台灣(日本精神を受け継ぐ国)
【舊台灣總督府(現中華民國總統府)】
台湾は、日清戦争の結果として1895年4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づき清朝から大日本帝国に割譲され、以後50年間大日本帝国の統治下に置かれた。
日本の大東亜戦争敗戦に伴いその領有権を放棄したことから、1945年10月25日故蒋介石(本名は中正、介石は字)の率いる中華民国・南京国民政府が支配するところとなって現在に至っている。
現在の台湾人口2340万人の住民構成は、本省人85%、外省人13%、原住民2%となっている。
本省人とは、17世紀頃から1945年の終戦までに、支那大陸各地から台湾に移り住んでいた漢民族およびその子孫のことを言う。
外省人とは、終戦以降、蒋介石と共に支那大陸各地から、台湾に移り定住した漢民族であり、他の台湾人と異なり、日本統治を経験していない。
原住民とは、、17世紀頃に漢民族(本省人)が移住して来る以前から台湾に居住していたマレー=ポリネシア系民族で、日本では高砂族(現高山族)と呼称されている。
上記3系統の住民は、それぞれ異なる歴史観や対日感情を持つが、国民意識は総じて、最も人口の多い本省人の意見によるところが大である。
本省人の殆どは、日本統治時代の台湾経営には理解を示し元々親日的であるが、戦後の中華民国政府の進駐後、その独裁政権により弾圧を受け、数万人が犠牲となる二・二八事件やその後の「白色テロ」と言われる戒厳令などを経験して、その反動により更に親日意識が強くなったように思われる。
以下、先ずは、代表的な本省人の意見を引用し、その後、外省人や原住民の意識構造について若干附言することとする。
その1:李登輝・元台湾総統の講演抜粋
【まざまざと受け継がれる「日本」】
「いまこそ日本人は自信と誇りを取り戻さなくてはなりません」。2014年9月20日に大阪で行われた李登輝・元台湾総統の講演は、日本への愛情、そして励ましに貫かれていた。
会場のグランキューブ大阪には1600人を超える聴衆が詰めかけた。20代とおぼしき若い人たちの姿も見られ、李元総統が世代を超えて日本人から支持されていることをうかがわせた。(中略)
「日本のみなさんにエールを送りたいと思います。いまこそ日本人は自信と誇りを取り戻さなくてはいけません」
今の日本、特に若い人がかわいそうなのは、むかしの日本がアジアを侵略した悪い国だったと一方的な教育を受けていることだ--そう李元総統はいった。日本の学校教育では、日本は台湾を植民地にして人民を搾取し苦しめてきたと教えられているようだが、それは真っ赤な嘘だ。多くの能力ある日本人が台湾のために働いた。そのおかげで現在の台湾がある――。
「戦後の日本人が価値観を180度変えてしまったことを、非常に残念に思っています。日本のみなさんは一刻も早く、戦後の自虐的価値観から解放されなければなりません」
「そのためには、日本人がもっと自信を持ち、かつて武士道という不文律を築き上げてきた民族の血を引いていることを誇るべきです。日本人としてのアイデンティティを持つことで初めて、日本は国際社会における役割を担うことができるのです」
かつての日本の精神が台湾で受け継がれていることを、まざまざと見る。講演で語られたのは、まぎれもない日本精神だった。左傾した思潮、自虐的な風潮に長らく支配されてきた戦後の果てに、くっきりと現れてきたこの日本精神は、力強く美しかった。
講演のさなか、何度も聴衆の間から拍手が起こった。講演が終わるとスタンディング・オベーションとなり、拍手はしばらく鳴り止まなかった。筆者も、講演から自信と誇りをもらった1人である。お礼申し上げたい。(河村直哉・産経新聞大阪正論室長 2014.10.15)
その2:台湾李登輝民主協会の名誉理事長を務める実業家蔡焜燦氏のインタビューから
【「誇り高い日本精神よ、再び」旭日双光章を受章した「愛日家」蔡焜燦】(インタビュー)
●日本の統治時代、台湾の下水道施設は、内地(本土)よりも早く整備されたほどで、蔓延していた伝染病は一掃されました。それほどまでに日本は台湾の発展を考えていた。
●また、内地で行われていた教育と全く同じレベルのものが、同じ領内の台湾で行われていた。学校には最新鋭の視聴覚授業の設備があり、日本人教師たちは、我々に‘私‘ではなく‘公‘を大切にすることを教えた。中国の‘自分さえよければそれでいい‘という考え方とは全く違うものだった。だから、私は大東亜戦争で喜んで日本のために戦いたいと考えて陸軍に志願したのです。
●確かに日本が台湾で作ったインフラは、戦後の台湾の発展に大いに役立った。だが、我々が最も喜ぶのは、ダムや橋や鉄道ではなく、正直さや勤勉さ、約束を守ることなどを大切にする教育です。そうした道徳観を、台湾では『日本精神』と呼んでいるのです。
