伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居する隠者の戯言です。

伊賀山人秋桜園

 秋分の日から一夜明けた今朝の伊賀山人フラワーガーデンの秋桜園をご紹介します。


 【紅白のコスモス】


 【遊びに来た揚羽蝶】


 【南園、遠くに見えるのは南山】


 【上から見た南園】


 【上から見た西園】



  『秋櫻』 
           作詩・作曲:佐田 雅志 歌唱:山口 百惠(1977年10月1日)
 這是首名曲,聽不出是40年前的老歌。
 當年18歲的山口百惠唱,出嫁的女兒牽掛母親的樂曲。
 然後三年後,歌手山口百惠與演員三浦友和結婚在演藝圈引退了。
 直至今日,看到秋櫻時,我仍會想起這首歌。
 今年,介紹漢語歌詞附著的映像。



秋櫻 山口百惠 【中字】



  秋櫻(波斯菊)


 第一節
 秋日的粉紅秋櫻         (うす紅の秋桜が秋の日の )
 無心地在陽光中搖曳       (何気ない陽溜りに揺れている)
 最近時常流淚的母親       (此頃涙もろくなった母が)
 在院子輕咳了一聲        (庭先でひとつ咳をする)
 她坐在廊子翻看相簿       (縁側でアルバムを開いては)
 回憶起我的童年         (私の幼い日の思い出を)
 不斷重複說著同樣的話      (何度も同じ話くり返す)
 聲音小得像在自言自語      (独言みたいに小さな声で)
 在這種小陽春的溫和日子     (こんな小春日和の穏やかな日は)
 我深深感到您的體貼       (あなたの優しさが浸みて来る)
 對明日將出嫁的我,「往後再辛苦」(明日嫁ぐ私に「苦労はしても」)
 「時間會把一切都化為談笑」   (「笑い話に時が変えるよ」)
 「不用擔心」,您笑著說     (「心配いらない」と笑った)


 第二節
 我追憶種種往事         (あれこれと思い出をたどったら)
 才發現從來不曾孤獨過      (いつの日もひとりではなかったと)
 想到過去任性的自己       (いまさらながら我侭な私に)
 不禁咬住嘴唇          (唇かんでいます)
 您幫忙收拾明日的行李      (明日への荷造りに手を借りて)
 看起來心情很愉快        (しばらくは楽し気にいたけれど)
 卻突然淌下淚,「要保重啊」   (突然涙こぼし「元気で」と)
 再三重複同一句話        (何度も何度もくり返す母)
 道謝的話欲言又止        (ありがとうの言葉をかみしめながら)
 我將試著自己活下去       (生きてみます 私なりに)
 在這小陽春的溫和日子      (こんな小春日和の穏やかな日は)
 請再讓我多做一會兒       (もう少しあなたの子供で)
 您的孩子吧           (いさせてください)



追記:所用の為、明日から暫時、ブログを休みます。

夕陽は赤く

 【シングルレコードの2種類のジャケット】


 『夕陽は赤く』は、日本の俳優でもありシンガーソングライターでもある加山雄三が、1966年4月5日に発表した自身7枚目のシングルレコードです。
 この曲は、『蒼い星くず』とカップリングされて、兩A面扱いで発売されたため、ジャケットは上掲のように2種類ありますが、中身のレコードそのものは全く同じ物です。
 作曲は弾厚作(加山のペンネーム)、演奏は加山雄三とザ・ランチャーズ、作詞はその後長年にわたって加山とコンビを組むことになる岩谷時子です。
 この詞の内容は、旅人が夕日を眺めながら遥か遠くの街に住む人を思う密かな恋心を表現したものです。
 今どきの若者には理解困難なことかも知れませんが、平安の昔から伝わる「忍ぶ恋」の美意識を詠じた佳作です。


 【台灣の夕陽】


 夕陽は赤く
 夕陽紅
                作詞:岩谷時子 作曲:弾厚作
                演唱:加山雄三 演奏:加山雄三とザ・ランチャーズ
夕陽(ゆうひ)あかく 地平のはて
今日も沈み 時はゆく
はるか遠き 君住む街
ひとりしのぶ 旅の日よ

心に秘めた恋
その名を呼べば
むなしく返るは谺(こだま)よ
君よ眠れ また逢う日を
夢みるような 星あかり

夕陽紅 地平的盡頭
今天墜子 時也過去
遙遠地遠的 你住的街
回憶一人的 旅行的日
對心隱藏的戀愛
如果叫那個名
空虛地歸還回聲
你能睡著 再見的日
象做夢一樣的 星燈


心に秘めた恋
その名を呼べば
むなしく返るは谺よ
君よ眠れ また逢う日を
夢みるような 星あかり

對心隱藏的戀愛
如果叫那個名
空虛地歸還回聲
你能睡著 再見的日
象做夢一樣的 星燈




夕陽は赤く-加山雄三


里の秋


 『里の秋』(さとのあき)は、終戦直後の1945年(昭和20年)12月24日、JOAK(現・NHK第1放送)のラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で発表された童謡です。


