伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

秋夕(しゅうせき): 杜牧


 本日は、旧暦の7月7日、本来の七夕の日です。
 そこで、今回は七夕に因んだ漢詩を一首ご紹介します。
 晩唐の詩人杜 牧(と ぼく、803年(貞元19年) - 853年(大中6年))作の七言絶句「秋夕(しゅうせき)」です。
 この詩は、閨怨詩に分類されるもので、主君の寵愛を得られなくなった宮女が七夕の夜を独りで寂しく過ごす無限の憾みを、それを見ている第三者の立場で客観的に詠じたものです。


 詞中に見える「銀燭」とは白い蝋燭のことで、当時一般に使われていた油を使う燈火に比べると非常に高価なもので宮中の豪華な生活を表現しています。
 また、「薄絹張りの小さい扇で飛んでいる蛍をうつ」のは、蛍を捕らえて薄絹の袋に入れてその灯りを楽しむためで当時宮女の間で流行していた遊びです。所謂「蛍雪の功」として伝わる「蛍の光」もこのようにして照明として利用されたと言われています。
 承句で「扇」を詠じ、転句で「宮殿は水のように涼しくなっている」と詠じているのには理由があります。つまり、秋になって涼しくなると不要になる「扇」を宮女の境遇に重ね合わせて、この宮女も既に必要とされていないことを言外に表現しているのです。これは、前漢の女官:班婕妤(はんしょうよ、前48?~前6?)が作った五言古詩『怨詩(怨歌行)』で「扇になって貴方の傍にいたい。しかし秋になって涼風が吹くころには用済みとなって衣裳箪笥の中に打ち捨てられるように、貴方の恩愛が絶えてしまうことが怖い」と詠じた内容を踏まえたものです。
 なお、転句に見える「天階」とは原義は宮殿の階段のことですが、漢詩ではしばしば天上界の階段の意でも使われる詩語です。


 蛇足ながら、旧暦は太陰太陽暦で作られています。
 歴月(れきげつ)は月の運行を基準に規定されますが、立秋や立春などの二十四節気あるいはそれをさらに細分化した七十二候などは太陽の運行(実際は地球の公転)を基準に規定されています。
 このため、旧暦七月は暦の上では秋ということになりますが、七月一日が立秋になることは珍しく殆どの年は10日前後はずれています。
 二十四節気の奇数気を初日として月数を数える方法もあり、これを節月(せつげつ)と称しています。この方法は季節感をよりよく表すので、俳句の季語の分類などに使われています。
 因みに、今年は明日7月8日が立秋になります。
 今日は七月七日の七夕で歴月上は秋ですが、節月上はまだ夏であるということになります。



(白文)
 秋夕
銀燭秋光冷畫屏,
輕羅小扇撲流螢。
天階夜色涼如水,
坐看牽牛織女星。


(訓読体)
 秋夕
銀燭(ぎんしょく)秋光(しゅうこう) 畫屏(がへい)冷(ひや)やかなり,
輕羅(けいら)の小扇(しょうせん) 流螢(りゅうけい)を撲(う)つ。
天階(てんかい)の夜色 涼(すずし)きこと水の如し,
坐(そぞ)ろに看る 牽牛織女星。


(口語訳)
 秋の宵
秋の夜の白い蝋燭のともし火は 屏風を冷やかに照らしている,
宮女が薄絹の小さな扇で 闇に飛び交う蛍を撲って無聊を紛らわせている。
宮殿や天上界の階段の夜の景色には 水のような涼しさを感ずる,
七夕を一人で過ごす宮女は 年に一度は会えるという牽牛織女星をそぞろに見ている。




  【 唐詩三百首 秋夕(杜牧)】