●残念ながら、日本と入れ替わるように台湾の支配者となった中国人には、そうした倫理観はなく、自分が儲かることしか考えていなかった。台湾では、嘘や不正、自分勝手な行動を、『日本精神』の反対語として、『中国式』と呼ぶ人もいる。それでは、ビジネスはうまくいくはずがない。台湾の‘元日本人‘たちの成功には、日本の教育が強く影響している。だからこそ、私は日本への感謝を今でも日本人に伝え続けているのです。
●『日本精神』は、ここ(台湾)にはまだ生きています。台湾には、日本が学ぶべき‘正しい日本の歴史‘がある。ぜひ、それを今の日本人に知ってもらいたい。かつての日本の姿を完全否定する中国や韓国ばかりが日本の隣人ではないのです。今でも『日本精神』を崇敬する隣国があることを忘れないでほしい。
●日本では、自虐史観という虚構が日本人から『誇り』を奪い去り、日本を‘自信喪失国家‘につくりかえてしまった感がある。しかし、それはアジア地域を不安定にさせているばかりか、世界の平和構築の障害になっている。誇りある日本が、アジア地域の安定と平和を担う真のリーダーたらんことを願う。
《週刊ポスト 2014/5/23》
以上は、戦時中、日本軍に志願して入営し、共に戦う戦友でもあった本省人の意見である。
これに対し、外省人の意識は、あくまでも日本を敵国として戦った国民党政府の見解と軌を一にするものであり、台湾移駐時までは、当然の如く反日であった。
1945年10月、台湾を中華民国に編入した蒋介石は、一旦は、台湾に残る日本的な文物・建築物の全てを破壊しようと考えた。
しかしながら、日本が残したインフラや学校、病院、総督府などの建築物全てを建て替えることは、中共の侵攻が迫る中では、時間的にも経済的にも余裕はなく、結局、利用できるものはそのまま活用することに方針を変更した。
更に、蒋介石は、日中戦争中、戦力では日本軍に圧倒的に勝っていた国民政府軍が全ての作戦において、一度も日本軍から勝利を得られなかった経験を踏まえ、アメリカの強い反対を押し切って日本軍の元軍人を軍事顧問に迎えることとした。
そして、中国名「白鴻亮」こと富田直亮少将を団長とする旧日本軍の将校団(白団)を招き、1949年から1969年までの間、台湾本土で国府(中華民国国民政府)軍を秘密裏に訓練させた。
米国政府はこれを厳しく非難し、国府軍内にも反対の声が挙がったが、蒋介石は白団による教育訓練を断固推進した。
1949年10月、中共人民解放軍が金門島等への大挙侵攻(古寧頭戦役又は金門戦役という)を謀った際は、白団とは別に旧日本軍の根本博中将が中国名「林保源」として、第5軍管区司令官湯恩伯の顧問となって作戦地域の国府軍を指導し、人民解放軍を完膚なきまでに撃破した。湯恩伯は国府軍中将に任命された根本を「顧問閣下」と呼び師と仰いで礼遇した。
この時、台湾には米国から正式な軍事顧問団も派遣されていたが、蒋介石があえて旧日本軍将校を頼りにしたのは、「物量が頼りの米軍方式ではなく、劣勢の兵力でいかに優勢な軍に勝つかという日本軍の作戦の方が上策だった」からだと言われている。
なお、この当時日本軍人の作戦参加は軍事機密であったため、富田少将や根本中将の存在が表に出ることはなかった。
【台湾新北市樹林区海明禅寺(海明寺)】
時は下って、昭和47年(1972年:中華民国歴61年)に日本が中共と国交を開始し、あろうことか真正な中國である中華民國台灣と断交した際には、蒋介石は今後二度と会えないと思われた戦友富田少将を台湾陸軍上将に任命して往年の労をねぎらった。
昭和54年4月、富田直亮帝国陸軍少将兼台湾陸軍上将の逝去後、本人の遺言により遺骨は分骨され、日本と台湾新北市の樹林にある千霞山海明禪寺(簡称:海明禪寺或いは海明寺)に安置された。
平成22年(2010年:民國99年)、台灣の新聞「中國時報」は、古寧頭戦役に於ける中華民國政府軍事顧問團「白団」の団長「白鴻亮」が、実は大日本帝国軍人の富田直亮少将であることを初めて公に報道した。
現在、富田直亮少将は海明寺で、中華民国護国の英雄として、手厚く祀られている。
【中正記念堂】
一方の根本博中将は、大東亜戦争中は北支那で作戦する駐蒙軍司令官であったが、1945年の終戦後、北支在留邦人4万人の帰還と35万将兵の復員を援助してくれた蒋介石への恩義から、1949年連合軍占領下の日本から釣竿1本を持って魚釣りを装い台湾へ密航して蒋介石と面会し、台彎名「林保源」と名乗って国府軍に加わり金門島の古寧頭戦役を機密裏に指導した。
そのような経緯から、根本中将の参戦に関する資料は全て破棄されて、2009年に開催された古寧頭戦役60周年式典まで公にされることはなかった。
しかしながら、1952年、根本中将の日本への帰国にあたっては、蒋介石は英国の王室や日本の皇室に贈ったものと同じ花瓶を一点、根本中将に贈呈して感謝の意を表した。
