見られるように、現在の高校生とは、比較にならない超エリートであり、学者として尊敬される存在でありました。
彼の立身出世を願う周囲の期待の大きさは、想像に難くありません。
彼もその期待に応えるべく、努力を積み重ね、旧制中学では通常5年で卒業するところを、成績優秀により4年で卒業して最年少の高校生として一高入学を果しています。
入学から僅かに一箇月余、5月22日が彼の命日です。
今でも、俗に5月病といわれるように、この時期には、誰しもぼんやりとした不安に駆られやすいものです。
ましてや、彼の場合には、最年少ということもあり、人生経験も少なく、共に語り合える中学からの友人もいなかったようです。
将来、何になるべきか、現在、何をなすべきか、その答えを自分一人で見つけることは困難だったのでしょう。
同じようなことを考える学生が少なくなく、彼の死後4年間で華厳の滝で自殺を図った者は185名にのぼり、その内、40名が、命を失ってしまいました。
釈迦でもキリストでもない凡人にとって、人生は、元々「不可解」なものです。
だからといって、論理を飛躍して自死していたのでは、人類は絶滅してしまいます。
人生は「不可解」で構いません。
人が生きていることそのものが「人生」なのです。
人生の意味とは、生きていればこそ、徐々に分かってくる筈のものなのかもしれません。
藤村操を始め将来を嘱望された多くの投身者に、共に人生を語る友や師が存在しなかったことが悔やまれます。
今の悩める若者にも、たった一人だけでも相談できる知己の存することを願って已みません。
本日7月20日、藤村操、生きていれば130歳の誕生日です。
巌頭之感 伊賀山人作
華厳瀑布水長流 華厳の瀑布 水(みづ) 長(とこし)へに流る
古今不盡人生憂 古今 盡(つ)きせざるは 人生の憂(うれ)ひ
但使益友良師在 但だ益友 良師をして在らしめば
不教少年立巌頭 少年をして 巌頭に立たさしめじ
合掌
追記:
例え冗談にでも、滝の上から飛び込んではいけません。
即死できれば運が良いほうで、殆どの場合は内臓破裂や骨折などの重傷を負って七転八倒の苦しみの後、溺れ死ぬことになります。
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