曲江二首 其二 〔人生七十 古來稀(こらいまれ)なり〕
「曲江二首 其二」は、盛唐の詩人 杜甫(とほ、712年ー770年)が数え年47歳になった758年の暮春に書いた七言律詩です。
「曲江」とは、都長安の居住地である外郭城内の東南の隅に在った池の名で、終南山から引いた水が屈曲して流れ込むことからこの名が付けられました。また、蓮の花が多く咲いていたことから「芙蓉池」とも呼ばれる風光明媚な景勝地でした。
池の周辺には酒食を提供する東屋が立ち並び、池を遊覧する舟もあって都の人々の憩いの場となっていた所です。
「曲江二首」は、杜甫がこの地で毎日のように酒を飲んで帰る情景を詠じたものです。
杜甫は、その前年には安禄山軍に占領された都長安に幽閉されており、その年757年の春には時勢を憂い自らの境遇を悲嘆する「春望」と題する五言律詩を詠んでいます。
「春望」を詠んだ直後の4月に杜甫は長安を脱して、唐の皇帝粛宗(しゅくそう)が行在所を置いていた鳳翔(ほうしょう、長安の西)に辿り着きます。
皇帝粛宗は、危険を冒して参内した杜甫の労を多として、5月16日に彼を左拾遺(さしゅうい)に任命します。
左拾遺とは、朝廷の政治に欠陥のある場合には、これを諌(いさ)める責任を有する役職ですが、その実態は古の聖君に倣って皇帝が臣民の意見も良く聴いているという外見を整えるだけのもので、配置されるのは下級役人の中の凡庸なものばかりであり何も期待されていない閑職でした。
一般に左拾遺に補職された者は仕事は殆ど何もしないのが慣例で、皇帝を諌めるどころか褒め称えるのが賢明な処世術でした。
ところが、生真面目な杜甫は本気で皇帝に諫言(かんげん)して伝説上の聖君である堯や舜のような名君に致すことを念願しました。
そして着任早々、安禄山軍との戦闘で大敗を喫して皇帝から責任を問われていた宰相の房琯(ぼうかん)(697‐763)を弁護したため皇帝の怒りを買い、その後759年7月に官を去るまでの2年間朝廷内で疎外されて心楽しまない日々を過ごしていました。
安禄山軍に捕らわれていた757年作の「春望」が天下の情勢を憂えるものであるのに対し、その後唐朝廷に仕官が叶ったものの失意の中で年を越して758年の春に詠じたこの「曲江」は、自らの仕事が終わると毎日景色の良い歡樂地である曲江に赴いて酒で憂さを晴らす日々を綴り、昔から人が70年生きていたことは滅多にないのだから、酒代のつけなど気にせず、良い景色を眺めながら大いに飲んで楽しむことにしようと詠ずるもので、実直な杜甫には珍しく投げ遣りな詩となっています。
杜甫はこの詩を書いて間もなくの6月には華州へ左遷されて司功参軍という微禄の低い役職に就任します。
しかしながら、ここでも杜甫が思い描いていたような理想的な宮仕えは叶わず、憤懣が積もり、左遷されてから約1年後の759年7月に官を辞して家族と共に流浪の旅に出ます。
成都付近に一時期は落ち着いたものの、再び起こった戦乱の中で家を失い健康を害し、望郷の念に駆られて家族と共に小舟に乗って長安への帰還の旅を再開しますが、770年に長安への帰途の湘江を下る舟の中で59歳の生涯を閉じています。
なお、この詩の第4句「人生七十古來稀。」が、数え年で70歳を表わす「古稀」の原典となっています。
杜甫は、自ら詠じたとおり古稀には遙かに及ばず世を去ったことになります。
蛇足ながら、年齢を表わす「志学、而立、不惑、知命、耳順、従心」の原典はいづれも論語です。
「還暦」は支那語に由来し、数え年で61歳のことを言います。
「弱冠」は昔の支那で数え年で20歳の男子を「弱」と呼び「弱」になると元服して「冠」(かんむり)をかぶるようになったことから、20歳の男子の呼び名となっています。
その他の「喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿等々」は、日本独自に年齢の漢数字を漢字に擬えたもので特に原典となるものはありません。
ここで、漢詩を原典とするのは、「古稀」だけです。
なお、これらの年齢は全て数え年ですので、元日が起点になります。
例えば「古稀」であれば数え年で70歳になった元日(満年齢で59歳になる年の元日)から1年間を言います。
曲江 二首 其二
杜甫
朝囘日日典春衣, 毎日江頭盡醉歸。
酒債尋常行處有, 人生七十古來稀。
穿花蛺蝶深深見, 點水蜻蜓款款飛。
傳語風光共流轉, 暫時相賞莫相違。
曲江(きょくかう)二首 其の二
朝(てう)より囘(かへ)りて日日 春衣を典し,
毎日江頭に 醉(ゑ)ひを盡(つ)くして歸る。
酒債(しゅさい)は尋常(じんじゃう) 行く處に有り,
人生七十 古來稀(まれ)なり。
花を穿つ蛺蝶(けふてふ) 深深として見え,
水に點ずる蜻蜓(せいてい) 款款(くゎんくゎん)として飛ぶ。
風光に傳語す 共に流轉(るてん)して,
暫時相ひ賞して 相ひ違(たが)ふこと莫かれと。
曲江(きょくかう)二首 其の二
朝廷から戻ってくると、日々春着を質に入れて、
毎日のように名勝地曲江のほとりで酔いを尽くして帰ってくる。
酒代の借金は珍しくもなく、行く先々にあるが、
どうせ昔から七十まで長生きする人は滅多にいないのだ。
花の間に見え隠れするアゲハ蝶は奥深いところに見え、
水面に軽く尾をつけるトンボは緩やかに飛んでいる。
この春景色にことづてしよう、「我が身も春景色も時間と共に移り流れてゆくのだから、
暫くの間は、この世の春を賞であって、お互いに楽しむべき時にそむかぬようにしようではないか。」と。
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