伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

空手道天神流最後の弟子


 空手の練習用具の一つに、鉄下駄と言うものがあります。
 文字通り、鉄でできた下駄で、足に負荷をかけて蹴りなどの稽古に使います。
 野球でいえばマスコットバットのようなものです。


 私の鉄下駄は、片方5キロの比較的軽いものです。
 社会人となっても安月給の為、風呂もない長屋に下宿していたことがあります。
 そのころは、どこへ行くにもその鉄下駄をはいて出かけました。


 鉄下駄は、なかなか痛まないため、いつまでも新品同様の外観を保っています。
 ある時、銭湯の玄関先に脱いでいた私の鉄下駄をこっそり履いて帰ろうとした狼藉者がおりました。


 鉄とは気づかず、慌てて突っ掛けて逃げようとしたものですから溜まりません。
 一歩も歩けず、その場に顔面からカエルを叩き付けたような姿になって倒れ込んでしまいました。
 その泥棒、照れ笑いを浮かべながら、自分のボロボロのスリッパに履き替えて帰って行きました。


 閑話休題


 二番弟子のA君が病気療養のため、帰郷することになったころ、私もその勤務地を離れて、京都で働くことになりました。


 京都で出会ったC子さんは、まだ20代の前半でしたが、既婚者で、職場結婚したご主人が新婚早々神奈川県に転勤していたため、彼女も単身生活となり結構暇を持て余していました。


 あるとき、世間話の中で、鉄下駄を見たことが無いというのを聞き及び、私の下駄を貸してやりました。
 彼女は、執務中もその下駄を履いて、足の上げ下ろしなどをして鍛錬に努めておりました。


 そんなことから、彼女にも一手指南することとなりました。
 特に武術を取得する必要性もなかったことから、健康体操代わりに型だけを教授しました。


 漸く、最も基礎的な型、平安初段を修得するころ、彼女はご主人のいる神奈川県への転勤が決まりました。


 彼女の嬉しいご栄転を寿ぎ、私は彼女に、空手道天神流七級の認定書と平安型の本を授与しました。


 彼女と彼女を迎えに来たご主人と3人で最後の午餐を共にして京都駅で見送った後、私は、「哲学の道」を歩きながら考えました。


 「これからの時代、武術が役に立つことなどあるのだろうか?」
 「本来の武術のあり方とは異なっていても、柔道や剣道のように、スポーツとしてあるいはレクリエーションとしての道をたどるしか、最早武術の生き残る道はないのかもしれない」 と。


 この時を最後に、私は、数年間に亘る他人への空手指南をやめて、一番弟子のT君と出会う前の元の一人修行の道へと戻って行きました。


 琵琶湖疏水の水面を桜の花びらが覆い尽くす、平成18年春、桜花爛漫の頃でした。



「空手は湯の如し、常に熱度を加えざれば元の水に還る。空手修行は一生なり」