獨上西樓(独り西楼に上れば)
「獨上西樓」は、東洋の歌姫と称された台灣の歌手鄧麗君〈デン・リージュン:テレサ・テン〉(1953年1月29日 - 1995年5月8日)が1983年に発表したアルバム「淡淡幽情」に収録されている楽曲です。
このアルバムは、今から約1000年前の宋代の詞(し:ツー)12篇に現代のメロディを付けて演唱したものを収録しています。
この「獨上西樓」には、台灣の作詞・作曲家の劉家昌(1940年4月13日-)が曲を付けています。
詞(し:ツー)とは、宋代に隆盛を見た韻文詞で、1首の中の各句の文字数や、平仄(アクセント)、押韻などが厳格に規定された韻文で、元々は既成の曲に合わせた替え歌のようにして作られたものです。
詞(し:ツー)のために作られた曲の名称を「詞牌(しはい)」といい、詞牌の数は全部で826調ありますが、同一詞牌で形式の異なるもの(同調異体)を数えると2306体あると言われています。
それぞれの詞牌を区別するために、「虞美人」、「竹枝」、「鶯啼序」などの曲名が付けられています。
詞(し:ツー)は、それぞれの詞牌ごとに定められた形式に従って作られますが、その内容は必ずしも詞牌の曲名通りとは限りません。
詞の内容が詞牌の曲名と異なる場合には詞牌の下に詞題が添えられたり、小序が作られたりしました。
「獨上西樓」の原詞は、五代十国時代に長江下流域にあった小国「南唐(後に「江南」に改名)」の第3代(最後)の国主で、後に李 後主とも呼ばれることになる李 煜(り いく:937年8月15日~978年8月13日)の作品です。
この詞の詞牌としての原題は、「烏夜啼」ですが、「相見歡」ともいわれています。
この二つの詞牌は、異調同形、つまり平仄・押韻が同じで曲調が異なっています。
宋代の曲が失われている現代では、どちらであるとも断定できないため、2つの詞牌で伝わっています。
なお、詩語としては、「烏夜啼」は男女の別れを、「相見歡」は男女の出会いをそれぞれ象徴しています。従って、「離愁」を詠ずるこの詞では「烏夜啼」の方が詞題としては適しています。
李 煜は、文学的・芸術的な才能に優れた人でしたが、君主としての政治的能力はほとんどなく、この当時北西方の強国「宋」の圧力に屈して、自身の江南国の都:金陵(現江蘇省南京市)から、北西にある宋国の都:開封(現河南省東部開封市)に連行されて軟禁生活を送っていました。
「獨上西樓(烏夜啼) 」は、李 煜が深まりゆく秋の一夜、西の高殿に登って故郷で別れた人に思いを致し、無限の離愁を詠じたものです。
「西楼」とは、西方に太陽や月が沈むのを眺める高殿で、郷愁や離愁などの憂いを詠ずるのに適しています。
李 煜の故国江南は、宋の東南の方向に在りますので、彼が実際に登ったのは東楼か南楼の可能性が大ですが、離愁を詠ずる場合には「西楼」とするのが約束事のようです。
なお、テレサのアルバム「淡淡幽情」には、李 煜の詞が「獨上西樓」のほか、「幾多愁」、「臙脂涙」と併せて3篇が収められています。
(白文)
烏夜啼
無言獨上西樓,
月如鈎。
寂寞梧桐深院 鎖淸秋。
剪不斷,
理還亂,
是離愁。
別是一般滋味 在心頭。
(訓読文)
烏夜啼(うやてい)
言無(げんな)く 獨(ひと)り 西樓(せいろう)に上(のぼ)れば,
月 鈎(かぎ)の 如し。
寂寞(せきばく)たる 梧桐(ごとう)の 深き院 清秋を鎖(とざ)す。
剪(き)りても 斷(た)てず,
理(ととの)へども 還(ま)た 亂(みだ)るるは,
是(これ) 離愁(りしゅう)。
別に是 一般の滋味(じみ)の 心頭(しんとう)に在り。
(口語訳)
烏(からす)が夜啼く(独り西楼に上れば)
無言で独り西側の高殿に上れば、
三日月が鈎のように見える。
靑桐や桐の繁る寂しげな奥庭には、薄ら寒い秋が閉じ込められている。
剪(き)っても断ち切れず、
整えても、またすぐ乱れるのは、
この別離の愁いである。
他にもまた一種独特の味わいが、心の中に在る。
▼「獨上西樓」 作詞・作曲:劉家昌 演唱:鄧麗君
鄧麗君 Teresa - 獨上西樓
追記:
原詞中の「一般滋味」をこの歌詞では「一番滋味」としていますが、李 煜の原詞をそのように伝える本もあります。
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