 このラジオ番組は、復員兵や引き揚げ者たちを励ますために日本放送協会(NHK)が企画したもので、その中で流す歌の制作を児童合唱団「音羽ゆりかご会」の主宰者でもある童謡作曲家の海沼実に依頼しました。
  放送日は、12月24日と決められましたが、海沼のもとに曲の依頼があったのは、そのわずか1週間前でした。
  焦った海沼は、何か適当な詩はないかと、古い童謡雑誌を引っ張り出して次々と調べていきました。
 その彼の目にとまったのが、旧知の斎藤信夫作『星月夜』(ほしづきよ)という童謡でした。


 斎藤信夫は、戦前から小学校教師を勤める傍ら、童謡の作詩に意を注ぎ、その作品数は生涯で一万点以上と言われています。
 『星月夜』は、斎藤信夫が国民学校の教師をしていた1941年(昭和16年)12月の開戦直後に作詩したもので、1番から4番までの歌詞で幼い男の子が父親への思いを述べる内容になっていました。
 1番で幼い息子が母親と故郷で過ごす様子を描き、2番で南の島にいる父親を思う内容ですが、3番で南の戦線で戦う父親の武運を願い、4番では自分も将来兵隊になって国を守るとの気概を詠じたもので、そのままでは復員兵などを励ます歌にはなりませんでした。


 このため、海沼は斎藤に3番と4番の歌詞の修正を依頼しました。
 快く引き受けた斎藤でしたが、開戦直後の戦意高揚のために書いた詞を敗戦直後の無事復員を願う詞に書き換えることは容易ではなく、漸く新しく3番だけを書き上げたのは、放送前日の夜中のことでした。
 こうして完成したこの楽曲は、1番2番は「星の夜」を「星の空」と書き換えたものの故郷にいる母子の様子を描いた元の詞のままですが、3番は南方戦線で終戦を迎えた父親の無事な復員を願う母子の思いを表現するものとして生まれ変わりました。


 翌朝、斎藤はこの詞を持ってNHKに駆けつけ、童謡歌手の川田正子を連れて待ちかまえていた海沼に渡しました。
  題名は、海沼の注文で『里の秋』と変えられました。
 曲はすでにできていたので、海沼は正子に詩を渡して即席で練習させたあと、放送に臨みました。


 昭和20年12月24日午後1時45分から始まった放送は、正子が歌い終えると「スタジオ内はシーンと静まり返り、その場にいた全員が心が浄化されるのを感じた」と、放送に立ち会ったあるスタッフは語っています。
  放送が終わったとたん、局内の電話がいっせいに鳴りだし、翌日以降も、電話による問い合わせや感想の手紙が殺到しました。
  一つの歌にこれほどの反響があったのは、NHKでも初めてのことでありました。


 なお、この曲は元々男の子の曲でしたが、当時小学5年生11歳の童謡歌手川田正子が歌ったことから、後世、どちらかというと父親を思う幼い娘の心境を詠じたものとして世上に認識されています。



 この詞の中に見える「背戸(せど)」とは、「家の裏口」のことですが、転じて「家の後ろの方、裏手」を指すこともあります。
  この詞では「背戸」と接頭辞の「」を付けて背戸を丁寧に表現していることから、木の実やキノコの採れる裏山(里山)を指しているものと解釈するのが自然です。
  当時、平地には出来るだけ田畑を作り、家屋はその周辺の里山に接する場所に建てられていたこととも符合します。
 今回は、川田正子が長じて童謡歌手として不動の地位を築いたころのセルフカバー版をご紹介します。



里の秋_川田正子さん


  里の秋 故鄉的秋天
                   詞:斎藤信夫   曲:海沼実


静かな静かな里の秋           寂靜的,寂靜的,故鄉的秋日
お背戸に木の実の落ちる夜は  後門外果實掉落的夜晚
ああ母さんとただ二人     啊啊!僅僅和母親兩人
栗の実煮てますいろりばた   於圍爐邊煮著栗子
 
あかるいあかるい星の空    明亮的,明亮的,星光的夜空
鳴き鳴き夜鴨のわたる夜は   夜鴨鳴叫鳴叫著,飛過的夜晚
ああ父さんのあの笑顔     啊啊!父親那笑容
栗の実たべては思い出す    吃著栗子的時候就會回想起


さよならさよなら椰子の島   再會,再會,椰子島嶼
お舟にゆられて帰られる    於歸途上,船兒搖搖擺擺,
ああ父さんよご無事でと    啊啊!父親呀!願您平安健康
今夜も母さんと祈ります    今夜也和母親一起祈禱



おまけ♫
漢譯歌詞字幕付版



日本童謠: 里の秋 (故鄉的秋日) 歌詞中譯-有押韻 (又見炊煙-原曲)



   秋思
         伊賀山人作
 秋光十里夜深更
 院落唯聞落果聲
 夜鴨飛過銀漢上
 低頭遙想故人情