伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

七夕祭りの時期に関する一考察

   【雲中七仙女圖】


 七夕伝説は、今から2千年ほど前の漢の時代の幾つかの神話や民話が複合されて出来上がっています。


 日本で流布されている伝説のあらすじは、昔、天界で機織りを仕事としていた織女が、牽牛とのデイトに夢中になって機織りをさぼっていたため、これに激怒した天界の偉い神様により、天の川の向こう岸に追いやられてしまった。神の御慈悲で年1回7月7日だけは川を渡って牽牛と会うことができるが、雨が降ると川が増水して会えなくなる・・・というようなものです。


 他には、京劇の演目にもなっている上掲の図のような七仙女の伝説もあります。
 七仙女とは、仙女の7人姉妹という意味でもあり、末の妹である七番目の仙女という意味でもあります。
 七夕の題材になった伝説では、7番目の仙女として言い伝えられています。
 そのあらすじは、七夕の季節に天界から地上に遊びに来た七仙女が、暑くてたまらなかったので羽衣を脱いで川で水浴びをしていたところ、偶々通りかかった牽牛により、大事な羽衣を隠されてしまい、天界に返れなくなってしまいます。
 七仙女は、仕方なく牽牛と結婚して地上界で生活していましたが、ある時、隠されていた羽衣を見つけてそれを纏って天界に帰ります。
 牽牛は、ストーカー宜しくこれを追いかけて天界に昇りますが、仙女集団の中で最も偉い老仙女に怒られて星にされてしまいます。
 ところが、どういうわけか、老仙女の計らいで年一回だけは、七仙女と会うことができるというものです。
 この伝説は、日本では形を変えて、「天の羽衣」伝説としても伝わっています。
 なお、この牽牛の行動は、現在の法規範に照らせば、明らかに犯罪行為ですが、なにしろ2千年も昔のことですので、今とは事情が異なっているのでしょう。


 さて、前置きが長くなりましたが、本日は、この七夕祭り開催の時期について、考察します。


 日本では、新暦の7月7日に開催するところが大多数ですが、仙台の七夕のように一箇月遅れの8月7日に行うところもあります。
 これに対し、本家本元の台湾、香港などの漢文化圏では、殆どのところが、旧暦の7月7日に行います。従って、新暦では概ね8月になりますが、毎年日取りは異なり、2週間くらいずれることも珍しくありません。


 それでは一体、七夕祭りはいつ開催すべきなのか?
 これが、本日の考察の命題なのです。


 結論から申し上げます。
 七夕祭りは、旧暦の7月7日に行うべきなのであります。


 理由は、二つあります。


 先ず第一に、新暦の7月7日では、まだ梅雨が明けていないため、天の川が増水しており、牽牛・織女は毎年会いに行くことは不可能です。
 人道上の観点から、七夕はもっと天候の良い時期にすべきなのであります。


 次に、新暦の7月7日は、月の満ち欠けとは無関係のため、偶々満月の場合もあって、天の川が見えないこともあります。
 見えない川を渡っていては、牽牛・織女が水難事故に巻き込まれる恐れがあります。
 旧暦の7月7日であれば、月齢は、6~7、つまり半月(上弦の月)より前ですので、夕暮れ時には、南西の空に見えますが、夜が更けるにつれて、半輪の月が西の空に傾き、船のような形に見える頃には、空は次第に暗くなって天の川もはっきり視認することができるようになります。
 安全上の配慮からも、七夕は満月の時期を避けるべきなのであります。


 このように、あらゆる角度から分析検討した結果、人道上更には安全管理上の観点から、七夕祭りは旧暦の7月7日に開催すべきであるとの結論に達したのであります。


 旧暦の7月7日は、今年は、新暦の8月9日になります。
 その夜は、満天の星空を見上げて、天の川に隔てられた遥か遠き牽牛星と燦々と輝く織女星に思いを馳せたいものと考えています。



  擬迢迢牽牛星


遙遙牽牛星,粲粲七仙女。


纖纖擢素手,札札營彩楼。


怨彼河無橋,泣涕零如雨。


盈盈一水間,脈脈不得語。


弦月爲輕舟,桃符爲揚帆。


河漢清且深,何日度彼岸?



 【丙申七夕爲七仙女伊賀山人書桃符】