この手のひらに愛を(在這個手掌上面愛)
「この手のひらに愛を」(このてのひらにあいを)は、日本のグループサウンズ(GS)バンドのザ・サベージが1966年10月15日に発表した楽曲です。
この楽曲の作詞・作曲は、当時作詞・作曲・編曲家として活躍していた元ジャズピアニストの利根常昭が担当しています。
歌詞は、2節のみの短いものですが、各節の後半を「ララララ…」と続ける「スキャット」を取り入れているところに特徴があります。
「スキャット」とは、昔アメリカのニュー・オリンズで"スキャット・ヴォーカル”と呼ばれていた歌い方で、歌詞の代わりに「ラ、ラ、ラ」や「ドゥ、ドゥ、ドゥ」や「ダバ、ダバ、ダバ」など、アクセントがつけやすい意味のない音を充てる歌唱スタイルのことです。
このスキャット・ヴォーカルは、1911年にジーン・グリーンが作った「King Of The Bungaloos」が嚆矢とされていますが、1926年にルイ・アームストロングがスキャットを取り入れて演唱した「Heebie Jeebies」が大ヒットとなったことから、ジャズシンガーやそのファンの間では知られていましたが、日本の一般人では当時知る人は殆どいませんでした。
ラジオの深夜放送のテーマソングやCMソングで一部使用されることはありましたが、「この手のひらに愛を」のように、歌詞の半分をスキャットで占めるという試みは、元ジャズピアニストの利根常昭ならではの発想と思われます。
スキャットは、無意味な語の連続であり、言葉を楽器の代わりに使うという点では、口笛や鼻歌のようなもので、一つ間違うと歌詞として成り立たなくなる恐れがあります。
この楽曲では、各節の前半で通常の歌詞を詠じ後半をスキャットにすることにより、聞く者の想像力を掻き立てる工夫がなされています。
また、歌詞部分とスキャット部分とでは、曲も全く異なっていることが更に余情を深める効果を醸し出しています。
歌詞部分だけを読むと、単なる恋愛感情を非現実的なメルヘンチックな文章にしているだけで、当時のGSによくある粗製乱造曲と大差ありませんが、このスキャットがあることにより、聴く人それぞれの境遇に応じて恋愛歌とも、場合によっては失恋歌とも解し得る深みのある楽曲に仕上がっています。
大学生で結成したザ・サベージのプロデビュー2枚目のシングルで、第1節はこの3箇月後にグループを脱退して更に15年後に「ルビーの指環」(1981年2月5日発売)のヒットで知られることになる当時19歳のバンドメンバー寺尾聰が歌い、第2節はバンドリーダーで「奥島キャプテン」と呼ばれて親しまれた当時21歳の奥島吉雄が歌っています。なお、この二人は声質がよく似ているので、一度聞いてその違いが分かる人は間違いなくGS評論家になれます。
ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・スパイダースと共にGSの3大人気グループとして脚光を浴びたザ・サベージですが、メンバーが学生であったことから、学業に専念するための脱退によるメンバー交代が続き、プロとしての活動期間僅か1年半の間に約20曲を発表しただけで、1968年3月に解散しました。
この手のひらに愛を
在這個手掌上面愛
作詞・作曲:利根常昭 演唱:ザ・サベージ
まるくあわせた この手のひらに
僕の愛をのせて
君に捧げよう
二人の幸せが 陽射しの中で
きらめくのさ
ホラ 君にもみえるだろう
ララララ ララララ ララララ
ララララ ラ~ララ
ララララ ララララ ララララ
ララララ
很圓地合起這個手掌向上面
裝上我的愛
我想奉獻給妳
二人的幸福是陽光中
閃耀吧
請看 妳能看見
LaLaLaLa…
君の涙を この手のひらに
受けてあげよう
そして愛の泉にしよう
涙の泉に 虹がかかって
夢の様に 君の頬を
染めるだろう
ララララ ララララ ララララ
ララララ ラ~ララ
ララララ ララララ ララララ
ララララ
這個手掌向中 妳的眼淚
全部接受著
又爲愛的泉
眼淚的泉 懸掛彩虹
像夢一樣地 妳的臉頰
會染吧
LaLaLaLa…
ララララ ララララ…
LaLaLaLa…
ザ・サベージ/この手のひらに愛をKono Tenohira Ni Ai Wo (1966年) 視聴No.6
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