マレーシア(華僑の一部を除き親日の国)
【クアラルンプールのペトロナス・ツインタワー】
マレー半島は長期間イギリスの植民地であり、マレー人の中には何とかして独立したいという強い思いがあった。大東亜戦争中、そのイギリス軍と戦う日本軍の勇敢な姿にマレー人は強く心を動かされ、日本軍を歓迎し積極的に兵士に食料を提供したり、荷物を運んだり、ジャングルの道案内をしたりという具合に協力してくれた。その結果、マレー半島の戦いはわずか70日間で終結し、後のマレー独立に大きな影響を与えた。このように大東亜戦争は、日本だけが戦ったのではない。アジアの国々も独立を勝ち取るために戦ったのである。
かつてマレーシア航空の機内誌『GOING PLACES』には次のような記述があった。
「日本のイギリスに対する勝利は、長くヨーロッパの植民地であり続けたアジア人の意識の中にあったヨーロッパ列強諸国の無敵神話を見事に粉砕したのである…」(原文は英語)
日本教育新聞社が1985年11月発行した「南方特別留学生 ラジャー・ダト・ノンチックの半世紀」(土生良樹著)に、次のような記述が出てくる…
「先日、この国(マレーシア)に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べに来たのだ』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英国に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました。どうしてこのように今の日本人は、自分たちの父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。これはほんとうに残念なことです」(ノンチック氏=マレーシアの上院議員で、日本とASEANとの友好促進に貢献した実力者)
1992年香港で開かれた欧州・東アジア経済フォーラムで、マレーシアの首相マハティールは、次のように述べた。
「もし日本なかりせば、欧米諸国が世界の工業を永遠に支配していただろう。東アジア諸国は貧しさを強いられ、自分たちは欧米に太刀打ちできないと信じていただろう。…そうした国々でも立派にやっていけることを証明したのは日本だった。そして東アジア諸国は挑戦し、自分でも信じられない成功を遂げた」
この演説のさなかに、欧米代表が席を蹴立てて出ていった。
1994年、社会党の土井たか子衆院議長は「東南アジアへの謝罪の旅」を行った時、マハティール首相から「過去ばかり見るのはいい加減にしてはどうか」・「未来に向けて何ができるかの方がより大切」と窘められた。
同年、同じく社会党の村山富市首相は「東南アジア歴訪お詫びの旅」で、マハティール首相から「日本が謝り続けていることは理解できない」と苦言を呈された。
結局、土井や村山の「反省」を積極的に評価したのは、かつて欧米の植民地に寄生し宗主国の手足となって搾取のおこぼれを吸い、現在は中共の手先となって利益を得ている東南アジアの華僑の一部だけだった。
なお、戦後マレーシアから追放され都市国家として独立したシンガポールでは現在、人口の8割を華僑が占めており中共に追従して反日宣伝工作を行う者も決して少なくはないが、国民の約半数は親日的である。
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