気張いやんせ
「気張いやんせ (きばいやんせ)」は、日本のミュージシャンである長渕剛が作詞・作曲して、1991年12月14日に発表した自身13枚目のオリジナルアルバム『JAPAN』(ジャパン)のB面3曲目に収録している楽曲です。
『JAPAN』は、長渕が日本人そして日本そのものを描くにあたり、敢えて日本の外側というべきアメリカでレコーディングしたものです。
このアルバムでは、総ての楽曲をロスアンジェルスで現地のスタジオミュージシャンを交えて行っています。
「気張いやんせ 」は薩摩弁の歌詞になっているため、その方言を知らぬ者にとっては、全編秘匿略語のようなもので殆ど意味不明のことと思われます。
そこで、今回は標準語への翻訳文も添付します。
なお、楽曲の作り方には、曲から先に作る「曲先」と詩から先に作る「詞先」とがあります。
英語や漢語の楽曲ではどちらで作っても大差ありませんが、日本語の場合にはかなり異なるものになります。
その理由は、外国人から「まるで歌でも歌っているようだ。」と評される日本語特有の高低アクセントにあります。
例えば、同じ「ハル」でも、「春↓」と「張る↑」とではアクセントが異なります。
歌題を決めて楽曲を作る場合に於いては、曲なり歌詞なり先に作る方は自由度が大きく、後で作る方は窮屈になります。
「曲先」の場合には、そのメロディーに合うアクセントの詞語を選ぶのが難しく、外国の曲の翻訳歌詞によく見られるように歌詞が不自然になって意を尽くしきれない憾みが残りがちです。
「詞先」の場合には、詞語のアクセントに合うように節を付けるため、浪花節や詩吟のようなやや単調な曲になりがちです。
「気張いやんせ 」は、典型的な「詞先」の楽曲です。
メロディーラインが単調なのは、曲よりも歌詞そのものを聞かせるためと解釈すべきでしょう。
【原詞】
気張いやんせ
どげんしてん やらんと いかん事がよ
俺(おい)にも お前(わい)にも ひとつくらいある
やっせんぼ やっどんからん よかぶいごろの
あげんな 汚っさね 真似ゃできん
*前つんのめりで 生きて 行こや
誰が 悪いち 言うもんか
気張れ 気張れ 気張いやんせ
一度どま け死ん限い 気張いやんせ*
泣こごんなった時ゃ 俺家 来んか
馬鹿された時ゃ お前も 向こて行こや
俺たちゃ どげんしてん 汚れ者
じゃっけど 譲れんもんも あろ
(*繰り返し)
生好かん 奴なら 打ったくれば よか
負けたら 頭を 下ぐれば よか
寂しなったら 唄いやんせ
俺にも お前にも 理由(わけ)が あろ
(*繰り返し)
気張れ 気張れ 気張いやんせ
一度どま け死ん限い 気張いやんせ
気張れ 気張れ 気張いやんせ
一度どま け死ん限い 気張いやんせ
【標準語訳】
頑張ろう
どんなにしてでも
やらないといけない事が
俺にもお前にもひとつぐらいある
弱虫のくせにイキがっていた頃の
あんなに汚い真似はできない
*前につんのめるくらい前向きに生きていこう
誰が悪いなんて言うもんか
頑張れ!頑張れ!頑張るんだ!
一度ぐらい死ぬ気になって頑張るんだ!*
泣きたい時には 俺のところに来ればいい
馬鹿にされた時には お前も向かって行こうや
俺達は所詮、汚れ者
だけど、譲れないものもある
(*繰り返し)
本当に許せない奴なら殴り倒してしまえばいい
負けたなら頭を下げればいい
寂しくなったなら唄おうよ
俺にもお前にも理由があるだろう
(*繰り返し)
頑張れ!頑張れ!頑張るんだ!
一度ぐらい死ぬ気になって頑張るんだ!
頑張れ!頑張れ!頑張るんだ!
一度ぐらい死ぬ気になって頑張るんだ!
【漢語訳】
加油
怎麼在做也
不做不成的事
我和給你都有一個左右
膽小鬼的可是自豪的時候
那麼骯髒的仿效不能
* 在前向前摔倒的適合位前活
誰難道壞之類說嗎
加油!加油!努力!
想一次左右死努力!*
想哭時來我的家就行了
被愚蠢時你也面向
我們反正,污穢者
抱,也有不讓出東西
(*重複)
要是真的不能容許的東西打倒就行了
如果輸垂下頭就行了
如果寂寞了唱
我和給你都會有理由
(*重複)
加油!加油!努力!
想一次左右死努力!
加油!加油!努力!
想一次左右死努力!
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