伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

雨夜花


 雨水の候、雨に因んだ台湾の代表的な歌謡曲をご紹介します。
 曲名は「雨夜花」、この曲は「望春風」が発表された翌1934年(昭和9年)に誕生しています。
 作詞は当時23歳の青年周添旺(しゅうてんおう 1911年-1988年)、作曲は「望春風」と同じ鄧雨賢(とううけん 1906年-1944年 )、この曲は「望春風」と並び称される台湾を代表する名曲です。


 詞の内容は、薄幸な人々の運命を、夜の雨に散る花にたとえて詠じたものです。


 詞を書いた周添旺は、当時既に新進気鋭の作詞者として名を知られており、コロムビアレコードとの仕事の関係で、台北のバーやナイトクラブにしばしば出入りしていました。
 ある雨の夜、偶然出会った一人のホステスから聞いた身の上話に心打たれてこの詞を書き上げたと伝えられています。


 そのホステスの打ち明け話の内容は、凡そ次のようなものです。 

 私は、台湾の美しい田舎で生まれ育った。

 まだ少女の頃、その田舎で出会った少年と恋に落ちた。

 私たちの幸せが永久に続くと思っていたある日のこと、少年は台北に出稼ぎに出かけた。

 それから3年間も音信不通になってしまった。

 私は機会を見計らって、少年を探す為に台北に出てきた。

 けれども、漸く探し当てた少年は、既に別の女性と結婚していた。

 家出同然にして台北に出てきた私は、田舎へ帰りたくても帰れなかった。

 そして私は仕事を探して台北の街を彷徨ったが、夜の街でホステスをするしか生きる道はなかった。

 若しも願いが叶うなら、少年が田舎を出て行ったあの日に戻ってやり直したいと今でも時々思うことがある。

 周添旺が作った次の詞では、あまり多くを説明してはいませんが、それが却って余情を醸し出し、哀調を帯びた美しいメロディーと相まって、聞く人それぞれの琴線に触れる古今の絶唱となっています。
 なお、この詞は戦前に書かれたものですので、言語は閩南語由来の台彎語で書かれており、戦後台灣國語とされた北京語由来の言語とは文法も語彙も異なっています。
 詞の中に出てくる「阮」とは台彎語の一人称代名詞ですが、単数の「私」を意味することもあれば、複数の「私達」を意味することもあります。
 この詞では、一人の女性だけの打ち明け話の枠を超えて、複数の人々の哀愁を詠じていると解釈するほうがよいのかもしれません。


 以下、この台彎語で書かれた詞の白文と伊賀流独自の解釈による和訳とを掲載します。
 最後に添付した動画の歌手は無論、伊賀山人が推奨する清楚な台彎娃娃(台湾のお人形さん)こと、蔡幸娟(さいこうけん)小姐、情感あふれる優しい声で切々と歌い上げています。



  『雨夜花』 
 (『雨の夜の花』)
        
周添旺:詞(台灣語) / 鄧雨賢:曲
 一節
 雨夜花  雨夜花 受風雨吹落地

 (雨の夜の花 雨の夜の花 風雨に吹かれて地に落ちる)
 無人看見 毎日怨嗟 
 (振り返って見てくれる人もなく 毎日が怨めしい)
 花謝落土 不再回
 
(花は散って土に落ち 再び戻ってはこない)


 二節
 花落土 花落土 有誰人倘看顧
 
(花は土に落ちる 花は土に落ちる 誰が仮にでも顧みてくれるだろうか)
 無情風雨 誤阮前途
 
(無情な風雨が私達の前途を誤らせる)
 花蕊哪落 欲如何
 
(花は枯れていつかは落ちる 何とかしたいがどうにもならない)


 三節
 雨無情 雨無情 無想阮的前程
 
(雨は無情 雨は無情 私達の将来を思ってはくれない)
 並無看顧 軟弱心性
 
(また顧みてもくれない 脆くて弱々しくなった心を)
 乎阮前途 失光明
 
(私達は前途の光を失ってしまった)


 四節
 雨水滴 雨水滴 引阮入受難池
 
(雨水が滴る 雨水が滴る 私達を受難の池に引き込む)
 怎樣乎阮 離葉離枝
 
(なぜ私達は葉から離され枝から離されてしまうのだろうか)
 永遠無人 倘看見
 
(仮り初めにでも振り返って見てくれる人は永遠にいない)




蔡幸娟 雨夜花 1080P