その花瓶には、「寒江に独り釣る翁」の絵が描かれていた。
3年の歳月を経て、羽田空港に降り立った根本中将の手には、一点の花瓶と出国時と同じ一本の釣竿とがあった。
この花瓶は本来二点一対の物で、その片方は今日も蒋介石を記念する中正記念堂に展示されて兩将軍の友情を今に伝えている。
「昨日の敵は、今日の友」
これら日台の軍人が戦友として共に戦った史実は重大な国家機密であったため、現在の台湾の歴史学者でも知る人は少なく、外省人の対日感情に直接の影響はなかったものと考えられる。
しかしながら、少なくとも蒋介石個人のそれまで持っていた反日感情を緩和して、親日政策への転換の契機となったことは間違いないであろう。
その政策転換が、反日一辺倒の外省人にも徐々に親日の意識が芽生えてくる一因になったものと考えられる。
2009年10月25日、台湾では古寧頭戦役60周年式典が行われ、日本人軍事顧問団の子孫らが中華民国政府によって台湾に招待された。
国防部常務次長の黄奕炳中将が『當年古寧頭戰役,感謝日本友人協助,可以說是「雪中送炭」(当時の古寧頭戦役における、日本の友人の協力に感謝する、これは「雪中炭を送る(困った時に手を差し延べる)」の行為と言える。』との国防部を代表する声明を発表した。
根本博中将の存在と功績が中華民國台湾で初めて公表され顕彰された瞬間であった。
雪中送炭詞
伊賀山人
覆天溢海百萬兵
仇濤將來國難秋
援蔣蟠踞皇軍將
不教夷狄度金門
最後に忘れてならないのは、人口の2%に過ぎない原住民の存在である。
日本統治時代の初期においては、不幸な誤解に基づく反乱などもあったが、教育や医療、インフラの整備などを行う日本の統治方針に次第に感謝と尊敬の念を抱き始めた原住民は、日本にとって良き理解者・協力者となった。
大東亜戦争中には高砂族を中心とした志願兵からなる高砂義勇隊が結成され、日本軍の指揮下で日本兵の不慣れな熱帯地域での作戦に於いて勇戦敢闘した。
不幸にしてその戦死率は日本兵を上回ったとも言われている。
戦後、日本政府は台湾人を戦争被害の補償対象から除外したため、現在でも一部の台湾人だけが僅かな弔慰金を受け取ったのみで、戦時中の台湾出身の軍人・軍属に支払うべき賃金ですら未だに支払われずに現在に至っている。
日本政府は台湾との国交がないことを理由に正当な賃金の支払いや、軍人恩給・遺族年金に相当する補償に関する協議ですら未だに行なっていない。
これらの債務は、雇用契約に基づく国家債務であり、敗戦により戦勝国から強奪される戦時賠償とは、全く別次元の問題である。
朝日新聞が捏造し韓国が嘘で塗り固めたありもしない従軍慰安婦問題に10億円以上の金を浪費する日本政府が、この問題を放置することは、日本精神に反し「今日の友を明日の敵」にもしかねない国政上の怠慢である。
この現状を鑑みるとき、真正的日本精神は既に我が国には存在せず、それを台湾に学ぶべき時代になりつつあるのかと憂慮せざるを得ない。
【中共が制海・占領を企図する列島線】
(左赤線が第一列島線、右赤線が第二列島線)
(第一列島線の左下のカーブの部分が、「中共の赤い舌」と言われる九段線)
支那大陸を領有する中共は現在、「中共の赤い舌」といわれる九段線(元々は、中華民国十一段線)を南シナ海に引いて、我が物顔に海域を支配し、その中の島嶼や岩礁を東亜諸国から掠め取り、ハーグ常設仲裁裁判所の判断を無視して不法占拠し軍事基地化を推進している。
米国防総省の資料によれば、中共が企んでいるのは、先ず第一列島線、次いで第2列島線を前線とする領域の支配・占領である。
中共が当面の目標とする第一列島線は、南方から順に、ボルネオ島からフィリピンにいたる九段線(中共の赤い舌)に連続して台湾から沖縄を経て九州にいたるラインであり、この中に日本の生命線であるシーレーンがすっぽりと含まれている。
中共は先ずその中に位置する台湾の占領、次いで沖縄列島更には九州の一部までをも含む制海・制空権の確保を企図し、あわよくばそれらの地域への侵攻、更には占領・支配を目論んでいる。
この中共の強盗的野望を粉砕することは日本の個別的自衛権の範囲内では不可能であり、現在の日米安保体制を堅持するとともに、新たに大東亜諸国との集団安保体制を構築して対処することこそが、最も有効な手段となると考える。
第一列島線を扼する友好国中華民国台湾は、日本の国家戦略上、シーレーン防衛延いては国土防衛の為の天王山である。
日台の友好関係が長久に続き、台湾が全世界の国々から独立国として承認されて、名実共に日本の同盟国となる日の来ることを願いつつ、一箇月に亘って書き綴ってきた大東亜共栄圏諸国を紹介する連載の筆を擱く。
【高砂族の民族衣装を纏う兄妹】
百年兵を養うは、ただ平和を守らんが爲なり
百年養兵者、唯爲護和平
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