伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

沒有煙抽的日子(煙草を吸えない日々:張雨生版)


 「沒有煙抽的日子」は、台灣の高音王子こと張雨生(チャン・ユーシャン 1966年6月7日 - 1997年11月12日)が、1989年7月17日 に発表jしたアルバム《想念我》に収録されている楽曲です。


 詞題は、直訳すると「煙草を吸えない日々」ということですが、実は「煙草」とは「自由」の比喩であり、真意は、中共に於ける「自由な空気を吸えない日々」を詠ずることにあります。


 この歌詞は、中共の民主化運動の学生指導者であり、後にアメリカに亡命することになる王 丹(ワン・タン 1969年2月26日 - )が、1989年6月4日(日曜日)に起こった六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)当日に書いたものです。


 六四天安門事件は、1989年4月の胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして、中共・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中共人民解放軍が無差別発砲や装甲車による蹂躙などを行い、約3000人の死者と約1万人の負傷者を出した大量虐殺事件です。
 この時、死体は証拠隠滅の為、人民解放軍が一箇所に集積して焼却したと伝えられています。


 「沒有煙抽的日子」は、中共による大量殺戮に悲嘆した王 丹が書いたこの詞を読んで、彼らの民主化運動に共感した張雨生が曲を付けて、六四天安門事件の翌月発表した楽曲です。


 当然の如く、この楽曲は中共では発禁処分となっています。
 それどころか、1996年にアメリカ合衆国を訪れた中共国防部部長の遅浩田は、「天安門広場では1人も殺されなかった」と発言するなど、中共では天安門では一部の反動分子が騒いだだけで、事件というほどのものはなかったとされており、厳重な隠蔽工作が行われているので、本記事ですら中共で「天安門事件」で検索するとインターネットが遮断されます。
 そのため、中共の人民が本事件に関して検索する場合には「5月35日(5月31日+4日)」や、「82(8の2乗を表す数学記法で、答えが64=6月4日)」などを隠語として使用しているようです。
 なお、今日現在での中共の諸外国に対する公式発表では、「事件による死者は319人」とされていますが、この人数も実数の十分の一に過ぎません。


 事件当時王 丹が書いた詞は、当局の摘発を逃れる目的で、「自由」を「煙草」に置き換え、またその他の詩句も象徴的に書いているので、短いながらも相当難解な歌詞になっています。


 伊賀流で無理やり翻訳してみましたが、もっと適切な解釈があるとするなら、博雅の教えを請います。



   沒有煙抽的日子
   煙草を吸えない日々
                     作詞:王丹 作曲・演唱:張雨生

(主節)

沒有煙抽的日子 沒有煙抽的日子

我總不在你身旁

而我的心裡一直 以你為我的唯一的

唯一的一份希望

天黑了 路無法延續到黎明

我的思念一條條鋪在

那個灰色小鎮的街頭

你們似乎 不太喜歡

沒有藍色的鴿子飛翔 啊~啊~

煙草を吸えない日々 煙草を吸えない日々

私はいつも君のそばにはいない

けれど心の中ではずっと 君は私の唯一つの 

唯一つの一縷の希望

日が暮れて空が暗くなっても 道を夜明けへと続けていく方法がない

私の思いを少しづつ石畳の上に伸ばしてゆく

あの灰色の小さな町の街角まで

君たちにはそんなに楽しくはないだろう 

青い鳩が飛び回ってはいないのだから あ~ あ~

(從説)

手裡沒有煙 那就劃一根火柴吧

去抽 你的無奈

去抽 那永遠無法 再來的一縷雨絲 啊~

手の中にはタバコがない けれどマッチに火を点けてみた

吸えはしない 君にもどうすることもできない

吸えはしない 永遠に一筋の雨のような煙は上がらない あ~ 

(3回繰り返し)

「主節」を再唱後、「從説」を5回繰り返し

(終節)

在你想起了我後

又沒有煙抽的日子 啊~

君が私を思い起こした後でも

またタバコを吸えない日々が続く あ~ 




張雨生 - 沒有菸抽的日子



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