伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

伊賀山人闘病記執筆の開始にあたって

 【奈良県立医科大学附属病院】


1 闘病記執筆の趣旨
 2月7日、肝細胞癌の発症を確認し、5年生存率が約50%と診断された。
 未だ余命を確定できる段階ではないが、治療の経過と患者の心境とを記録して、生存の証とするとともに同病者への参考に供する。


2 発症の経緯
 輸血後や注射器の使い回しによりかなりの確率で肝炎を発症することは戦前から知られていた。この原因がウイルスに依るものであることは、1964年にオーストラリア抗原が発見されるまではよくは分かっていなかった。
 戦後、国は厚生行政の一環として、国民に集団予防接種を強制した。無論、肝炎発症の危険性を承知した上でのことであった。
 予防接種に於いては注射器の使い回し、つまり10人分くらいの薬剤を一つの注射器に入れて次々と接種する方法がとられていた。


 このため、注射針に付着した血液を介して多くの国民が肝炎ウィルスに感染したが、その大半は免疫が働き発症しないか発症しても一時的なもので完治した。そのため、多くの国民は予防接種の恩恵に浴したともいえる。
 伊賀山人のように幼少期の免疫力不十分な状態で感染した者だけが持続感染者となり、40歳前後で慢性肝炎を発症することになってしまった。
 この肝炎を完治させる有効な手段はなく、慢性肝炎患者の多くは肝硬変か肝細胞癌へと病態が進行することとなる。
 伊賀山人は、昭和20年代に感染し40年近くを経た平成元年の年末に肝炎を発症した。
 そして、肝炎発症から29年を経た今月発癌を確認した。
  
3 今後の治療方針
 発癌確認までは伊賀の病院で治療を受けていたが、癌治療のために2月20日奈良県立医科大学附属病院へ転院した。
 これは、専門的に癌治療ができる病院は、「がん対策基本法」に基づき設置された「がん診療連携拠点病院」が主体となり、各都道府県に一つか二つしかないことによる。
 伊賀は三重県に属するが、距離の近い奈良県の病院を選択した。


 昨日20日の初診では、血液検査のほか、胸部レントゲンと心電図の検査を実施した。
 それらは、直接の癌検査ではないが、手術に耐えうる体力があるかどうかの検査とのことで、伊賀山人が頼んだわけではないが、既に開腹手術をするのが既定の路線になっているようである。
 事ここに至ると、気分は恰も赤穂浪士の大石内蔵助の心境である。


 「切腹仰せ付けられ候段 有り難き仕合に存じ奉り候」


 この日の受診は、朝の10時から午後2時までかかった。
 病院の食堂で遅い昼食をとった。
 同行した山の神は、「親子丼」を注文した。
 伊賀山人は無論、「カツ丼」を食した。
 武道家伊賀山人は、「神仏を敬い神仏に頼らず」を信条とするので、占いも呪いも信用しないが縁起は担ぐ。
 勝負を前にして食する勝負飯は当然、「カツ丼」に限る。


   「病に勝つ!」





鄧麗君 - 獨上西樓 + 但願人長久