伊賀のブログ記事
伊賀(ムラゴンブログ全体)-
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【左図:気象庁の地域区分図】 【右図:三重県庁の地域区分図】 伊賀(いが)とは、。飛鳥時代から明治時代初期までは令制国のひとつである伊賀国の呼称でしたが、現在ではその領域にほぼ該当する三重県北西部・上野盆地一帯の地域に対する呼称となっています。 上掲画像の左図は気象庁指定の地域区分... 続きをみる
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平成28年度伊賀山人よろず相談事務所定時総会 日時:3月吉日 場所:伊賀名張事務所 次第 1 開会の辞 2 所長挨拶 3 議事 第1号議案 平成28年度事業報告 第2号議案 平成28年度収支決算報告... 続きをみる
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「伊賀山人」とは、世を忍ぶ仮の姿です。 而して、その正体は、冒頭の名刺のとおり、よろず相談所の所長なのです。 「世の中大抵のことは当事務所で片が付きます」 とは、当事務所のキャッチコピーです。 法律上の制約もあり、当事務所で片の付かないことも、ままありますが、その際は誰に相談すればよいかを... 続きをみる
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明日2月25日は、当事務所の所在する名張市主催の無料相談会があります。 名張市では、行政書士による無料相談会を月1回開催しています。 名張市民が対象で、1人1時間、1日6人限定の完全予約制です。 結構、希望者が多く、抽選になることもあるそうです。 因みに、来月の相談会は3月24日でその日... 続きをみる
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伊賀国名張郡国見(現在の伊賀市種生)にある兼好法師終焉の地に服部土芳(はっとりとほう)の句碑が一つ残されています。 服部土芳、本名は保英、通称は服部半左衛門と名乗る伊賀上野藤堂藩の武士でした。幼少の頃、同郷の俳聖松尾芭蕉に俳句を学び、長じて芭蕉の高弟の一人にも数えられた江戸時代初期の俳人です。... 続きをみる
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「伊賀の乱」というと、伊賀者が何か騒動でも起こしたかのような印象を受けますが、そうではなく、この乱は戦国時代に天下征服を企む織田の軍勢が一方的に伊賀を攻め立てて壊滅させた侵略戦争です。 織田の軍勢は、天正6年(1578年)から天正9年(1581年)にかけて3回、伊賀に侵攻しました。一般に1回目... 続きをみる
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兼好法師(けんこうほうし、1283年頃~1352年以降)、本名卜部兼好(うらべ かねよし)は、今から700年ほど前の官人であり歌人・随筆家でもあった人です。30歳頃に出家したため、自他共に兼好法師と称されていましたが、後の世に卜部氏が吉田と改名したことにより、江戸時代以降は吉田兼好(よしだ けん... 続きをみる
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伊賀上野に現在3層3階の天守閣が存在します。この城の正式名称は「上野城」ではなく「伊賀文化産業城」です。 伊賀は古来、東西の交通の要衝であったため、戦国時代から砦のようなものが何度も作られており、最大のものでは3層3階まであったようです。 関ヶ原の合戦の後、天下を取った徳川家康は、未だ健在で... 続きをみる
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